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第5章 七夕

7.鶴の羽根

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 七星は腕をのばした。
 泥がまとわりつくような不快な眠りをかきわけて、水面に上っていくような感じだった。上るにつれて体が軽くなり、まとわりつくものは泥ではなく、心地よい軽い雲に変化していく。

 七星は目を閉じたまま濃く甘い香りをふかく吸いこみ、微笑んだ。呼吸するたびに体の奥でくすぶっていた火がすこしずつかきたてられ、熱くなっていく気がする。

(僕、どうしたんだっけ……)

 おぼろげな記憶は夢と現実のはざまにあって、つかみどころがない。誰かと話しながら夜道を歩いたこと、煙ったような赤と青の照明、喉をくだっていく冷たく甘い飲みもの。ひさしぶりにたくさん喋った気がするのに、ほとんど思い出せない。

(旦那さん亡くなってから好きになった人は?)
(いますけど、あ、でも、ちがうんです)
(え、どっち?)
(好きになっちゃいけない人だから……)

 七星はさらに息を吸う。流れこむ甘い香りに頭の芯をつかまれて、あやふやな記憶は暗い穴に落ちていった。そのかわりのように、唇がざらりとして温かいものをなぞる。身体を包んでいた雲はいつのまにか人肌のぬくもりに変わっている。
 熱い手のひらが七星の背中から尻を撫でおろした。とたんに背筋から腰にかけ、甘い官能が稲妻のように走りぬける。

 七星は甘い疼きに腰をふるわせた。股間に熱が集まり、まるでヒートがはじまったように愛液が溢れて太ももをつたっていく。七星を抱いている腕が膝をおしひろげ、ながい指が太ももに垂れた雫を絡めとるように動いて、ゆるく勃ちあがった七星のペニスをそっと包む。

「い……ぶき、さん……」

 七星は目を閉じたまま両腕で自分を抱く男にすがりつき、名前をささやいた。半開きの唇がもうひとつの唇と出会って、重なりあう。
 たしかに伊吹だった。目を閉じたままでも、指と唇の感覚、それに体に刻むこまれたような香りの記憶はたしかで、間違いようがないものだ。

 七星の唇をやさしくついばんだ口はあごにさがって、軽く甘噛みしてからさらに下へ、首筋をなぞっていく。そのあいだも股間を弄る手は七星をゆるゆると追い立てていた。たまらずもっと強く、と腰を振ったとたん、するりとどこかへ消えてしまう。思わず不満の吐息をもらしたとき、右の乳首にチリッと刺激が加えられた。腰からつま先まで電撃のようなものが走る。

「あんっ、んっ……あっ、おねがい……」
 甘えるようにもらした声に応じるように、男は七星をぐいっと抱き上げ、ついであおむけに倒した。

 熱をおびたシーツの上で目をあけると、橙色の光に照らされて、全裸の伊吹が七星をみおろしている。すべてを見通すような鋭い視線の奥でおさえようもない欲望が揺れ、七星の胸の奥がきゅっと締まる。伊吹の顔がさらに近づいて、赤い舌が乳首を丹念にひとつずつ舐めはじめた。

 ――いつ、伊吹は自分を迎えに来てくれたのだろう?

 甘い霞のむこうがわでかすかな理性がはたらいたが、七星のペニスに伊吹のそれが触れたとたん、すべての問いは消え去ってしまう。ちゅぱ、と濡れた音が何度も響いて、そのたびにペニスの先端から透明なしずくがこぼれおちる。七星は無意識にひろげた両足を立て、腰をうかせた。秘密の蕾がひくりと疼いて、またとくんと愛液があふれる。
 はやくそこに欲しいのに、他の部分に与えられる刺激がもどかしい。

「いぶき、いぶき……ああ、はやく、きて、きて……」
 指が蕾の周囲をなぞり、すこしだけ中心をおしひらいて、なかの繊細な襞をさぐった。
「あ……あん、そこ、あ……」

 とろとろとこぼれた蜜からアルファを惹きつけるオメガの香りがたちのぼる。裸で、どこかのベッドで、運命の相手を前にして、終わったばかりの発情期によく似た欲望に煽られていることに、まったく疑問など抱かなかった。七星の上にいる男もそうだ。

 ――姿

「あ……」
 蜜で濡れた蕾が押し開かれ、ずん、と衝撃がやってくる。
「ああっ……あ、だ……め……ぁ……」

 七星の喉からかすれた声がこぼれ、それからはただ吐息と喘ぎだけになる。快感をむさぼるおたがいの存在があるだけでいい。伊吹は七星の足をひきよせたまま、何度も奥へ腰をうちつける。そのたびに襞から蜜がしみだし、つながった部分からは水の音がいやらしく響いた。
「あああ――」
 快楽の来る場所をえぐられて七星はまた小さく叫んだ。そのままぐいっとつながったまま上体をもちあげられ、アルファの膝にすっぽり抱えこまれる。

 七星は伊吹の背中にしがみついたが、いまは自分の重みでさらに深く、腹まで届くほどに雄を咥えこんでいた。そのあいだもオメガの本能はとめどなく蜜をあふれさせ、重なった肌が濡れた音をもらす。伊吹がゆっくり動いて、下からゆるりとつきあげた。
「あっ、はっ、あんっ、」
 衝撃で喉の奥からせつない喘ぎがもれた。七星はまた目を閉じる。自分を抱くアルファの肩にひたいをくっつけ、みずから腰をもちあげて、上下に揺らして肉の歓びを存分に味わおうとする。
「七星……七星」
 伊吹がちいさくうめき、七星を呼んだ。

 声は七星の首筋におち、敏感になったうなじを震わせる。死んだ夫が刻んだ跡はずっと前に消え去っていた。なめらかな皮膚の下で、つがいのしるしを求めるオメガの本能がうごめく。
「いぶき、ああっ、すき、すき――」

 ふたりは崩れるようにシーツに倒れた。うつぶせになった七星は蕾をみせつけるように腰をあげ、背中から伊吹を受け入れる。伊吹の口は七星のうなじを肉食獣のように押さえつけていた。熱い息と舌がうなじをくりかえし舐め、七星の狂おしい欲望をさらにあおる。

「……きみがほしい、ほしくて、俺はもう――」
 首のうしろでつぶやく声に、七星の頭のすみでぱちん、と何かが弾けた。
「いぶき、あっ、ああっ、あげるから……ぜんぶ、僕をあげる……だからおねがい、おねが――ああああっ」

 アルファの本能がオメガの正しい場所をさぐりあてたとき、七星の声は甘い悲鳴に変わった。伊吹の歯は七星のうなじにつきたてられ、つがいのしるしを刻みこむ。そのあいだもオメガの細い腰はアルファの雄を咥えたままだ。

 頭の芯が真っ白になるような絶頂へ持ち上げられても、伊吹の唇は七星をとらえて離さず、つながった腰だけが大きく律動をくりかえす。ついに七星の奥に精をそそいだとき、伊吹の口からは誤解の余地のない愛の言葉が飛び出していた。

「七星、愛している……愛してる、俺のつがい――俺の――」
「いぶき、いぶき――」


   *


 なぜ自分たちはここにいるのか、なぜこうして抱きあっているのか。
 この部屋に閉じこめられたアルファとオメガのどちらにも、考える余裕は与えられていない。

 裸で重なりあい、愛をささやくふたりを橙色の照明が照らしている。その光を小さなレンズがとらえていた。壁にひとつ、天井にひとつ。

 運命のつがいの激情は、二台のカメラにはっきり捕らえられていた。



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