まばゆいほどに深い闇(アルファポリス版・完結済)

おにぎり1000米

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第3部 ギャラリー・ルクス

7.明るい鏡(前編)

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「どこへ行けばいいですか?」
「佐枝様。控室を三階にご用意していますので、ギャラリー奥のエレベーターへどうぞ」
 受付の女性にIDを見せると、エントランスの奥を示された。

 オープンして間もないギャラリー・ルクスの内装はさまざまな風合いの「白」の組み合わせだった。壁や床は異なる風合いの白い素材の組み合わせで、間接照明にそのテクスチャーが浮かび上がる。
 俺が足をふみだすと正面の壁の照明がゆるやかに落ち、光で細字のロゴが浮き上がった。

  TEN‐ZERO ――Singularity

 同じロゴが入った紙袋を渡されて奥に進む。エントランスに設置されたブースでは製品のサンプル配布や、オーダーに必要な計測キットの解説が行われていた。さらに続く吹き抜けの空間はギャラリー・ルクスのオープニング企画展で、壁にゆったりと絵がかけられている。
 空間の中央から上に階段が伸び、回廊となって、中二階、中三階の展示室へ続いていた。吹き抜けの最上部には橋のような通路が渡され、プレス発表は橋の先のスペースで開かれるという。
 案内されるまま俺はガラス扉のエレベーターに乗った。三階で降りるとTEN‐ZEROのIDをつけた社員が一礼する。本社の中間発表会で見た顔だった。

 四月初めにオープンしたばかりのギャラリー・ルクスでTEN‐ZEROのプレス発表をすることを俺は直前まで知らなかった。だが藤野谷は昨年カフェ・キノネでオーナーと話したときから候補のひとつに数えていたらしい。今回TEN‐ZEROの製品が打ちだしたコンセプトに、伝統的な画廊と違う方法を模索するギャラリー・ルクスの方向性が一致したという理由がひとつ。ルクスがコマーシャルギャラリーとしてはめずらしく、映像や音響メディアの展示に特化したスペースを併設したという理由もひとつ。

 控室には誰もいなかった。設置されたモニターに完成したプロモーション映像が流れている。同じ映像を俺は今日、ここへ来る途中で二度目撃していた。一度は地下鉄車内の広告画面で、もう一度は乗換駅の太い柱に設置された動画広告だ。

 奇妙な気分だった。素直にうれしいと思い、誇らしくもあったが、まだ信じられないような気持ちもある。映像の最後では小さく俺の名前がアルファベットであらわれ、TEN‐ZEROのロゴとかぶるように消える。
 昔コンペで優勝した作品も、何事もなければこんな風に街中で人に見られていたかもしれない。そうならなかった代わりに今これがあるのなら、悪くはなかった。

 隅に置かれたラックにギャラリーのパンフレットとチラシが数種類刺さっていた。この控室は展覧会やワークショップスペースとしてレンタルできるようだった。ビルは七階建てで、一階と二階がギャラリー・ルクスの企画展示に、三階と四階は貸しギャラリーやイベントスペースとして使われるらしい。

 竣工したてのビルだけあって、窓は鏡のようにピカピカで、俺の姿を映していた。無意識にジャケットの裾を引いて整えながら、すぐそばの緑道公園をみつめる。週末にかけて続いた好天で桜がひと息に開花し、俺がここに来るあいだも、ベンチで飲み物を片手に花見をする人や、犬を連れて散歩する人、桜に向けてカメラを構える人がいた。俺が道を横切ったときは、はやくも散りはじめた枝の下を猫が悠然と歩いていた。

 いいロケーションだ。このビルは角地にあって、ギャラリーのエントランスを曲がったところにカフェの入口がみえた。時間を気にしていた俺はガラス扉の前を通りすぎたが、中にはきっとキノネのマスターがいるだろう。

「サエ」
 うしろから呼ばれるのを俺は聞く。ふりむくまでもなく、すぐ近くに藤野谷が立っているのはわかっている。
「もう始まるのか?」俺は窓の外を見ながらいった。
「何かついてる」
 藤野谷の声とともに肩甲骨のあたりを指でなぞられた。ぞくりとして俺は部屋の中を向く。ほとんど白に近い薄紅の花びらが藤野谷の指にはさまれている。

「公園を通ってきたんだ」
「ここにもついてる」
 俺の背中を手のひらが撫でおろすのを感じたとき、三波の声が戸口から聞こえた。
「――ボスここですか? 探されてますよ」

 藤野谷は残念そうな目つきで手を離した。「あとで」とささやき、スーツの襟のインカムに触れて返事をすると、三波と入れちがいに控室を出ていく。
 三波は俺をみるなり妙な表情をうかべた。

「佐枝さん、どうも……」
「今日はよろしく」
「格好いいですね」
「え?」

 俺は自分の服を見下ろした。靴以外は藤野谷がこの前持ってきた紙袋の中身だ。三波はモニターをのぞいている。プレス発表の会場が映っているようだ。

「行きましょうか。緊張してます?」
「かなり」
「どうってことないですよ。紹介しますって呼ばれたら立って、前に出て適当に頭を下げれば終わりますから」
「三波は?」
「僕は今日はただの雑用スタッフなんで、佐枝さんが恥ずかしそうにしている顔をズームで撮って、後でボスに売ります」
「おい」
「クローズドオークションにして値を吊り上げるという手もありますね。――冗談です」

 歩きながら話す三波はすっかりいつもの――プロジェクトを進めていた間、チャットで軽口を叩いていた頃の口調だ。先月からのいきさつを思い起こして俺はすこし安心したが、それでも動悸は速くなった。
「すみません。ほんとに冗談ですから」
 俺のとまどいをなだめるように、三波はにやにや笑いをやめて真顔になる。

「それはともかく、ボスの苗字の関係で、今日のプレスにはそっち系がまじってるみたいです。前の製品発表ではこんなことなかったらしいんですが、少し気をつけた方がいいかもしれません」
「そっち系? 気をつけるって?」
 わけがわからずに俺はたずねた。

「名族のゴシップ関係ですよ。招待はしてないんですが、入りこんでるのがいそうなんで。写真勝手に撮られたら近くの社員にすぐいってください」
「……冗談だろう」
「それがね、今の佐枝さんだと、冗談にならないかもしれないので」

 どういう意味だと聞きたかったが、三波は俺を会場に押しやった。



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