まばゆいほどに深い闇(アルファポリス版・完結済)

おにぎり1000米

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第1部 カフェ・キノネ

6.世界制作の方法(後編)

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 それから週末まで毎日、藤野谷からビデオ通話のリクエストが入った。いつも午前の同じ時間だった。最初の日とちがって俺たちはプロジェクトの事以外話さなかった。学生の頃の話もむしかえされず、自意識過剰だと思いつつも俺はほっとした。おたがいもうすぐ三十代へ突入するわけで、大人になった者同士、いい関係を作りたかった。

 藤野谷が気づいているかどうかはともかく、俺はTEN‐ZEROの製品ユーザーだ。もっとも、製品を使っているからといってその企業に詳しいとは限らない。
 だから久しぶりの再会のあと、俺は慌ててホームAIに公開された資料を集めさせ、読み漁った。TEN‐ZEROは完全な独立企業で、藤野谷家から出資も受けていないが、経営状態は良好だった。

 プロジェクトの話しかしなかったといっても、会話がビジネスライクなやりとりに終始したわけではなかった。話のほとんどは藤野谷のいう「TEN‐ZEROのコンセプト」をどう固めればいいか――キャッチコピーに必要な要素も含めて――で、毎回それほど長い時間はかけていない。藤野谷は忙しそうだった。しかし俺は藤野谷との会話に毎回否応なくひきこまれてしまい、通話を切った後も、ふとした折にそのことを考えている。

 この感覚には覚えがあった。結局俺は藤野谷のアイデアを固めるために、やつの構想に根っこから巻きこまれているのではないか。藤野谷には昔から、周囲にいる人間を自分の目的に否応なく関わらせる、台風の渦のようなところがある。

「藤野谷、素朴な疑問なんだが」
「ん?」

 ビデオ画面の背景は毎日違った。今日は雑多に積んだ本や紙の束、それに壁を埋めるポスターがみえる。あきらかにオフィスではなかったし、藤野谷もタイなしのシャツ姿だ。

「今回のプロジェクト、俺は最終的な自分の役割がまだわかっていない。契約書は暁を通して来るんだろうが、協力アーティストとして手持ちの動画を提供すればいいだけなのか? もう少し踏みこんで、そっちのプロモーションに合わせて作ればいいのか?」
 藤野谷は「俺としてはね」といいかけて間を置き、腕を組んだ。袖口からスポーツタイプの時計がのぞく。
「サエの未公開新作をTEN‐ZEROから発表したい。ロボットでも影武者でもない、実体のあるアーティストとして、堂々と」
 俺は眉をひそめた。

「発表? 堂々と?」
「隠れているじゃないか」
 藤野谷はわずかに目尻をあげた。
「サエ、甘いんだよ。あのフッテージ、個人が作っているのか、チームが作っているのか、AIがオートで合成しているのか、さんざん議論している連中がいるだろう。何しろ最近はクリエイターAIが作っているという伝説もあるくらいだからな」
「クリエイターAI?」

 俺は思わず噴き出した。あの動画についてそんな風にいわれているとは知らなかった。そもそも俺は目的なしにネットを回遊することがない。公開した動画にしても、プレビュー数以外はほとんど見ていないのだ。
「おまえの会社のプロモーションならむしろその方が面白いんじゃないか。俺はその中の人でいい。協力のところに名前をあげるだけでも」
「それはちがう」
 藤野谷の声の調子が一段階上がった。

「TEN‐ZEROの最終目標は個人の尊厳を香りで表現することだ。あの動画をほんとうにAIが作っているならいいさ。でも実際はそうじゃないし、サエはわざと隠れている」
「べつにそんなつもりは……」
「そんな風に隠れたり偽ったりせずに表に出ること、他者に土足で蹴とばされたりしないこと、それがうちの製品の理念で、外に向けてその理念を表現するのが今回のプロジェクトだ。そもそもうちのPRはPRであってPRじゃないんだ。というかな、PRなんてくそくらえだし、俺はマーケティングの数値だの今のトレンドがどうとかいってくるやつらの意見は採用しない」
「藤野谷、おまえな」

 画面の向こうでまくし立てているハンサムはけっこうな迫力だった。俺は否応なく昔を思い出す。からかう気はなかったが、つい軽くいってしまう。
「そんな調子で独裁者みたいにスタッフをクビにしていないよな?」
「やってないよ。議論はするけどな。――何を笑ってるんだ、サエ」
 そういわれて気づくと、たしかに俺はにやついていた。あわてて顔をひきしめる。

「TEN‐ZEROのやり方が型破りなのはきいてる。ビジネスサイトでは因習に縛られた業界の革命児だともてはやされているようだし、広告手法や販路がユニークだと紹介されるのもネットでみた。でもおまえのスタッフは大変だろうなと思って」
「そうだね、ありがとう」

 といったものの、藤野谷はふっと眼を見ひらいて俺をみかえし、そして視線をそらした。
「どうした?」
「……サエはこれだから」
「これって」
「俺がいまみたいに演説しても軽く流すだろう。でも無視しているわけじゃない」
「そりゃ、話はきいてるよ」
「いや、そうじゃなくて……」
 藤野谷の口元がゆるんで、すこし笑った。自嘲しているようにもみえる。
「おかしな具合にへつらったりしない」

 ふと斜め下を向いた藤野谷の顎がひどく繊細に、脆く感じられて、突然俺は彼の孤独を感じとった。昔からこんな瞬間がときどきあり、そのたびに俺の内部がきりきりもがく。あいつの隣に行かなければならない、そんな衝動がわきあがる。
 一方で、そんなふうに考えるなど馬鹿げていると俺の一部は冷静に指摘する。藤野谷の周囲には彼を助けたい人間たちがつねにたくさんいるのだ。
 そして俺は――俺自身の意思を信じることができない。

 だから俺はまた、軽くいう。

「おまえが偉すぎるんだ。あきらめろ。アルファの名族のエリートでCEO様なんだから仕方ない」
「学生時代からつきあいがあるやつは他にもいるが、サエみたいなからかい方をしてくるのはいないんだ。肩が凝ってしかたない」
「だからって俺をはけ口にするなよ」
「まさか」
 藤野谷は真顔になった。

「一瞬なのにたしかな手ごたえを持つ経験はあるだろう? それはすべて断片でしかない……俺たちは道ばたですれ違った瞬間の香りに心を奪われて探したり、ネットで突然流れては消える映像を追いかける。それは断片のままでいいんだ。まとまった物語にならなくていい。短くても心をつかんで離さないもの、いつまでも思い出すものには、どれだけ小さくとも作った人の生の証が入っている。TEN‐ZEROが尊厳と呼びたいのはそういうものだ。そして俺はサエの作品をその象徴にしたい」

 俺はまばたきした。何と答えればいいのかわからなかった。

「新作がほしいというのはわかった。でもあれを作るのは手間がかかるんだ。大枠は決められても、細かくシナリオを書いて計画通りに完成するものでもないから、どうなるか予想がつかない」
「そのあたりはおいおい話そう。サエ、あとひとつだけ」
「なに」

 そろそろ話は終わりだと思ったのだが、藤野谷は俺を見つめながら思いもかけないことをたずねてきた。

「あの動画……必ずいつもおなじ影が出てくるな?」
「影?」
「コートと帽子を着た男の影だよ。なにか意味があるのか?」
「意味って?」
「モデルがいるとか……」

 影。
 たしかに俺の動画にはいつも同じ人物があらわれる。角を曲がるうしろ姿、車とすれ違いざまの瞬間にほのみえる長身の男。通りすぎていく人々の香りのように過ぎ去っていく人影だ。ゆったりしたシルエットの古めかしいコートに、帽子も丸縁の古風なもの。顔はフッテージの白黒の中で、見えそうで見えない。絶妙な角度で立ち、いまにもこちらを向きそうで、向いてくれない。

「モデルならいないこともないが、意味はとくにない」と俺は答えた。

 そもそもスケッチに何度も何度も描いてしまうあの影を消したくて、破った画帳の皺をなぞるなんて真似をはじめたのだ、と当の本人に教える義理はなかった。あれが藤野谷自身のイメージだと本人が気づかない以上、教えてどうするのだ。俺が藤野谷に会うたびに見てしまう〈色〉と同じことだ。

〈運命のつがい〉がどういうメカニズムで相手を認識するのか、最近は科学的な解明が進んだという。すべての人にとって一律の、きまりきった反応ではないのだ。最初に出会ったときの年齢や周期、心理状態の影響も大きいという。だからこそときおり悲劇的な出会いがおき、その一方で誰から見ても幸福な、安定した関係が生まれる。

 俺は十四歳で出会った瞬間から藤野谷をそう認識したが、幸いにも藤野谷の方は俺をベータと信じて疑わなかった。もしあのとき俺がオメガだと藤野谷が知っていたら、おたがい友人にはなれなかっただろう。アートキャンプでの最初のプロジェクトもありえなかったはずだ。
 十四歳の藤野谷はオメガを心底嫌っていた。ほとんど憎んでいたといっていい。

「そうか。ならいいんだ」
「いいって?」
「なんでもない。聞いてみたかっただけだ」

 藤野谷は首を振った。突っこまれたくない話題だったので俺はほっとする。
「じゃあ、そろそろ…」と話を切り上げようとすると、藤野谷は顔をあげてまたぎょっとさせることをいった。
「あ、サエ。土曜日にあのカフェのギャラリーでレセプションがあるんだって? 錫の造形作家の」
「どうして知ってる」
「ギャラリーオーナーから招待状が来たんだ。サエはあの店、常連なんだな。それにオーナーとも知り合いらしいじゃないか」
「暁が話したのか」
「そう。で、サエ、土曜日に用事ある?」

 話の行方がみえて俺は黙った。予想通り、藤野谷の言葉はつづく。
「レセプションの前に打ち合わせをしたい。サエがあのカフェへ行くなら都合がいいだろう?」
「ビデオで十分だろう、いまみたいに」
 藤野谷は微笑んだ。
「他のチームメンバーに会わせたいんだ。頼むよ」
 俺は視線を泳がせる。

「打ち合わせの手配なら暁にいってくれ」
「もう伝えた。で、レセプションの前にカフェで、ということで賛成してくれた。あのギャラリーには時々手伝いに行ってるそうじゃないか」
「それも暁が?」
「ああ」

 俺は内心、あっさりアルファに懐柔されやがってと毒づく。もちろん不当ないいがかりというものだ――藤野谷はクライアントなのだし、代理人が藤野谷の誘導で余計なことをしゃべったとしても、世間話の範疇だ。
 藤野谷は俺の沈黙をどう解釈したのか、こんなことをいう。
「安心しろよ、サエ。俺たちのプロジェクトは小さいチームでやる。広い会議室に持ち出したら最後、アイデアは腐るからな」

 俺たち、か。
 蟻地獄だか、砂嵐だか、とにかく何かに巻きこまれている感じがする。困るのは――昔から困るのは、ほんとうは俺は、こうして藤野谷があれこれと手を打つのが嬉しい――ということだ。それはアルファとかオメガとか、運命のつがいであるとかないとか、そんなこととは無関係だった。少なくとも俺はそう思いたかった。藤野谷と共同で何かに取り組むこと自体が楽しいのだ。

 理由はわかっている。藤野谷は火のついた導火線のようなものだ。対して俺のほうは湿りかけた火薬なのだが、藤野谷はそんな俺をむりやり打ち上げて、きれいな花火にしてしまう。藤野谷がいれば俺は、ひとりでは思いつけないものを作り出すことができる。

(サエ、俺たちふたりなら天才になれるな)

 昔からそうだった。たとえこれがのちのち、災いにつながったとしても。
「わかった。じゃあ土曜日に」
 俺はそう答えて通話を切った。



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