さだめの星が紡ぐ糸

おにぎり1000米

文字の大きさ
上 下
14 / 56
第2章 獣交む

5.的の範囲

しおりを挟む
 伊吹は七星の手を引き、急ぎ足で駐車場を横切った。

 エントランスの自動ドアをくぐり、外へ出た時はこんなつもりではなかった。ただ七星の様子を確認したかった。ところが彼の背中ををじろじろみているアルファが視界にはいったとたん、伊吹のこめかみの奥でプツリと何かが弾けた。これまで誰にも感じたことのない、独占欲のようなものが一気に心を占め、こんなところに彼を置いていけない、という思いで頭がいっぱいになった。
 そのとき七星が歩道にしゃがみこんだので、伊吹はあわてて走り寄った。

 私が送る、そういった伊吹を七星は拒絶しなかった。今も伊吹の手をぎゅっと握ってついてくる。駐車場にはひとけがなく、伊吹はほっとした。車にたどりつき、後部座席のドアをあけるときになって、やっと七星の手を離した。

 かすかに汗ばんだ手のひらを意識したとたん、強烈な香りが鼻の奥を突き刺した。七星に会うたび伊吹が感じている濃厚な蜜の香りと、ヒート特有の匂いがまざりあった甘い香りだ。もし妻がいなかったら、つがいのいないアルファだったら、抑制剤を飲んでいても手を握っただけで発情ラットしたかもしれない。

 もし蓮とつがいでなかったら――伊吹は頭にあらぬ想像をぎりぎりでふりきる、七星をシートに座らせた。

「楽な姿勢で。横になってもいい」
「すみません……大丈夫……です……僕、ご迷惑を……」
「気にしなくていい。どこまで送ればいい?」

 七星の声はくぐもったように小さくなり、ほとんど聞き取れない。伊吹がドアの外でかがんで顔を寄せようとすると、七星はびくっとして首をそらし、座席に置いたショルダーバックを引き寄せた。伊吹は七星のスマホをまだ片手に握っていたのに気づき、あわてて彼の膝に戻した。七星はうるんだ眸で伊吹をみつめている。
「ごめん。前に行くから」
 伊吹は運転席に乗りこんでシートベルトを締めた。やっと小さな声が聞こえる。
「ほんとうにすみません。家は柊町なので、そのあたりまで」
「番地は? できるだけ外を歩かない方がいい」
 わずかな間のあとで七星はいった。
「……柊町3の7の……セントレグルスというマンションで……」

 起動させたばかりのカーナビが音声を拾ってマップをひらいた。伊吹は車を出し、窓をすこしだけあけた。涼しい風が流れこんでも濃い蜜の香りは背後から伊吹を包みこむ。国道に出ても渋滞はなく、伊吹はカーナビの地図に従って道を急いだ。七星はひとことも口をきかず、バックミラーに映った顔は影に覆われている。

『次の交差点、右折です』
 カーナビが無感動な声で告げた。
「もうすぐだ。大丈夫?」
「……はい」

 不安をさそう沈黙のあとでかすれた声がきこえた。七星の住まいは戸建て住宅と緑地のあいだに建つ中層マンションだった。横手のやや狭い道から正面の道路へ回ろうとすると、急に七星がいった。
「ここでいいです」
「ここ?」
「そこ……」

 一旦停止してふりむくと、七星は植え込みを指でさしている。その横手、空の駐車スペースの奥に門扉がみえた。なるほど、ここから入れるのか。伊吹はうなずいたが、そのときバックミラーに後続車のライトが光った。とっさに駐車スペースに進入する。車が二台続けて走り去った。
「あの、伊吹さ――」
「私のことは気にしなくていい。降りて」

 七星が身じろぎするだけで甘い蜜の香りが漂う。急に伊吹の呼吸は苦しくなり、そのせいか命令するような口調になってしまった。七星はドアをあけて車からおりた。道にならぶ街灯のあかりがぼんやりあたりを照らしている。

 伊吹はハンドルに両手を置き、ボンネットの前を歩く七星のおぼつかない足取りをみつめた。だが車に残る七星の香りが意識をかすめたとたん、不安とも心配とも、名残り惜しさともつかない焦りを我慢できなくなった。
 伊吹はエンジンを切り、いそいで車を降りた。七星は門扉のまえでもたついている。
「どうした?」
 困惑したような眸が伊吹をみあげた。
「大丈夫……鍵がなかなか出てこなくて」

 門扉がひらいたとたん、ショルダーバックがどさっと地面に落ちた。伊吹はいそいでバッグを拾うと、七星の背中を押して先に行かせた。直角に折れたポーチの向こうに玄関ドアがあり、103と表示があった。七星は玄関の鍵をあけ、ドアをひき――そのとたん、なぜかその場にうずくまってしまった。
「七星?!」

 伊吹は声をあげたが、七星はうずくまったままだ。かがんで顔を近づけると荒い息づかいがきこえる。伊吹はドアをひきあけると、七星を正面から抱きかかえるようにして、どうにか中に入った。
「もうきみの家だ。しっかり……」

 励ますつもりでそういったとき、ドアが閉まった。暗い廊下の先にぼんやりと薄明かりがみえたが、家の中にひとけは感じられない。だが蜜の香りは伊吹を上から下まで包んでいる。どこもかしこも七星の匂いがする。

 伊吹はわれ知らず腕の中のぬくもりを抱きしめ、そのとたん頭のどこかでまた何かがプツリと弾けた。まるで見えない力が働いて、伊吹の中にあった閾を突き破ったようだった。

 それまでほとんど意識していなかった匂い――七星からあふれるヒートの匂いが、伊吹の鼻孔から頭の芯までつらぬくように駆け抜けた。耳の奥で血が鳴った。たちまち下半身に欲求がみなぎってくる。

 伊吹の腕の中で七星が体を揺らした。柔らかい髪が伊吹のあごをくすぐる。伊吹の片手はいつのまにか七星の背中をなでおろしていた。パーカーの下の体が柔らかく伊吹におしつけられ、七星の両手が伊吹の背中にからみつく。暗すぎて七星の顔はほとんどみえなかった。それなのに吐息の熱さでたがいの唇の距離はわかり、次の瞬間ゼロになった。



しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

それが運命というのなら

藤美りゅう
BL
元不良執着α×元不良プライド高いΩ 元不良同士のオメガバース。 『オメガは弱い』 そんな言葉を覆す為に、天音理月は自分を鍛え上げた。オメガの性は絶対だ、変わる事は決してない。ならば自身が強くなり、番など作らずとも生きていける事を自身で証明してみせる。番を解消され、自ら命を絶った叔父のようにはならない──そう理月は強く決心する。 それを証明するように、理月はオメガでありながら不良の吹き溜まりと言われる「行徳学園」のトップになる。そして理月にはライバル視している男がいた。バイクチーム「ケルベロス」のリーダーであるアルファの宝来将星だ。 昔からの決まりで、行徳学園とケルベロスは決して交わる事はなかったが、それでも理月は将星を意識していた。 そんなある日、相談事があると言う将星が突然自分の前に現れる。そして、将星を前にした理月の体に突然異変が起きる。今までなった事のないヒートが理月を襲ったのだ。理性を失いオメガの本能だけが理月を支配していき、将星に体を求める。 オメガは強くなれる、そう信じて鍛え上げてきた理月だったが、オメガのヒートを目の当たりにし、今まで培ってきたものは結局は何の役にも立たないのだと絶望する。将星に抱かれた理月だったが、将星に二度と関わらないでくれ、と懇願する。理月の左手首には、その時将星に噛まれた歯型がくっきりと残った。それ以来、理月が激しくヒートを起こす事はなかった。 そして三年の月日が流れ、理月と将星は偶然にも再会を果たす。しかし、将星の隣には既に美しい恋人がいた──。 アイコンの二人がモデルです。この二人で想像して読んでみて下さい! ※「仮の番」というオリジナルの設定が有ります。 ※運命と書いて『さだめ』と読みます。 ※pixivの「ビーボーイ創作BL大賞」応募作品になります。

処理中です...