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第3部 ギャラリー・ルクス

10.濡れた硝子(前編)

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 俺は石畳を走って門扉をあけ、車を通した。窓からのぞいた藤野谷の顔はうす暗い門灯のために土色にみえる。鍵をかけてガレージの前に戻り、車から降りた姿に「天、いまスピフォトの――」と話そうとして、疲れた表情にはっとした。
 藤野谷は低い声でこたえた。
「知ってる。今対応しているところだ」
 そのままスーツの腕が俺を抱えこみ、俺も黙ってされるままになっていた。藤野谷はしばらくじっとそのままでいて、そして俺のひたいの上でささやく。
「ごめん、サエ」

 藤野谷の匂いと色につつみこまれ、俺は大きく息をついたが、とたんに背筋をぞくぞくとふるえが駆け下りた。藤野谷は俺を腕の中に抱えこんだままガレージへ押しやった。自分でシャッターをおろし、壁に俺の背中を押しつけ、覆いかぶさってくる。いつものキス――のはずが、藤野谷の舌が触れたとたん、体じゅうをかけめぐる血を意識する。肌に甘くしびれがはしった。
 藤野谷の腕がゆるんだ。

「……ヒート?」
 頬のすぐそばでささやかれ、俺は顔が熱くなるのを感じた。こんなときにこんな風になる自分が悔しく、恥ずかしかった。

「不安定だから、最近間隔が……短いんだ。離れないとおまえまで……」
「サエ」
 俺は体をねじり、藤野谷の腕から逃れる。
「緩和剤……とってこないと。中に――」

 追ってくる眸から顔をそむけ、俺は飛び跳ねるように家にあがる。洗面所に駆けこみ、そのいきおいで扉を閉めようとしたが、中途半端にひらいてしまう。
「サエ、俺がいる」
 狭い洗面所のなかで藤野谷の体が俺を圧倒した。緩和剤のアンプルを取り出す間もなく腕をつかまれる。洗面台に尻を押しつけられ、なかば腰かけるような恰好になった俺を藤野谷が見下ろした。

「俺がいるからそんなもの使うな」
「でも」
「だめだ」

 反論が藤野谷の唇でふさがれる。もやがかかったようなヒートの熱が頭に侵食して、舌の動きでさらに増長する。俺の髪をかきまわしていた手が首のうしろをなぞるだけで背中から力が抜ける。前が張りつめて堅くなり、反対に後ろは濡れ、ひくひくと甘くうずいた。

「天、やめて……」

 襟のボタンが外され、藤野谷の舌が首から鎖骨へ下りた。俺の背中を支えながら上目でみつめられる。まぶたの下に欲情の影が濃くおち、まなざしはほとんど獰猛な色をうかべている。腰を抱えられた拍子に膝がくずれた。視界がくるりと回り、俺は床に倒れている。上に覆いかぶさってきた藤野谷のスラックスの前が盛り上がり、俺のそれと触れ合う。

 気持ちがいい。気持ちがよくてたまらない。それなのに俺は涙目になっている。

「天……」
 俺は手をのばして藤野谷の顔を押し戻そうとした。
「いやなんだ」
 藤野谷の動きが止まった。俺の顔のすぐ横に片手をつき、もう片手で俺の顎をつかむ。指が触れるだけでうなじがびくっとする。
「どうして?」
 低い声が俺を詰問した。
「なぜいやなんだ?」
「なぜ?」
 涙があふれ、耳まで落ちた。

「やだよ……当たり前だろ――こんなときに……ヒートなんて……こんなだからオメガなんて――俺は……」

 そういってみても言葉とは裏腹に俺の体はもう、藤野谷の小さな動きにも反応していた。彼の吐息ひとつだけでも、皮膚の内側の脈ひとつひとつが小さな快感をひろってぞくぞくする。
 藤野谷はなだめるようにいいかけた。
「サエ、ヒートは」
「ただの生理現象だろ?」
 俺は吐き出すようにいった。藤野谷の指が顎をつかんだままなのでうまく喋れない。

「どうしようもないんだ。ヒートがきたら俺は何もできない。何も……それに俺のせいでおまえまでラットする――」

 とつぜん藤野谷の唇にうすく笑みがうかんだ。俺を床に倒したまま体を起こし、上着を脱いでモバイルを取り出す。放り出されたジャケットから藤野谷の匂いがあふれた。足の上に乗られたところから甘い熱が俺の腰を伝わり、どくんと脈がひとつ打って、また下着が濡れる。

 思わず漏れかけた声を俺はこらえた。藤野谷は液晶画面をみつめながら片手で数度タップし、もう片手で俺のシャツの残りのボタンをはずしていく。むき出しになった俺の乳首を指がなぞったとき、モバイルが鳴った。

「ああ。緊急だ。明日と明後日はキャンセル。だめだ、俺は出られない」
 藤野谷の声は落ちついていて、冷たい水のように響いた。指が俺の右の乳首をこね、潰す。
「あっ……」
 ついに声が出て、即座に俺は歯を食いしばる。
「それから渡来さんに例の件の対応をと伝えてくれ。まかせて大丈夫だ。ああ、よろしく」
 藤野谷はもう一度タップするとモバイルを無造作に放った。
「サエ」俺の胸に顔を寄せてささやく。
「おまえのヒートは単なる生理現象じゃない」
「だったらなんだって……」
「俺がサエを愛していいしるしだ」

 ぬるりと胸をなめられた。乳首にちりちりと痛みが走る。ベルトがゆるみ、下着が中途半端に下げられ、張りつめた前が解放される。藤野谷に小さく揺さぶられるだけで甘い感覚に襲われた。薄いシャツごしに感じる冷たい床だけがかすかに残った俺の正気をささえていて、俺はなんとか言葉を絞り出す。

「でもおまえの会社……あっ……」
「大丈夫」

 無駄だった。欲情がはっきりわかる低い声が俺の骨に直接響く。藤野谷の唇がぴちゃりと俺の胸のあたりで音を立てる。立てた膝のあいだに服を着たままの藤野谷の股間が擦りつけられ、激しく揺さぶられた。俺の腰の奥はとっくに蕩けたようになっていた。
 口ではなんといっても欲しくてたまらない。そんな自分がたまらなく恥ずかしい。

「心配いらないから、サエ」
 上から藤野谷の声が降ってくる。俺の皮膚にしみこむ。
「もっと乱れて」
「あ、天、あ、あ……」 
「サエが欲しがってくれないと、俺は許されない」

 俺の尻を両手でつかんで、藤野谷は腰をぴったりつけて揺らしつづける。重みが胸の上にのしかかり、舌が俺の口を蹂躙し、内側をなぞって吸い上げられた。俺は手をのばしてやみくもに藤野谷の服をつかんだ。直接肌に触れたかった。それ以外のことを考えられない。

 ふいに背中が宙に浮いた。俺は焦って藤野谷の首にしがみついたが、抱え上げた腕は揺るがなかった。怖くなって思わず目をつむる。数歩で自分のベッドに投げ出され、マットレスの感触にほっとした。裸になった藤野谷が上にかぶさってくると、俺にまとわりついていた布をすべてはぎとる。そのわずかな手間ももどかしい。熱い手のひらが腹から太腿を撫で、焦らすように中心をかすめた。

「ああ、サエ。きれいだ……すごく甘い……」

 どろっと後ろが濡れた。俺はとっくに物欲しげに腰を揺らしていた。足を曲げられ、股を大きく広げられる。藤野谷の指が俺の後口をなぞると、奥へ入りこんでまさぐる。羞恥も理性も消しとんだ。俺は藤野谷の猛った欲望をみつめ、口走る。

「天、来て、来て――」
 楔が埋めこまれた瞬間、入口を抜けるきつさに息が止まりそうになって俺は喘いだ。上から覆いつくすような藤野谷の匂いに、痛みがたちまち薄れて甘いしびれに変わる。藤野谷がふうっと吐息をつき――次の瞬間はげしく奥を突かれた。

「ああああああっ」

 衝撃で吐精した俺のペニスを藤野谷の手がつかむ。眼を閉じたまま、俺は自分が吐き出したしずくが腹の上に垂れるのを感じるが、楔の律動は止まない。
 リズムに合わせて揺さぶられ、藤野谷の太い熱を咥えこんだ俺の襞がふるえて、暖かな快感が背中をのぼっていき、さらに上へ導かれる。
「ああん、ああ、ああ――」
「サエ……ん、あ――」

 内臓の奥まで貫きそうな熱さに強くひき絞られたあと、俺は光の中に堕ちた。ほとんど苦しいほどの快感に揺さぶられて、星がまたたくような絶頂に達する。




 ヒートのあいだ、抱かれているときの記憶はいつもはっきりしない。途中で何回か冷たくて甘いものを食べたことや、浴室まで連れこまれ、用を足したあと藤野谷にシャワーで体をすみずみまで洗われたことはぼんやり覚えている。
 密着して洗われているあいだに一度鎮まった熱がまた沸騰し、濡れたキスを交わしながらも何度か噛んでくれと哀願したのも覚えている。藤野谷は辛そうに眉をしかめ、俺の唇をふさいだ。腰を抱きかかえ、ふたたび俺の中に楔をしずめて、啼かせつづけた。

 気がつくと裸で乾いたシーツとなめらかな毛布のあいだにいて、カーテンのすき間から明かりがもれていた。寝室には誰もいない。
 不安に襲われて俺は体を起こした。低い話し声が聞こえて立ち上がろうとしたが、腰に力が入らない。

「ええ。ありがとうございます。ここの通信は問題ありません。前に確認しました。……はい? ああ――お断りします」

 藤野谷の声だ。モバイルで話しているのだろう。耳を傾けるというほどでもなく、ぼんやり聞いているとすこし声が大きくなる。

「当たり前だ。知っていればとっくの昔に決めていました。馬鹿をいわないでください。選択もなにも、他にありえません。好き勝手?――何をいってるんですか。いいえ、藤野谷家の価値がこれ以上のものだなんて俺はこれっぽっちも思いませんね」
 口調が激しくなり、最後はほとんど怒鳴るような声だ。俺は思わず体をすくめる。裸の肌に鳥肌がたつ。
「当主はなんと? ええ。そうですか」
 急に声は小さくなり、聞き取れないほどになった。俺はまたシーツの上に倒れた。持ちあげた手首に赤く鬱血がうかんでいる。廊下の声はささやくように低くなって、そのせいか俺は藤野谷の唇が手首に吸いつくのを想像した。

 とたんに腰の奥がうずく。毛布が胸の突起をこする。俺はそっと指を動かし、乳首を弄った。藤野谷の舌が這った感触を思い出して下半身が熱くなる。
「サエ?」

 ささやき声が聞こえたとき俺は横向きに体をまるめていた。藤野谷の手がひたいにふれ、背中から彼の匂いと体温に包まれる。さっきまで自分で弄っていた場所に指が触れる。とたんに俺は小さく声をあげてしまい、耳の裏にあたる藤野谷の吐息を聞く。

「固くなってる」
「天……触るなって……また――」
「まだ足りない?」

 ああ、足りない。そう答えたい気持ちと否定したい気持ちが俺の中で闘うが、そんなものをすべてかき消すかのように藤野谷の声が背中から骨に響いた。
「俺もまだ足りない」

 藤野谷は俺を背後から抱き、胸を弄りながら執拗にうなじを舐めた。自分でもどうしたらいいかわからなくて、俺は腰を揺すり、衝動にかられるまま尻をつきだし、藤野谷に差し出す。

 コンドームのパッケージを破る音がきこえる。慎重さが嬉しくて、同時にもどかしかった。腰にあたる藤野谷の熱を俺の中でそのまま感じたい、口には出さないがそう願ったとき、濡れた後口が指で拡げられ、楔がうちこまれた。
 藤野谷は焦らすように俺の中を進み、奥のたまらない場所に先端をあてると、一度動きをとめる。
「サエ……」
 ゆっくりと揺らされて、そのたびに俺のなかの襞が悦びにうめく。
「あ、あ、あ……天……」

 俺は喘ぎ、またも遠い絶頂の岸辺へ打ち上げられた。



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