さだめの星が紡ぐ糸

おにぎり1000米

文字の大きさ
上 下
11 / 56
第2章 獣交む

2.暗い連星

しおりを挟む
「それでは、3、2、1の掛け声と共にテープカットを致します。一斉にテープにハサミをいれてください。……参ります。新創造アート・シティ、アートコンプレックス〈プラウ〉オープンです。3、2、1、どうぞ!」
 金色のポールに渡された紅白のリボンの前で、蓮と他の来賓たちがハサミをひらめかせる。報道陣や記録係がひとしきりシャッター音を鳴らすと同時に拍手が湧きおこった。
「ありがとうございました。それでは以上をもちまして、式典を終了いたします。どうもありがとうございました」

 また拍手が起きる。赤いカーペットの上で蓮は余裕の微笑みをうかべ、他の来賓と話している。伊吹はすこし離れたところからその様子を眺めていた。蓮をみつめているのは伊吹だけではなかった。そこだけ光が当たったように、妻の細い肢体と美貌は周囲から浮き上がってみえる。

「三城君、私はここで帰らせてもらうよ」
 上司の高橋が伊吹に目を向けていった。
「本社に戻られますか?」
「いや、私用がある。奥方には始まる前にご挨拶したからこれで失礼する。あとはよろしく頼む」
「ご足労ありがとうございました。お疲れさまでした」

 伊吹は礼をして高橋を見送った。土曜日というのもあっていつもよりゆったり過ごすつもりで出勤したのに、会場に直行すると聞いていた高橋の予定が変わった結果、意外に気ぜわしい一日になってしまった。ユーヤに立ち寄る時間はやはりなかった。

〈プラウ〉の正面をふりむくとエントランスに人々が吸いこまれていく。中庭に面したレストランでこのあと懇親会がはじまるのだ。ビジネススーツやドレッシーなワンピースの中にカジュアルな服装の男女がちらほら混じっている。招待状は財団関係者だけでなく、地元の商店街組合や学生、アーティストにも送られたという話だった。
 伊吹は蓮に追いつこうと大股になった。横に並ぶと蓮は伊吹を横目でみた。
「遅いよ」

 伊吹は軽くうなずいただけだ。蓮の指には伊吹と揃いの指輪が光っている。エントランスロビーの中央には銀色の彫刻が飾ってあり、人々はその周囲をぐるりとまわるように歩いて会場のレストランへ入っていく。

〈プラウ〉の大ホールはミザール、小ホールはアルコルと名付けられていた。ミザールは北斗七星の六番目の星で、アルコルはその連星だという。ミザールの横にアルコルが見えるか、というのが視力の判定に使われていた、という解説がパンフレットに書かれていた。
 この施設は北斗七星をコンセプトに設計されていて、ホール以外のスタジオやギャラリーにも星の名前がつけられているらしい。大ホールのこけら落としは五月中旬にはじまるミュージカル公演だが、ギャラリーでは明日からグラフィックアーティスト、佐枝零の展覧会が一般公開される。

 蓮は胸に来賓のリボンをつけたままだった。ふわりと馴染んだ香りが立つ。蓮の香水「パドマ」だ。伊吹も同じものを持っているが、蓮に追いついたとたん、今日はつけるのを忘れていたと思い出した。
 かしこまった案内係が二人をレストランに導く。受付を待つ人の列の横をすました顔で通りすぎた蓮は、特別扱いに慣れていて眉も動かさない。バーコーナーとボックス席の先が立食スタイルのパーティ会場にしつらえられ、中庭に面したテラスにもクロスのかかったテーブルが並んでいる。

 給仕がグラスの載った盆を差し出した。淡い金色に輝く液体に細かな気泡があがっている。蓮は躊躇せずグラスをとったが、伊吹は給仕に小声でたずねた。
「ノンアルコールは?」
「お待ちください」
 給仕が別の盆を持って来るのを待っていると、蓮の視線がちらりと伊吹に流れた。
「乾杯のときくらいつきあえばいいのに」
「駐車場に車を停めてある」

 分室から上司を乗せてここまで来たので、伊吹にしてみれば当然の答えだった。だが蓮はお気に召さなかったようだ。
「伊吹は乱れるって言葉を知らないからな」
 小馬鹿にしたような口調だった。
「おかげで僕は肩がこる。車なんてどうにでもなるのに。ま、一般人の感覚が抜けないのは仕方ないか」

 たしかにその通り。蓮を乗せてきた運転手は名族のスタッフ専用の控室に待機しているのだろうし、呼べば代行スタッフもすぐにあらわれるにちがいない。蓮と結婚してからというもの、伊吹はこれまで知らなかった「名族専用のきめ細やかなサービス」なるものにいたるところで接している。

 伊吹はけっしてアルコールに弱いわけではない。だが外で飲むことはめったになかったし、どこだろうと蓮の前で酔ったことは一度もなく、蓮はそれが気に入らないのだった。
 それに、移動をひとまかせにしないこと――いつでも自分の意思で動けるようにしておくことは、名族に婿入りした庶民のアルファである伊吹のひそかな矜持だったが、蓮にその意味はわからないにちがいない。

 テラスの近くに固まっていた人々が蓮に目を向ける。いまの伊吹は名族に連なる人々をすぐに見分けることができた。たとえベータであっても、金のかかった服装や物腰に特有の雰囲気があるのが名族である。もちろん伊吹もいまや名族の一員だ。しかしいまだに自分が彼らの中に溶けこんでいるとは思えなかった。

 蓮と結婚するまで、伊吹は学校や就職先で周囲の人々よりも抜きんでていた自覚がある。ところが宮久保家の一員となったとたん、伊吹は蓮という輝く星のすぐそばにいるだけの目立たない存在になった。

 もろもろの事情があったとはいえみずから選んだことだ。ときおり虚しさを感じることはあっても、伊吹は後悔はしていなかった。第一、虚しいとは何事だと大学時代の旧友なら文句をいうかもしれなかった。なにしろこの場には蓮に触れることのできる伊吹を羨ましく思う人間も――名族であるかないかにかかわらず――何人もいておかしくないのだ。蓮は少年のころから崇拝者を何人も従えているタイプのオメガだった。

 それでも蓮と伊吹がつがいであることはベータ以外の性には匂いでわかる。そしてベータであっても、伊吹を気にせず蓮に気安く近づく男は親族くらいである。
「間違わずにテープカットできたみたいだな」
 その数少ない例外のひとり、蓮の従兄がいま人々のあいだをするりと抜けてやってきた。蓮の表情がぱっと明るくなった。
「ひどいよ武流。除幕式に間に合わなかったくせにそんなこというなんて」

 姉たちには来なくていいといったのにベータの従兄はちがったらしい。だが唇を尖らせていても非難しているわけではなかった。
「パーティは間に合ったんだからいいだろう。これから始まるんだよな?」
 武流は伊吹に目をやり、ライムソーダのグラスをみて眉をあげる。
「あいかわらず存在が希薄だぞ、伊吹。大丈夫か?」
「主役は蓮だからな」
「先に乾杯しようぜ。蓮、ほら」
 武流がグラスをあげ、そのとたんふわりと漂った香水はまたも伊吹とおなじ香りだった。

『みなさま、おそろいになりましたでしょうか』
 マイクのアナウンスが響き、この場にいる全員の注意が声の方向を探した。蓮が武流の横に並んだので伊吹はそっと後ろへ下がった。

 いつのまにか会場は人でいっぱいになっていて、盆をさげた黒服の給仕がそのあいだを縫うように飲み物を配っていた。伊吹はなんとなくあたりを見回す。司会者が部屋の隅でマイクを握り、パーティ会場にはさまざまな服装をしたさまざまな顔があふれていたが、強い印象を与えるものはなにひとつなかった。名族のアルファたちや蓮の美しく整った顔でさえ、積みあげられたレンガのように他の顔の中に埋没して感じられる。みな、この社会をつくるパーツのひとつにすぎないのだ。

 そんな虚しくなるだけの思考から意識を無理やり引き剥がそうとしたとき、甘い香りが伊吹の鼻をくすぐった。
 ――七星?

 まさか。きっとただの錯覚だ。わずかな香りの気配はすぐに消え失せ、伊吹は勘違いをしたにちがいないと思った。だがそれも一瞬だった。またかすかに蜜が香った。
 いったいどこから?
 伊吹はライムソーダのグラスを握りしめ、香りの源を求めて目を泳がせた。



しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

僕は君になりたかった

15
BL
僕はあの人が好きな君に、なりたかった。 一応完結済み。 根暗な子がもだもだしてるだけです。

処理中です...