義弟の舌

志貴野ハル

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3章

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 安藤さんが帰ったのは、それから30分ほど経ってからだった。義弟と一緒に玄関から出てきて、縁側に腰を下ろしている私に「お邪魔しました」と声をかけていったのを追いかけて、門扉まで見送る。
 安藤さんの姿が通りの角を曲がり切るのを確認したところで、隣に立っていた義弟が私を見下ろした。


「お義姉さんはそこで何をしてたんですか」
「ん、……日向ぼっこ。お布団を取り込んで、少しぼうっとしてたの」
「日向ぼっこって、暑かったでしょう。遠慮しないで戻ってくればよかったのに。寒天も途中だったのに」


 なんて返したらいいかと曖昧に笑うと、「こんなに汗をかいて」と義弟の冷たい手が私の前髪を持ち上げて頬を撫でた。


「ほら、早く家に入りますよ」
「お仕事はもういいの?」
「はい、今日はもう終わりです」


 手を引かれて家の中へ戻る。食べかけだったフルーツ寒天を冷蔵庫からまた出しておかわりをするという義弟の分を新しく取り分ける。
 不意に義弟が私の背後から腕を回して体重をかけるように寄りかかってきた。こんなに明るいうちから甘えるなんてことは珍しくて、苦笑する。


「そんなにくっつかれたら取りづらいですよ」
「……兄が、帰ってきたのかと思いました」


 私の頭に頬を擦り寄せて義弟が小さな声で言った。お腹に回った腕の力がぐっと強くなってさらに抱き締められる。


「え?」


 夫が帰ってくるだなんて、予想していなかったことを言われて、こちらの方が驚いてしまった。


「窓を開けて仕事をしていたら、お義姉さんが誰かと話している声が聞こえて、お盆だし、てっきり兄が帰ってきたのかと」
「それはないですよ、帰ってこないって言ってたんですから」
「そうですよね。でも、……うん、焦った」


 溜め息のような笑いが漏れて、緩んだ腕の中で体を捩る。義弟は少し困ったような顔で眉尻を下げて笑っていた。言いたいことを押し留めている時に見せる顔だった。


「もしかして、お兄さんが怖いの?」
「え? いや、全然。怖いというより嫌いなだけです、お互いに」


 義弟がきょとんとした顔で否定した。


「でも、焦ったって」
「それは、お義姉さんを取られるかと思って。……あぁ、違うな、取られるも何も、最初から僕のじゃないですね」
「…………」


 諦めと自虐を含んだような言葉に、どう返していいかわからずじっと見つめる。


「もうそろそろ夏も終わりますけど、あと何日、ここにいても良いですか?」


 ……あぁ、そういうことか。
 私が言った、夏の間は傍にいてほしいという我儘を律儀に守ろうとしている。義弟にとっては本当に、この夏の間だけ一緒にいるつもりだったのと思うと約束を覚えていることも彼のバカ正直さも嫌になった。
 だって私の方は最初から短期間のつもりはなかった。今、義弟が何も言い出さなければ、とぼけるつもりでいたのに。


「……そんなの、ずっとに決まってるじゃない。ここはあなたの家なんだから」
「でも僕がここにいるのを許したら、きっと毎日、目で追うだろうし、そのうち我慢できなくなって、兄がいても関係なく触るかもしれませんよ?」
「そ、それは」


 思わず口ごもる。
 今の義弟ならやりかねないし、きっと私も同じことをする。触らなくても、毎日目で追ってしまう。そうなれば勘の鋭い夫のことだからすぐに怪しまれるだろう。
 義弟の体がそっと私から離れた。


「なんて。我慢できなくなる前にいなくなりますから、大丈夫です」
「えっ、ど、どうして? どういうこと? 家を出ていくの?」


 前も確かにその話はしていた。だけどそれは、夫が帰ってきてからだと言っていたのに、今のはまるで、すぐにでもここからいなくなるような言い方だった。


「そう、ですね。前も言った通り、兄が帰ってくるまではいようと思ってたんですけど、さっき安藤から、継続して仕事をするなら会社に近いところへ越してきてほしいと言われてしまって。確かに、何度も家まで来てもらうのも申し訳ないし、原稿を郵送するのにも、日数がかかりますから、もしかしたら兄が帰ってくる前に。……兄はいつ帰ってくるか、聞いてませんか?」


 長々と続く言い訳のような言葉の最後だけやっと聞き取れて、ふるふると首を横に振る。もうすぐ家から出ていくなら、なおさら離れに戻したくない。
 義弟は「そうですか」とだけ言うと、ガラスの器を手に取った。


「待って」


 器に視線を落としていた義弟が顔を上げる。
 ——家を出ていくなら私も連れて行ってほしい、という言葉が、喉の奥から出かけて慌てて飲み込んだ。なんで私、何を言いそうになったの……。


「あ、……今度、電話して聞いてみますね」


 義弟が「お願いします」と、目尻を下げた。


 それ以上お互いに何も言わなかったけれど、思っていたよりも早く確実に関係が終わる気配がして、胸がぎゅうっと締め付けられるように痛む。
 のろのろと容器を冷蔵庫にしまう。食べかけの寒天も、今はもうどうでも良くなってしまった。


「お義姉さん」
「……なあに?」


「今月の仕事ももう少しで終わりますから、そうしたら、約束していた喫茶店に行きましょうか」


 あぁ、と心の中で深い溜め息を吐く。もうこれで終わりなのかもしれない。
 そう思うとまるでトドメを刺されたような気分だった。

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