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3章
6
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指折り数えて待っていた夏祭りの日、開始の合図を告げる花火の音が夕暮れに染まる町に鳴り響いた。
「……始まった?」
仕事を終え、居間で本を読んでいた義弟がゆっくりと顔を上げた。
「そうですね、行きますか」
慌ただしく戸締まりを済ませて、普段使う駅やバス停のある通りと正反対の道を歩く。
私達の他にも花火の音を聞きつけて出て来たのか、前にはちらほらと数組の家族連れや学生らしい友達グループが歩いていて、進むごとにその数はどんどん増えていった。
住宅街を抜けて、山の方へ向かっているのだろうか。民家よりも木の数が多くなってきて、それと同時に笛と太鼓の音が近くなる。
やがて提灯をぶら下げた木々が出てきてここら一帯がすでに神社の敷地だと気づいた。
みんな神社という一ヶ所に吸い込まれるようにして、同じ方向を向いて歩いている。人の群れで混み出した歩道は少しずつ詰まり、自然と歩くスピードがゆっくりになっていく。
家を出た時は空がまだオレンジ色だったのに、いつの間にか紫がかっていて視界も心許なくなっていた。一瞬でも止まるとすぐにはぐれてしまいそうだ。窮屈そうに歩幅を小さくしながら私の右隣を歩く義弟を見上げて、何度も手を繋ぎたい衝動に駆られる。
人の波に乗って、ようやく神社の正面にある鳥居に到着した。その奥の参道の両脇には屋台の煌々としたテントがずらりと並んでいるのが見える。
だけど、人が多すぎてどこに何のお店があるのかわからない。
「止まるとかえって危ないので、とりあえず、前に進んでみましょうか」
喧騒の中で義弟が少し大きめの声を出すのを、こくこくと頷いてみせる。すると突然、右手を掴まれた。驚いて見上げると
「お義姉さんは小さいから、見失いそうで、すみません」
と、苦笑しながら謝った。前に私が、外で触ったらダメだと言ったからだろう。だけど今は、人と人の距離が近いこんな人混みではどうせ手元なんて見えないと、都合よく思い直す。
「ううん、ありがとう」
首を横に振って、私も義弟の手を握り返した。
人混みを抜けるように、義弟に手を引かれて歩き続ける。
境内の一番奥にある社殿に近づくにつれて、屋台の数が減って人もほとんど見当たらなくなった。傾斜がかった砂利道をしばらく歩いて、小さな手水舎が見えてくるととうとう屋台も人もいなくなった。
さらに続く道を見上げると社殿へ続く石階段があった。ぼんやりと浮かんでいる祭りの提灯が、社殿まで導くように等間隔で並んでいる。
「すごい人ねえ!」
興奮してつい大きな声が出る。石階段を数段登ってそこに腰を下ろすと、祭りの全貌がよく見えた。この中を通って来たのかとびっくりしてしまうほど、隙間なく人が詰まっていて、色とりどりの服や黒い頭がゆらゆらと動いている。あのままあそこにいたのでは、目的地に到着する前に迷子になってしまうのもわかる。
「今日はここで夕ご飯も調達しましょうか。予算は5000円と決めて持って来ましたから」
持ってきたハンドバッグを掲げると、隣に座った義弟が「あ」と声を出した。
「今日くらいは僕が出しますよ。一昨日まで働いた分をもらったので」
義弟はそう言って浴衣の袂から黒い長財布を取り出した。艶々と固そうな牛革でできたもので真新しい。
「どうしたの、それ」
「一昨日、安藤が再就職祝いにとくれました。面白いんですよ、封筒がなかったからなんて言って、この中にお金を入れて渡してきましたから」
思い出し笑いをしながら、義弟が黒い財布の表面を撫でる。
確かに一昨日、安藤さんが家に来た。今度は直接、正面から入り玄関の呼び鈴を押して来てくれたのだけど、お菓子のお礼と、義弟はすでに離れで仕事をしていることを伝えると早々に離れへ行ってしまい、その時もまた小さな箱菓子をいただいた。
「安藤さんって本当にいい人ね」
「そうですね、僕の友人の中で唯一、兄の取り巻きにならなかった人ですから。打算的なところが一切無い、真っ直ぐな奴です」
義弟がすごく嬉しそうに目尻を下げた。誰かに対してこんなに好意的な彼は見たことがない。信頼しきっているのだと思うと、相手が同性の安藤さんでも羨ましくなる。
屋台で何を買うのがお互い出し合っていると、同じように人混みを避けて来たのか私たちがいるところにも少しずつ人が増えてきた。焼きそばのパックやリンゴ飴やイカ焼きを持っている女の子達が、私たちの数段後ろに腰を下ろして声高にはしゃいでいる。
「じゃあ、僕たちもあの人混みに飛び込みますか」
「はいっ」
ぐっと気合を入れ直して、差し出された義弟の手に自分のを重ねて石段を降りる。
もみくちゃになりそうだったさっきとは違い、目当ての屋台に並ぶ列や順路が自然に出来上がっていて、今度はスムーズに人の流れに乗ることができた。
「あ、焼きそば見っけ」
呟くように言った義弟に手を引かれて、焼きそばの屋台の真ん前に出る。
二人がかりで忙しそうに銀色のヘラを動かしているおじさん達と、出来上がった焼きそばをパックに詰めながら強い語気で先客に注文を聞いている若いお兄さんに圧倒されそうになる。
「すごい殺気立ってる」
「……ね」
「さっさと買ってはけましょうか。2つでいいですか?」
「ええ」
私達の順番が来て、淡々と注文している義弟の横顔を眺める。いつの間にか私だけじゃなく他人に対しても普通に接することができている。代金と引き換えに焼きそばが二つ入ったビニール袋を受け取って、義弟がまた私の手を握った。
「さて、次はイカ焼きとたこ焼きですね」
列に戻る前に義弟が首を伸ばして行く先の目星をつける。
「あ、たこ焼き、ありました。その隣にベビーカステラもありますね。買おう」
「よく見えるわねぇ。ここからじゃ、ちっとも」
「他は、……あ、焼きとうもろこしも見えますよ。食べたいものあったら言ってください」
「リンゴ飴は?」
「んー、ここからじゃ見えませんね。まぁ歩いているうちに見つかるでしょう」
「さ、行きますよ」とまた人の流れに乗るために突っ込んでいく。まるで初めて一緒に買い物へ行って「久しぶりにバスに乗った」と言っていたあのときのように、義弟の声色が弾んでいた。「はしゃがないようにします」と言っていたのに、とおかしくなって引かれた手を見ながら笑ってしまう。
飲食物を売っている屋台をあらかた回って、当初の目的だったたこ焼きとベビーカステラ、焼きとうもろこしとリンゴ飴も全て手に入れることができた。他に、目についたラムネを買って飲みながら人混みを抜けてまた本殿へ続く石段に移動すると、そこは間隔を空けて座る複数のカップルで埋まっていた。他に座れるところを探しているうちに、石段の上段まで来てしまい、ようやく空いているところを見つけて腰を落ろす。
「屋台のところ、さっきよりは人が減ってきた感じがしますね」
「そうね。……大丈夫? 体調、悪くなってない?」
「平気ですよ。さすがにお腹は空いてきましたが」
「ここで何かひとつでもつまみましょうか」
そう提案すると、義弟は持っていた袋から真っ先にベビーカステラを取り出した。「糖分だから、これが一番手っ取り早くエネルギー源になる」と言って笑う。
「本当に甘いものが好きなのねえ」
「好きですねえ」
私の口調を真似て、義弟がベビーカステラを一つ摘んだ。それから私の口元に持ってくる。
「はい、あーん」
「えぇっ」
「あれ、いりませんか?」
義弟がきょとんとした顔で私を見る。
「あ、いえ、いただきます……」
「はい、あーん」
もう一度言ってにこにこと差し出されるベビーカステラを、視線を泳がせながら迎え入れる。口が小さかったのかベビーカステラが大きかったのか、詰まったところを押し込まれる。
「んんっ」
直前にラムネを飲んでいたから口の中が甘ったるいのに、ざらざらとした砂糖が舌にまとわりついてさらに甘くなる。
「どうですか?」
「……甘い、ですね」
我ながらひどい感想だと思った。
「そりゃそうでしょう」
義弟も声をあげて笑って、ベビーカステラを自分の口に放り込んだ。
義弟がベビーカステラを頬張っている間、残っていたラムネを飲み干して瓶の中に入っているビー玉をカラカラと鳴らして遊ぶ。小さい頃はこの中のビー玉が欲しくて、何度も父に割ってもらって集めていたっけ。少しずつ人が減っていく祭りの様子を見ながらぼんやりと思い出す。
「後で割りましょうか?」
「え?」
義弟が私の手の中のラムネ瓶を指差した。
「それ。中のビー玉を出すのに」
どうして、私の心の中がわかるのだろう。義弟と二人で行った記念に取っておこうかと一瞬でも思ってしまった。だけど取っておいて何になるのかと、女々しいと、すぐに思い直したところだった。
「あ、ううん、大丈夫……」
瓶をぎゅっと握って首を横に振る。
「じゃあ僕がもらってもいいですか?」
「え、欲しいの?」
「はい。今日の記念に」
あっさり言うものだから面食らってしまった。「ください」と手が伸びてくるのをさっと避ける。
「……あの、やっぱりダメ。記念だから」
驚いた顔で私を凝視した義弟が、一瞬で破顔する。恥ずかしくなって俯いていると
「ではそろそろ、本命の金魚すくいをしに行きましょうか」
と、浴衣の太もも部分にこぼれたベビーカステラの砂糖を払って義弟が立ち上がった。
石段を降りてまた祭り会場に戻る。
完売した焼きそばやたこ焼きといった定番の屋台がすでに店じまいをしていて、小さい子供をターゲットにしたお面やくじ引きの屋台も閑古鳥が鳴いていた。今は屋台の人が暇そうに椅子に座ってラジオを聴いている。あんなにひしめき合っていた人がまばらになっていた。
だけどそのおかげであっという間に金魚すくいを見つけることができた。
「取れなくても、1匹でも2匹でも3匹でもサービスするよぉ!」
ヤケクソ気味なのか威勢がいいのかよくわからない屋台のおじさんから、針金の枠で作られたポイを受け取る。すると急に、幼い頃、黒い出目金を取れなかった苦い思い出が蘇ってきた。
「あぁ、緊張する……」
「頑張って」
四角くて大きなタライの前に屈んでいる私の斜め後ろで、義弟が応援する。
どの子にしようかと視線を巡らせる。小さい子だとすぐに弱って死んでしまうかもしれない。でも大きい子だと、重さでポイがすぐに破けてしまうかも……。
「取れなくてもサービスするから」
考えながらポイを掲げてじっと固まったままでいると、屋台のおじさんが痺れを切らしたように言った。
「あ、はいっ」
慌てて、水の流れに身を任せるように固まって泳いでいた金魚たちの中へポイを沈める。その瞬間、金魚たちは散り散りになって四方八方へ逃げてしまった。慌てて追いかけようとしてポイを動かす。濡れた和紙が針金の縁からべろりと大きく剥がれた。
「ありゃ」
「——ふっ」
おじさんの気の抜けた声と義弟の吹き出す声が、ほぼ同時に聞こえた。顔から火が出たのではないかというくらい一瞬で熱くなる。
「残念だったねえ、お姉さん。ほら、どれがいいの」
おじさんがプラスチックのお玉を持って尋ねてきた。
「あの、じゃあ、これ、このオレンジ色の可愛い子を……」
「これね。他は?」
「えっ、一匹でいいです!」
「なぁんだ、じゃあお兄さんは」
急に指名された義弟が私の隣にしゃがみこんだ。「んー」と考えるように唸ってから
「……じゃあこの一番すばしっこくて赤い子をお願いします」
と、少し小さめの子を指差す。
「はいよー」
2匹の金魚がお玉ですくわれて、それぞれ透明なビニール袋へ入れられた。
「はいっ、長生きさせてやってね!」
「ありがとうございます」
「あ、お金払います」
2匹の金魚を私が受け取ると、義弟が財布と取り出しておじさんに小銭を手渡した。
袋を掲げて、金魚を見つめる。2匹とも突然放り込まれた狭いビニール袋に戸惑っているようで、止まったままヒレと口を動かしている。早く家に帰って大きな水槽に入れてあげたい。
「じゃあ、帰りますか」
「はい」
義弟の声に立ち上がって、屋台のおじさんに「ありがとうございました」と頭を下げる。
紫がかった空からすっかり闇のように真っ暗になった夜道は、神社から離れると提灯の灯りも届かず一層暗く感じた。
「お義姉さん、手」
神社の敷地をぐるりと囲む木々の横を歩きながら、義弟が手を差し出す。
「え、あ、でも……」
「暗いし、人もそんなに歩いていないから大丈夫ですよ」
つい反射的に辺りを見回す私に先回りして義弟が笑う。
「…………」
義弟が言うならそうなんだろうと、深く考えるのをやめて手を重ねた。
「少し急いで帰りましょうか。金魚もいるし、僕のお腹もそろそろ限界だし」
「そ、そうね、いつもの時間よりだいぶ遅いから、お腹空いたわよね」
神社の敷地を通り過ぎると、空にはスプーンでくり抜いたような中途半端に欠けた月が出ていた。背の高い木に隠れていたのか、そこにあったなんてわからなかった。
急に視界が開けたものだから誰かに見られている気がして、とっさに手を離しそうになる。だけど私の手を握る義弟の力は強くて、ちょっとやそっとじゃ振り払えなかった。心臓がドクドクと忙しなく動く。これが、急ぎ足で家に向かっているからなのか、不安からくるものなのか、よくわからない……。
「……始まった?」
仕事を終え、居間で本を読んでいた義弟がゆっくりと顔を上げた。
「そうですね、行きますか」
慌ただしく戸締まりを済ませて、普段使う駅やバス停のある通りと正反対の道を歩く。
私達の他にも花火の音を聞きつけて出て来たのか、前にはちらほらと数組の家族連れや学生らしい友達グループが歩いていて、進むごとにその数はどんどん増えていった。
住宅街を抜けて、山の方へ向かっているのだろうか。民家よりも木の数が多くなってきて、それと同時に笛と太鼓の音が近くなる。
やがて提灯をぶら下げた木々が出てきてここら一帯がすでに神社の敷地だと気づいた。
みんな神社という一ヶ所に吸い込まれるようにして、同じ方向を向いて歩いている。人の群れで混み出した歩道は少しずつ詰まり、自然と歩くスピードがゆっくりになっていく。
家を出た時は空がまだオレンジ色だったのに、いつの間にか紫がかっていて視界も心許なくなっていた。一瞬でも止まるとすぐにはぐれてしまいそうだ。窮屈そうに歩幅を小さくしながら私の右隣を歩く義弟を見上げて、何度も手を繋ぎたい衝動に駆られる。
人の波に乗って、ようやく神社の正面にある鳥居に到着した。その奥の参道の両脇には屋台の煌々としたテントがずらりと並んでいるのが見える。
だけど、人が多すぎてどこに何のお店があるのかわからない。
「止まるとかえって危ないので、とりあえず、前に進んでみましょうか」
喧騒の中で義弟が少し大きめの声を出すのを、こくこくと頷いてみせる。すると突然、右手を掴まれた。驚いて見上げると
「お義姉さんは小さいから、見失いそうで、すみません」
と、苦笑しながら謝った。前に私が、外で触ったらダメだと言ったからだろう。だけど今は、人と人の距離が近いこんな人混みではどうせ手元なんて見えないと、都合よく思い直す。
「ううん、ありがとう」
首を横に振って、私も義弟の手を握り返した。
人混みを抜けるように、義弟に手を引かれて歩き続ける。
境内の一番奥にある社殿に近づくにつれて、屋台の数が減って人もほとんど見当たらなくなった。傾斜がかった砂利道をしばらく歩いて、小さな手水舎が見えてくるととうとう屋台も人もいなくなった。
さらに続く道を見上げると社殿へ続く石階段があった。ぼんやりと浮かんでいる祭りの提灯が、社殿まで導くように等間隔で並んでいる。
「すごい人ねえ!」
興奮してつい大きな声が出る。石階段を数段登ってそこに腰を下ろすと、祭りの全貌がよく見えた。この中を通って来たのかとびっくりしてしまうほど、隙間なく人が詰まっていて、色とりどりの服や黒い頭がゆらゆらと動いている。あのままあそこにいたのでは、目的地に到着する前に迷子になってしまうのもわかる。
「今日はここで夕ご飯も調達しましょうか。予算は5000円と決めて持って来ましたから」
持ってきたハンドバッグを掲げると、隣に座った義弟が「あ」と声を出した。
「今日くらいは僕が出しますよ。一昨日まで働いた分をもらったので」
義弟はそう言って浴衣の袂から黒い長財布を取り出した。艶々と固そうな牛革でできたもので真新しい。
「どうしたの、それ」
「一昨日、安藤が再就職祝いにとくれました。面白いんですよ、封筒がなかったからなんて言って、この中にお金を入れて渡してきましたから」
思い出し笑いをしながら、義弟が黒い財布の表面を撫でる。
確かに一昨日、安藤さんが家に来た。今度は直接、正面から入り玄関の呼び鈴を押して来てくれたのだけど、お菓子のお礼と、義弟はすでに離れで仕事をしていることを伝えると早々に離れへ行ってしまい、その時もまた小さな箱菓子をいただいた。
「安藤さんって本当にいい人ね」
「そうですね、僕の友人の中で唯一、兄の取り巻きにならなかった人ですから。打算的なところが一切無い、真っ直ぐな奴です」
義弟がすごく嬉しそうに目尻を下げた。誰かに対してこんなに好意的な彼は見たことがない。信頼しきっているのだと思うと、相手が同性の安藤さんでも羨ましくなる。
屋台で何を買うのがお互い出し合っていると、同じように人混みを避けて来たのか私たちがいるところにも少しずつ人が増えてきた。焼きそばのパックやリンゴ飴やイカ焼きを持っている女の子達が、私たちの数段後ろに腰を下ろして声高にはしゃいでいる。
「じゃあ、僕たちもあの人混みに飛び込みますか」
「はいっ」
ぐっと気合を入れ直して、差し出された義弟の手に自分のを重ねて石段を降りる。
もみくちゃになりそうだったさっきとは違い、目当ての屋台に並ぶ列や順路が自然に出来上がっていて、今度はスムーズに人の流れに乗ることができた。
「あ、焼きそば見っけ」
呟くように言った義弟に手を引かれて、焼きそばの屋台の真ん前に出る。
二人がかりで忙しそうに銀色のヘラを動かしているおじさん達と、出来上がった焼きそばをパックに詰めながら強い語気で先客に注文を聞いている若いお兄さんに圧倒されそうになる。
「すごい殺気立ってる」
「……ね」
「さっさと買ってはけましょうか。2つでいいですか?」
「ええ」
私達の順番が来て、淡々と注文している義弟の横顔を眺める。いつの間にか私だけじゃなく他人に対しても普通に接することができている。代金と引き換えに焼きそばが二つ入ったビニール袋を受け取って、義弟がまた私の手を握った。
「さて、次はイカ焼きとたこ焼きですね」
列に戻る前に義弟が首を伸ばして行く先の目星をつける。
「あ、たこ焼き、ありました。その隣にベビーカステラもありますね。買おう」
「よく見えるわねぇ。ここからじゃ、ちっとも」
「他は、……あ、焼きとうもろこしも見えますよ。食べたいものあったら言ってください」
「リンゴ飴は?」
「んー、ここからじゃ見えませんね。まぁ歩いているうちに見つかるでしょう」
「さ、行きますよ」とまた人の流れに乗るために突っ込んでいく。まるで初めて一緒に買い物へ行って「久しぶりにバスに乗った」と言っていたあのときのように、義弟の声色が弾んでいた。「はしゃがないようにします」と言っていたのに、とおかしくなって引かれた手を見ながら笑ってしまう。
飲食物を売っている屋台をあらかた回って、当初の目的だったたこ焼きとベビーカステラ、焼きとうもろこしとリンゴ飴も全て手に入れることができた。他に、目についたラムネを買って飲みながら人混みを抜けてまた本殿へ続く石段に移動すると、そこは間隔を空けて座る複数のカップルで埋まっていた。他に座れるところを探しているうちに、石段の上段まで来てしまい、ようやく空いているところを見つけて腰を落ろす。
「屋台のところ、さっきよりは人が減ってきた感じがしますね」
「そうね。……大丈夫? 体調、悪くなってない?」
「平気ですよ。さすがにお腹は空いてきましたが」
「ここで何かひとつでもつまみましょうか」
そう提案すると、義弟は持っていた袋から真っ先にベビーカステラを取り出した。「糖分だから、これが一番手っ取り早くエネルギー源になる」と言って笑う。
「本当に甘いものが好きなのねえ」
「好きですねえ」
私の口調を真似て、義弟がベビーカステラを一つ摘んだ。それから私の口元に持ってくる。
「はい、あーん」
「えぇっ」
「あれ、いりませんか?」
義弟がきょとんとした顔で私を見る。
「あ、いえ、いただきます……」
「はい、あーん」
もう一度言ってにこにこと差し出されるベビーカステラを、視線を泳がせながら迎え入れる。口が小さかったのかベビーカステラが大きかったのか、詰まったところを押し込まれる。
「んんっ」
直前にラムネを飲んでいたから口の中が甘ったるいのに、ざらざらとした砂糖が舌にまとわりついてさらに甘くなる。
「どうですか?」
「……甘い、ですね」
我ながらひどい感想だと思った。
「そりゃそうでしょう」
義弟も声をあげて笑って、ベビーカステラを自分の口に放り込んだ。
義弟がベビーカステラを頬張っている間、残っていたラムネを飲み干して瓶の中に入っているビー玉をカラカラと鳴らして遊ぶ。小さい頃はこの中のビー玉が欲しくて、何度も父に割ってもらって集めていたっけ。少しずつ人が減っていく祭りの様子を見ながらぼんやりと思い出す。
「後で割りましょうか?」
「え?」
義弟が私の手の中のラムネ瓶を指差した。
「それ。中のビー玉を出すのに」
どうして、私の心の中がわかるのだろう。義弟と二人で行った記念に取っておこうかと一瞬でも思ってしまった。だけど取っておいて何になるのかと、女々しいと、すぐに思い直したところだった。
「あ、ううん、大丈夫……」
瓶をぎゅっと握って首を横に振る。
「じゃあ僕がもらってもいいですか?」
「え、欲しいの?」
「はい。今日の記念に」
あっさり言うものだから面食らってしまった。「ください」と手が伸びてくるのをさっと避ける。
「……あの、やっぱりダメ。記念だから」
驚いた顔で私を凝視した義弟が、一瞬で破顔する。恥ずかしくなって俯いていると
「ではそろそろ、本命の金魚すくいをしに行きましょうか」
と、浴衣の太もも部分にこぼれたベビーカステラの砂糖を払って義弟が立ち上がった。
石段を降りてまた祭り会場に戻る。
完売した焼きそばやたこ焼きといった定番の屋台がすでに店じまいをしていて、小さい子供をターゲットにしたお面やくじ引きの屋台も閑古鳥が鳴いていた。今は屋台の人が暇そうに椅子に座ってラジオを聴いている。あんなにひしめき合っていた人がまばらになっていた。
だけどそのおかげであっという間に金魚すくいを見つけることができた。
「取れなくても、1匹でも2匹でも3匹でもサービスするよぉ!」
ヤケクソ気味なのか威勢がいいのかよくわからない屋台のおじさんから、針金の枠で作られたポイを受け取る。すると急に、幼い頃、黒い出目金を取れなかった苦い思い出が蘇ってきた。
「あぁ、緊張する……」
「頑張って」
四角くて大きなタライの前に屈んでいる私の斜め後ろで、義弟が応援する。
どの子にしようかと視線を巡らせる。小さい子だとすぐに弱って死んでしまうかもしれない。でも大きい子だと、重さでポイがすぐに破けてしまうかも……。
「取れなくてもサービスするから」
考えながらポイを掲げてじっと固まったままでいると、屋台のおじさんが痺れを切らしたように言った。
「あ、はいっ」
慌てて、水の流れに身を任せるように固まって泳いでいた金魚たちの中へポイを沈める。その瞬間、金魚たちは散り散りになって四方八方へ逃げてしまった。慌てて追いかけようとしてポイを動かす。濡れた和紙が針金の縁からべろりと大きく剥がれた。
「ありゃ」
「——ふっ」
おじさんの気の抜けた声と義弟の吹き出す声が、ほぼ同時に聞こえた。顔から火が出たのではないかというくらい一瞬で熱くなる。
「残念だったねえ、お姉さん。ほら、どれがいいの」
おじさんがプラスチックのお玉を持って尋ねてきた。
「あの、じゃあ、これ、このオレンジ色の可愛い子を……」
「これね。他は?」
「えっ、一匹でいいです!」
「なぁんだ、じゃあお兄さんは」
急に指名された義弟が私の隣にしゃがみこんだ。「んー」と考えるように唸ってから
「……じゃあこの一番すばしっこくて赤い子をお願いします」
と、少し小さめの子を指差す。
「はいよー」
2匹の金魚がお玉ですくわれて、それぞれ透明なビニール袋へ入れられた。
「はいっ、長生きさせてやってね!」
「ありがとうございます」
「あ、お金払います」
2匹の金魚を私が受け取ると、義弟が財布と取り出しておじさんに小銭を手渡した。
袋を掲げて、金魚を見つめる。2匹とも突然放り込まれた狭いビニール袋に戸惑っているようで、止まったままヒレと口を動かしている。早く家に帰って大きな水槽に入れてあげたい。
「じゃあ、帰りますか」
「はい」
義弟の声に立ち上がって、屋台のおじさんに「ありがとうございました」と頭を下げる。
紫がかった空からすっかり闇のように真っ暗になった夜道は、神社から離れると提灯の灯りも届かず一層暗く感じた。
「お義姉さん、手」
神社の敷地をぐるりと囲む木々の横を歩きながら、義弟が手を差し出す。
「え、あ、でも……」
「暗いし、人もそんなに歩いていないから大丈夫ですよ」
つい反射的に辺りを見回す私に先回りして義弟が笑う。
「…………」
義弟が言うならそうなんだろうと、深く考えるのをやめて手を重ねた。
「少し急いで帰りましょうか。金魚もいるし、僕のお腹もそろそろ限界だし」
「そ、そうね、いつもの時間よりだいぶ遅いから、お腹空いたわよね」
神社の敷地を通り過ぎると、空にはスプーンでくり抜いたような中途半端に欠けた月が出ていた。背の高い木に隠れていたのか、そこにあったなんてわからなかった。
急に視界が開けたものだから誰かに見られている気がして、とっさに手を離しそうになる。だけど私の手を握る義弟の力は強くて、ちょっとやそっとじゃ振り払えなかった。心臓がドクドクと忙しなく動く。これが、急ぎ足で家に向かっているからなのか、不安からくるものなのか、よくわからない……。
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