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第1章 四月の魚
7.熱の予感
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スーツの背中がみえなくなったあとも七星はぼうっとしていたようだ。鼻腔にまだ甘い香りが残っている気がする。いったい何をつけているんだろう?
そのせいか魚居の声をきいたとたん、飛びあがりそうなほど驚いてしまった。
「ずいぶん楽しそうだったね」
魚居蘭は加賀美とならんで立ち、腕を組んで人の悪そうな笑みを浮かべている。
「え、そうでした?」
「あんな七星の声、ひさしぶりに聞いたよ。知りあい?」
「知りあいってわけじゃ……」
七星はためらった。二回すれちがったくらいでは知りあいとはいえないだろう。
「川の向こうの会社のひとみたいです。コーヒーチケット買ってくれたんですよ」
「あっち側は自動販売機しかないからな。加賀美さん、ちょっと待ってもらえる? 電話来てる――はい、どうしたの?」
魚居は背中を向けたとき、急に思い出した。知りあいといえば、さっきのアルファは加賀美と話していなかったか?
「あの、加賀美さん。今のお客さんのこと知っていたみたいですけど……」
「今の? ああ、三城さんか。一度会ったことがある」
彼はみしろというのか。心臓がどくんとはねた。
「加賀美さんとお知りあいってことは、文化事業とかそういう関係の?」
「いや。彼はちがう――」
「七星、私はちょっと加賀美さんと出てくる」
魚居がふりむいて早口でいった。表情はさっきとうってかわって暗くなっている。
「いま事務所誰もいないから、電話あったらこっちで取ってもらえる?」
「はい」
七星はふたりのアルファの背中を見送りながら、加賀美はやはりユーヤの今後について話をしにきたのだろうと思った。実のところ半年後の七星の仕事だってどうなるかわからないのだ。カフェを切り回していたスタッフがやめてしまったのも、ユーヤの先行きがあやういことに関係していた。
とはいえ、静けさが戻ったカフェで七星の頭にうかんだのは、またもさっきのアルファの男だった。
ひとまず四月前半のあいだ、カフェは二交代で回すことになっていた。翌日の火曜と水曜日、七星は四時からの当番だった。あのアルファが昼に来たか気になってたまらなかったが、誰かにたずねるわけにもいかないし、七星はひとりでそわそわしていた。
ユーヤのカフェは、平日なら日が暮れるころから夜にかけてもっとも客が増える。帰宅途中で立ち寄ったらしい会社員がテーブルで本を読んでいたり、学生が参考書を広げていたりする。水曜の夕方はギャラリーで搬入作業中の作家も休憩に来ていた。金曜から一階でグループ展がはじまるのである。いつもよりがやがやしたカフェの空気を味わっているとき、またもあの香りが七星に届いた。
どきりとしたものの、前のように驚きはしなかった。あのアルファは今日もスーツだった。ポケットからチケットを取り出しながら、七星をみて唇のはしをあげた。
「こんばんは」
七星もすこし笑った。
「またのお越しありがとうございます」
「カフェラテを。砂糖なしで」
カウンターに飲み物のカップを置くと、相手はカフェをざっとみまわして「今日はひとが多いね」といった。
「こういう日もあります。あ、待って……これ、よければ」
七星は展覧会のチラシをさしだした。
「金曜からです。もし興味あったら……金曜の夜や週末は作家さんにも会えますよ」
「ありがとう」
相手がチラシをうけとったとき、光が反射した。指輪――そうだろう。七星はしっかり覚えていた。病院ですれちがった日は奥さんを迎えにいったのだと彼が話したのを。
テーブルがそれなりに埋まっていたからか、アルファの客はカウンターのすぐ近くのスツールに腰をおろした。七星が渡した展覧会の案内を読んでいる。
みしろ、と加賀美が呼んだのを七星は思い起こした。どんな漢字を書くのだろう。ぼんやり考えていると視線に気づいたようにすっと顔をあげたので、七星はあわてて目をそらした。
僕はなにをしているんだ。変なやつだと思われる――そう思っても、七星の目は勝手にそっちを、彼の方を向こうとする。漂ってくる甘い香りはコーヒーや、カフェに漂う他の匂いにまじりあったりしなかった。その香りだけが、まるで蜘蛛の糸のように七星の髪や顔にからみつくような気がするのだ。しかもそれがちっとも不快ではない。むしろもっと――もっと包まれたいと思ってしまう。
香水でこんなことになるなんて。他の人は気づかないんだろうか? 僕がオメガだから過剰に気になるだけなのか。
七星は救いをもとめるように周囲をみまわし、客が立ったあとのテーブルを片づけはじめた。それでも香りが気になって、あのアルファがいる方をふりむきそうになる。気にしすぎて首が痛くなったとき、香りの源が動いたのがわかった。みえないロープにひっぱられたように七星はついにふりむいてしまった。スツールを立つスーツの背中がみえた。帰るのだ。そう思ったとたんむしょうに切ない気持ちが押しよせて、七星は当惑した。
僕はいったい――どうなってるんだ?
あの人がふりむく。七星の足はあやつられているように動いた。他のものが何もみえなくなるような、自分と彼と、ふたりだけしかいないような、不思議な感覚だった。
「ごちそうさま」
「ありがとうございます。 また……どうぞ」
「ああ」
彼が行ってしまう。あたりまえのことが理不尽なしうちのように思えた。
七星は混乱して頭をふった。匂いが、香水が原因だとしたら、たずねてみるのはどうだろう? そんな考えがうかび、あわてて打ち消す。
そんなのありえない。それにカフェにいる他の人は誰も気にしていないようだ。僕だけがおかしいのか?
甘い香りは元凶がいなくなるとだんだん薄れ、七星の記憶にのこるだけになった。
次の日、木曜のカフェ当番は前半のシフトだ。十二時をすぎたあと七星はずっとそわそわしていたが、彼はあらわれなかった。
がっかりするのもおかしな話だった。たまたま何回か出くわしてすこし話をしただけの、何の関係もないアルファの男。結婚している、つまりつがいがいるのなら、七星のことを気にするはずもないし、七星だって関わりたいと思うはずがない――それなのに、仕事がおわって帰路についたとき、七星は自分が落ちこんでいるのを自覚せずにはいられなかった。
一日顔をみなかっただけで?
馬鹿げてる。
金曜のカフェ当番も前半のシフトだったが、終わっても七星は帰らなかった。土曜に予定されたトークイベントの準備は七星の担当で、作業がまだ残っていた。菓子パンとおにぎりを食べながら、配布資料にミスがあるのに気づいて一度直し、さらに間違えているのに気づいてもう一度作り直す。
何気なく顔をあげると事務所には誰もいなかった。七時。今日からはじまった展示をまだみていないことを思い出して、七星は席を立った。
ガラス扉のむこうは人影でごった返しているが、こんな風になるのは初日のこの時間だけだ。来ているのは参加作家と、オープニングに招待された関係者や友人たち、あとはユーヤのスタッフ。ところが扉をおしあけたとたん、七星の体は硬直してしまった。甘い香りが鼻についたからだ。
「七星くん、お疲れさま」
祥子の声に呪縛が解けた。
「祥子さん、この――」
香りの人は? とっさにそう聞こうとして、七星は言葉を飲みこんだ。あいまいな笑みを返してギャラリーをみわたしたが、七星がさがす人物はみえない。たしかに感じたと思った香りはすぐにまぎれてわからなくなった。
勘違いか。そう思ったとき扉のすぐ横におかれた芳名帳に目が留まった。くっきりした筆跡の「三城」という文字がみえた。七星はふらふらと近づいて行った。書かれているのは名前だけだった。三城伊吹。
これはあの人の名前だろうか。あれは残り香だったのか。
いまいましいような、くやしいような、自分でも正体のわからない気持ちをかかえたまま七星は帰路についた。閉店まぎわのスーパーで売れ残りの惣菜を買ってマンションに戻ると、郵便受けからハガキがぴょんと飛び出している。
そういえば今週は郵便受けをぜんぜんあけなかった。実家の家族からの連絡をはじめ、重要な知らせはたいていメールで来る。郵便で来るものは広告がほとんどだ。とくにマンションの名義を変えたあと、査定や売却を勧める不動産屋のダイレクトメールが大量に届くようになった。登記簿を調べて送って来るらしい。
案の定、どっさりたまった郵便をリビングの床に放り投げたら、封書の半分がそうだった。それ以外は医療保険と、幼児向け学習塾や学資保険――そう、七星くらいの年齢でファミリー向けマンションに住んでいるオメガには小さな子供がいてもおかしくない――それにキャリアアップ講座のダイレクトメールばかり。
それを全部まとめて小さな山にして、最後に残ったのは淡いグリーンのパッケージだ。見慣れたマークは七星がヒートの周期を記録しているアプリのアイコンだった。提携企業の商品サンプルにちがいない。あんなに郵便が来ていても、みるべきものはこれくらいか。
機械的な動作でボール紙をあけると、中身は細長い付箋紙のような大きさのプラスチックのケースだった。送付状によればアルファとオメガの相性を調べるキット、最新式のやつだ。試験紙の両端を舐めるだけでわかるという。
似たようなキットは前にも、彰が生きていた頃にも送られてきたことがあった。そのときは彰にみつかるまえに捨てたのだ。彰に見せたら最後、やってみようといわれそうな気がしたが、七星は試したくなかった。
これをもしあの人と試したらどんな結果が出るだろう?
ふと頭をよぎった考えにはっとした。
何を考えているんだ、僕は。あの人にはつがいがいるじゃないか。きっと僕はただ、あの人の匂いに……つけている香りにあてられているだけで……。
あの人と最初に会ったのはいつだっけ?
四月一日だ。エイプリルフールだった。それもただすれちがっただけだ。あれから七日しかたっていない。そのあいだに何度か顔をあわせて、何度か話した。それだけだ。
僕はどうかしてる。
七星はキットを握りしめたまま両手で自分のからだを抱きしめ、リビングの床にうずくまった。
そのせいか魚居の声をきいたとたん、飛びあがりそうなほど驚いてしまった。
「ずいぶん楽しそうだったね」
魚居蘭は加賀美とならんで立ち、腕を組んで人の悪そうな笑みを浮かべている。
「え、そうでした?」
「あんな七星の声、ひさしぶりに聞いたよ。知りあい?」
「知りあいってわけじゃ……」
七星はためらった。二回すれちがったくらいでは知りあいとはいえないだろう。
「川の向こうの会社のひとみたいです。コーヒーチケット買ってくれたんですよ」
「あっち側は自動販売機しかないからな。加賀美さん、ちょっと待ってもらえる? 電話来てる――はい、どうしたの?」
魚居は背中を向けたとき、急に思い出した。知りあいといえば、さっきのアルファは加賀美と話していなかったか?
「あの、加賀美さん。今のお客さんのこと知っていたみたいですけど……」
「今の? ああ、三城さんか。一度会ったことがある」
彼はみしろというのか。心臓がどくんとはねた。
「加賀美さんとお知りあいってことは、文化事業とかそういう関係の?」
「いや。彼はちがう――」
「七星、私はちょっと加賀美さんと出てくる」
魚居がふりむいて早口でいった。表情はさっきとうってかわって暗くなっている。
「いま事務所誰もいないから、電話あったらこっちで取ってもらえる?」
「はい」
七星はふたりのアルファの背中を見送りながら、加賀美はやはりユーヤの今後について話をしにきたのだろうと思った。実のところ半年後の七星の仕事だってどうなるかわからないのだ。カフェを切り回していたスタッフがやめてしまったのも、ユーヤの先行きがあやういことに関係していた。
とはいえ、静けさが戻ったカフェで七星の頭にうかんだのは、またもさっきのアルファの男だった。
ひとまず四月前半のあいだ、カフェは二交代で回すことになっていた。翌日の火曜と水曜日、七星は四時からの当番だった。あのアルファが昼に来たか気になってたまらなかったが、誰かにたずねるわけにもいかないし、七星はひとりでそわそわしていた。
ユーヤのカフェは、平日なら日が暮れるころから夜にかけてもっとも客が増える。帰宅途中で立ち寄ったらしい会社員がテーブルで本を読んでいたり、学生が参考書を広げていたりする。水曜の夕方はギャラリーで搬入作業中の作家も休憩に来ていた。金曜から一階でグループ展がはじまるのである。いつもよりがやがやしたカフェの空気を味わっているとき、またもあの香りが七星に届いた。
どきりとしたものの、前のように驚きはしなかった。あのアルファは今日もスーツだった。ポケットからチケットを取り出しながら、七星をみて唇のはしをあげた。
「こんばんは」
七星もすこし笑った。
「またのお越しありがとうございます」
「カフェラテを。砂糖なしで」
カウンターに飲み物のカップを置くと、相手はカフェをざっとみまわして「今日はひとが多いね」といった。
「こういう日もあります。あ、待って……これ、よければ」
七星は展覧会のチラシをさしだした。
「金曜からです。もし興味あったら……金曜の夜や週末は作家さんにも会えますよ」
「ありがとう」
相手がチラシをうけとったとき、光が反射した。指輪――そうだろう。七星はしっかり覚えていた。病院ですれちがった日は奥さんを迎えにいったのだと彼が話したのを。
テーブルがそれなりに埋まっていたからか、アルファの客はカウンターのすぐ近くのスツールに腰をおろした。七星が渡した展覧会の案内を読んでいる。
みしろ、と加賀美が呼んだのを七星は思い起こした。どんな漢字を書くのだろう。ぼんやり考えていると視線に気づいたようにすっと顔をあげたので、七星はあわてて目をそらした。
僕はなにをしているんだ。変なやつだと思われる――そう思っても、七星の目は勝手にそっちを、彼の方を向こうとする。漂ってくる甘い香りはコーヒーや、カフェに漂う他の匂いにまじりあったりしなかった。その香りだけが、まるで蜘蛛の糸のように七星の髪や顔にからみつくような気がするのだ。しかもそれがちっとも不快ではない。むしろもっと――もっと包まれたいと思ってしまう。
香水でこんなことになるなんて。他の人は気づかないんだろうか? 僕がオメガだから過剰に気になるだけなのか。
七星は救いをもとめるように周囲をみまわし、客が立ったあとのテーブルを片づけはじめた。それでも香りが気になって、あのアルファがいる方をふりむきそうになる。気にしすぎて首が痛くなったとき、香りの源が動いたのがわかった。みえないロープにひっぱられたように七星はついにふりむいてしまった。スツールを立つスーツの背中がみえた。帰るのだ。そう思ったとたんむしょうに切ない気持ちが押しよせて、七星は当惑した。
僕はいったい――どうなってるんだ?
あの人がふりむく。七星の足はあやつられているように動いた。他のものが何もみえなくなるような、自分と彼と、ふたりだけしかいないような、不思議な感覚だった。
「ごちそうさま」
「ありがとうございます。 また……どうぞ」
「ああ」
彼が行ってしまう。あたりまえのことが理不尽なしうちのように思えた。
七星は混乱して頭をふった。匂いが、香水が原因だとしたら、たずねてみるのはどうだろう? そんな考えがうかび、あわてて打ち消す。
そんなのありえない。それにカフェにいる他の人は誰も気にしていないようだ。僕だけがおかしいのか?
甘い香りは元凶がいなくなるとだんだん薄れ、七星の記憶にのこるだけになった。
次の日、木曜のカフェ当番は前半のシフトだ。十二時をすぎたあと七星はずっとそわそわしていたが、彼はあらわれなかった。
がっかりするのもおかしな話だった。たまたま何回か出くわしてすこし話をしただけの、何の関係もないアルファの男。結婚している、つまりつがいがいるのなら、七星のことを気にするはずもないし、七星だって関わりたいと思うはずがない――それなのに、仕事がおわって帰路についたとき、七星は自分が落ちこんでいるのを自覚せずにはいられなかった。
一日顔をみなかっただけで?
馬鹿げてる。
金曜のカフェ当番も前半のシフトだったが、終わっても七星は帰らなかった。土曜に予定されたトークイベントの準備は七星の担当で、作業がまだ残っていた。菓子パンとおにぎりを食べながら、配布資料にミスがあるのに気づいて一度直し、さらに間違えているのに気づいてもう一度作り直す。
何気なく顔をあげると事務所には誰もいなかった。七時。今日からはじまった展示をまだみていないことを思い出して、七星は席を立った。
ガラス扉のむこうは人影でごった返しているが、こんな風になるのは初日のこの時間だけだ。来ているのは参加作家と、オープニングに招待された関係者や友人たち、あとはユーヤのスタッフ。ところが扉をおしあけたとたん、七星の体は硬直してしまった。甘い香りが鼻についたからだ。
「七星くん、お疲れさま」
祥子の声に呪縛が解けた。
「祥子さん、この――」
香りの人は? とっさにそう聞こうとして、七星は言葉を飲みこんだ。あいまいな笑みを返してギャラリーをみわたしたが、七星がさがす人物はみえない。たしかに感じたと思った香りはすぐにまぎれてわからなくなった。
勘違いか。そう思ったとき扉のすぐ横におかれた芳名帳に目が留まった。くっきりした筆跡の「三城」という文字がみえた。七星はふらふらと近づいて行った。書かれているのは名前だけだった。三城伊吹。
これはあの人の名前だろうか。あれは残り香だったのか。
いまいましいような、くやしいような、自分でも正体のわからない気持ちをかかえたまま七星は帰路についた。閉店まぎわのスーパーで売れ残りの惣菜を買ってマンションに戻ると、郵便受けからハガキがぴょんと飛び出している。
そういえば今週は郵便受けをぜんぜんあけなかった。実家の家族からの連絡をはじめ、重要な知らせはたいていメールで来る。郵便で来るものは広告がほとんどだ。とくにマンションの名義を変えたあと、査定や売却を勧める不動産屋のダイレクトメールが大量に届くようになった。登記簿を調べて送って来るらしい。
案の定、どっさりたまった郵便をリビングの床に放り投げたら、封書の半分がそうだった。それ以外は医療保険と、幼児向け学習塾や学資保険――そう、七星くらいの年齢でファミリー向けマンションに住んでいるオメガには小さな子供がいてもおかしくない――それにキャリアアップ講座のダイレクトメールばかり。
それを全部まとめて小さな山にして、最後に残ったのは淡いグリーンのパッケージだ。見慣れたマークは七星がヒートの周期を記録しているアプリのアイコンだった。提携企業の商品サンプルにちがいない。あんなに郵便が来ていても、みるべきものはこれくらいか。
機械的な動作でボール紙をあけると、中身は細長い付箋紙のような大きさのプラスチックのケースだった。送付状によればアルファとオメガの相性を調べるキット、最新式のやつだ。試験紙の両端を舐めるだけでわかるという。
似たようなキットは前にも、彰が生きていた頃にも送られてきたことがあった。そのときは彰にみつかるまえに捨てたのだ。彰に見せたら最後、やってみようといわれそうな気がしたが、七星は試したくなかった。
これをもしあの人と試したらどんな結果が出るだろう?
ふと頭をよぎった考えにはっとした。
何を考えているんだ、僕は。あの人にはつがいがいるじゃないか。きっと僕はただ、あの人の匂いに……つけている香りにあてられているだけで……。
あの人と最初に会ったのはいつだっけ?
四月一日だ。エイプリルフールだった。それもただすれちがっただけだ。あれから七日しかたっていない。そのあいだに何度か顔をあわせて、何度か話した。それだけだ。
僕はどうかしてる。
七星はキットを握りしめたまま両手で自分のからだを抱きしめ、リビングの床にうずくまった。
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