義弟の舌

志貴野ハル

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3章

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「……最近です」
「え、うそ、やだ、おめでとう!」

 大袈裟なくらい大きな声を出した店員が、今度は私の顔を見て「おめでとうございます」と高揚した声で笑った。どう答えていいかわからずに、両手でカップを持ち上げたまま曖昧に笑顔を返す。

「なるほどねぇ、だからさっき、バタバタしててって言ったのね」
「いや、バタバタしてたのは、僕が仕事を辞めて帰ってきたり両親が亡くなったりしたからですね」
「えっ、ご両親、亡くなったの!?」
「3年前に」

 義弟は驚いている店員の顔を見ずに、ブラウンシュガーひとつとミルクを入れてティースプーンでかき混ぜながら言った。

「良いことと悪いことが交互に来ちゃったのね。まさに禍福は糾える縄の如しってやつね。ま、でもこれからお子さんもできるだろうし、自分の家族がいるんだから寂しくないわね」

 言葉の最後に私の方を見て店員が微笑む。そこで義弟も「そうですね」と顔を上げて口元だけで笑った。
 コーヒーカップをソーサーに戻して、二人に気づかれないようにテーブルの下に両手をしまう。細い金属のつるりとした感触が右手の人差し指に伝わって、そこで初めて結婚指輪をずっと付けっぱなしにしていたことを思い出した。そもそも自分の手元なんて意識して見ることはないから外すことすら頭になかった。

「……ねぇ、どうしてあんなこと言ったの」

 店員が完全に離れていったのを確認してから、声をひそめて尋ねる。

「何がですか?」
「結婚してるって」
「さあ、なんでだろう」
「…………」

 とぼけたように言う義弟の顔を黙って見つめる。しばらくして義弟が眉尻を下げながらこちらを見据えた。

「いつかはそうなったら良いなって思ったからですよ」
「いつか……」

 じゃあ、どうして私から離れようとしているの、と言いかけてやめた。言ったところできっと義弟は「そんなつもりはない」とか「お義姉さんに世話になるわけにはいかないから」とか、私を不安にさせない耳障りのいいことを言って誤魔化すに決まっている。
 それに今はそういう話をしたいわけじゃなかった。義弟と、義弟の好きなものを楽しむためにここに来たのだ。せっかく思い出の場所に来れたのにつまらないことを言って水を差したくない。
 義弟のついた嘘はむしろ嬉しかった。彼の思い出の場所に連れてきてもらって、古い知り合いにも紹介してもらえて、一時でも隣にいることを許されていると感じた。
 本当にそうなったらいいのに。
 お互いの間に沈黙が流れる。遠くの方ではホットケーキの材料をかき混ぜているようなカシャカシャという音が聞こえる。
 カップの中のコーヒーを見つめながら、気持ちを切り替えるために深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。

「ね、ホットケーキが来るまで、もう少し小さい頃の話を聞いてもいい?」

 明るく振る舞うと、嘘をついたことを咎められると思っていたのか身構えていた義弟の表情が気の抜けたようになった。なぜか私もほっとしてソファに座り直す。

「小さい頃といっても、そんな大した話はもうないですよ」
「大したことじゃなくていいの。お義母さんからは活発な子だったって聞いていたから」
「活発? 言い方が綺麗すぎるな。悪ガキですよ、ただの」
「じゃあその悪ガキだったっていうエピソードを聞かせて」
「えぇ?」

 前のめりになって聞こうとする私と対照的に、義弟は背中をソファにくっつけて苦笑いを返す。視界の端ではさっきの店員がカウンターの席に寄りかかって微笑みながら私たちを見ていた。

 
 それからお互いの幼少期やその時に流行った遊びなんかを話しているうちに、ようやく待ちに待ったホットケーキが運ばれてきた。
 テーブルに置かれる前から胃の中が暴れ出すのではないかというくらい暴力的な甘い香りが漂う。
 義弟が毎日でも食べたいと本気で家出しかけるほど美味しいというホットケーキはずっと前に彼が作ってくれたものとよく似ていて、一枚一枚に厚みがあって四角いバターとメープルシロップがたっぷりとかけられていた。

「わぁ、すごい、絵本に出てくるやつみたい!」
「でしょう?」

 得意げになる義弟を見て吹き出す。すかさず「なによぉ、まるで自分が作ったみたいに」と店員が呆れた顔で笑った。

「ふふっ、いただきます」

 すかさず溶けたバターとメープルシロップの染みたところにナイフを入れる。スポンジケーキのように柔らかいけれど適度に弾力もある。私が市販のホットケーキミックスで作ってもこうはいかない。
 一口サイズに切った一番美味しいところをいただく。
 ジャムもクリームもないシンプルな味なのに、バターの塩味とメープルシロップのさらっとした甘味が絶妙に素晴らしく、これだけで十分完成された料理だった。

「これは、確かに子供の頃に出会ってしまったら毎日でも食べたくなる美味しさね」
「ね? 誕生日でもないのに毎日これが食べられるなら、喫茶店の子になりたいって言いますよね」

 コーヒーのお代わりを運んできた店員がくすくすと笑った。

「あなたがそんなこと言うから、一時期酔っ払ったお父さんがレシピを教えてくれってうるさかったんだから」
「へえ、そうなんですか?」
「あなた小さい頃、カウンターに座ってずうっとうちの人と話してたでしょう。お父さん、大事な息子を取られるって思ったのかもね。ま、うちの人も笑いながらレシピを教えてたけど」
「あぁ。いつからか毎週日曜日の朝はホットケーキの日になってましたね。そういうことか」

 二人の会話を聞きながら、私は初めて義弟と一緒に行ったスーパーのことを思い出していた。今と同じような話を聞いたことがある。その時も今と同じくらい嬉しそうな表情だった。
 もう少し幼い頃の義弟の話を聞いていたいと思ったところで突然、会話を遮るように外のカウベルが鳴った。

「あ、お客さん。——いらっしゃいませ!」

 若い二人組の女の人が入ってくるのを店員が振り返って迎える。
 「それじゃあ、ごゆっくり」と私たちに言い残し足早に去って行ったのを見届けてから義弟を見つめる。目を伏せてコーヒーカップを口につけていた彼は私と目が合うと「ん?」と首を傾げた。

「ううん、なんでもない」

 緩みそうになる口元をコーヒーカップで隠す。
 義弟の知らないところを知れたのが嬉しい。それが本人からじゃなく、周りから聞かされるのはもっと嬉しい。義弟が大切にしていたコミュニティの中に入れてもらえたような、認められたような幸福感がある。

「また来ましょう」

 ホットケーキを一口サイズより大きく切り分けながら義弟が言った。

「一緒に?」
「もちろん。それこそ昔の僕みたいに毎週通うのもいいですよ」

 たわいない口約束だ。薄っぺらくて、本気にしていいか怪しい。だけど今はそういうのがこの上なく嬉しかった。私は「うん」と小さく返事をして、カップを傾けた。
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