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結婚指輪

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 「あなた、少し話をしてもいい」

 俺は無言だ。
 とても話す気にはなれない。

 「ごめんなさい。酔い潰れて、誰かに質たちの悪い悪戯をされたみたいなの。それだけなの、それ以外はされていないのよ。あなたが疑っているようなことは、していないわ」

 「はっ、嘘を吐くなよ。そうだったら、酔い潰れたと言うはずだろう。三次会って言うはずがないだろう」

 無言を貫くはずなのに、あまりの言い草に思わず怒鳴ってしまった。
 浴室では、自分で剃ったようなことを言ってたじゃないか、

 「うっ、嘘じゃないわ。三次会の後に酔い潰れたのよ」

 「はぁ、また嘘か。そんな質の悪い悪戯をされているに、俺に隠そうとしてたんだろう。君がこうなる前なら、こんな酷いことをされたと俺に言ってきたはずだ」

 「うっ、恥ずかしかったのよ。こんなことをされたなんて、あなたに知られたくなかったの」

 「君は悪戯って言うけど、男がやったのなら、その前にレイプされている可能性が高いんだぞ。恥ずかしいだけで済む話じゃないはずだ」

 「うぅ、浴室で念入りに確認したわ。痕跡なんて無かったわ」

 「ゴムをつけておけば、残らないんじゃないか」

 「えっ、そんなこと言わないでよ」

 「頼むから、正直に全部話してくれよ。三年も生活を共にしているんだ。俺に隠し事をしていることくらい、直ぐに分かるんだぞ」」

 「うっ、嘘じゃないって言っているでしょう。服は着ていたもの。これは行き過ぎた悪戯なんだと思うわ。私がこんなにショックを受けるとは、思わなかったんじゃないのかな」

 「ふーん、それじゃ携帯を見せてみろよ」

 「あっ、やっぱり私が浮気をしたって疑っているのね。信じられないわ。そんなの酷いよ」

 〈ゆきえ〉がグスグスと泣き出した。

 でも俺の疑念はそんなことでは、晴れることはない。
 酒をチビチビ飲みながら、じっと〈ゆきえ〉が泣いている姿を見続けるだけだ。

 「ああ、もう良いわ。こんな時間なんだから、私はもう寝るね」

 深夜まで男と遊んでいたのに、良く言うよ。

 「そうか。やっぱり携帯は見せられないんだな」

 「はぁー、そこまで言うのなら見せるわよ。だけど何も無いんだからね。見せたら、謝りなさいよ」

 〈ゆきえ〉はプリプリと怒って、携帯を取りに行ったらしい。
 分かりやすい、逆切れだな。

 俺は〈はっ〉と気がついて、〈ゆきえ〉が携帯のロックを外した瞬間を狙って、携帯を取りあげた。

 「ちょっと乱暴にしないでよ。消すものなんかないわ」

 あれ、あんまり焦っていないな。
 たぶん、俺が知らない、もう一台の携帯を持っているんだろう。

 そう思いながらも、携帯の履歴を確認していく。
 俺が心配して送ったメッセージが、未読のまま三個もあって悲しくなるな。
 横から自分の携帯を覗き込んでいた、〈ゆきえ〉が少し申し訳なさそうに言ってきた。

 「心配してくれたのに見なかったのは、酔っていたとはいえ、ごめんなさい」

 「あったぞ」

 「えっ、何があったのよ」

 「ほらこのメッセージだ。〈ひとみ〉さんからだ。〈二次会が終わって、〈ゆきえ〉さんがどこかへ消えてしまったので心配です。もう皆帰るところです。どこにいるのですか〉」

 これを見た瞬間、横にいる〈ゆきえ〉の心臓がドクンと跳ねた気がする。

 「う、嘘だよ。こんなメッセージ、知らないよ。〈ひとみ〉ちゃんどうして」

 〈ゆきえ〉はこのメッセージを見て、とても取り乱しているようで、言訳している内容が滅茶苦茶だ。
 それはそうだろう、二次会で終了して三次会は無かったことが、一遍にバレた瞬間だからな。

 ただ〈ゆきえ〉は、携帯を見せる時に、一切躊躇しなかったな。
 ひょっとして、酔い潰れてしまったのを良い事に、無理やりホテルへ連れ込まれてしまったのか。

 「君は三次会へ行ったのか」

 「えぇ、そうよ。何度も言ったでしょう」

 「三次会へ行ったメンバーは誰なんだ。その中の一人に、ホテルへ連れ込まれたんじゃないのか」

 「うっ、メンバーは言えないわ。それは許してほしいの。あなたを裏切って、浮気なんかしていないわ。それは信じてよ」

 「あぁ、おかしいだろう。三次会のメンバーを言えないなんて、浮気を認めているようなもんだぞ。君の言う三次会は、男と二人切りだったんじゃないのか。良い機会だからって、よろしくやったんだろう」

 「ち、違います。酔ってたから、メンバーを覚えていないのよ。よろしくなんて、いやらしい言い方をしないでよ」

 「メンバーを覚えていないのなら、男と二人切りの可能性もあるんじゃないか」

 「違うわ。他に女性もいたわよ」

 「ははっ、それも覚えていないって言うんだろう」

 「そうよ。それがどうしたのよ」

 「おかしいだろう。帰る時にはどこにいたんだよ」

 「えっ、どういうこと」

 「このマンションへ帰ろうと思った時に、いた場所だよ。帰る時には酔いつぶれてはいないから、覚えているだろう。そこに誰がいたんだよ」

 「…… 」

 「黙秘権か」

 「うぅ、誰もいなかったのよ」

 「場所は」

 「うっ、慌てていたから場所は覚えていないわ」

 「はぁ、すごい嘘を吐くな」

 「うぅ、裏切ってなんかいないわ。それだけは信じてよ」

 「ふん、嘘ばかり吐く人間の話を信じろって、まさか本気で言っているのか」

 「でも、私達は夫婦でしょう」

 「俺もつい昨日までは、そうだと思い込んでいたよ。でも違っていたんだな」

 「あぁ、そんな悲しいことを言わないでよ。いくらでも謝るから、許してよ」

 「あっ、指輪を外したんだな」

 夫婦と言われて、安月給の俺が無理した買った結婚指輪を、無意識に探したんだろう。
 〈ゆきえ〉の薬指に、いつもしていた結婚指輪がないことに気がついた。

 「えっ、あれないわ。どこに落としたんだろう」

 〈ゆきえ〉は慌てて浴室へ走って行き、バタンバタンと大きな音を立てながら、指輪を探すフリをしているらしい。

 その音を聞きながら、俺はまた酒をチビチビと飲んでいる。
 今日に限って、なかなか酔いが回らないんだ。

 「あなた、指輪を落としたのよ。心当たりはないかしら」

 「あるよ」

 「はっ、どこよ。早く返して。私を虐めないでよ」

 「名前は知らないが、卑怯な男だ。君の毛を剃ったヤツが、君が自分のものだという意味で抜き取ったに決まっている」

 「あぁ、そんな」

 「これは君の言うような、罪のない悪戯なんかじゃない。君のことを自分の女だと言っているんだ。君と今晩一緒にいたのは、どこのどいつだ。会社の上司か、それとも同僚なんだろう」

 「うぅ、何度でも言うけど、浮気なんかしてないわ。私はあなたの妻なんだから、他の男のものなんかじゃ絶対にないわ。うぅ」

 また〈ゆきえ〉が、グスグスと泣き出した。
 もう指輪を探そうとしないのは、外されたことを思い出したのだろう。

 ポストがガタンと音を立てたから、もう朝になって新聞が配達されてきたようだ。
 もう朝の六時頃か。

 酒を飲んで寝るつもりだったのに、一睡も出来なかったな。
 酔ってしまっているから、今日は会社を休むしかないけど、明日からも行く気が起こりそうにない。

 〈ゆきえ〉とは離婚するだろうし、もう何もかもどうでも良くなったな。

 「はぁ、行きたくはないし疲れてもいるけど、私は会社に行くわ。あなたはどうするの」

 ずっと酒を飲んでいたんだ、そんなこと聞かなくても分かるだろう。

 それにしても、離婚の危機なのによく会社に行く気になるな。
 俺との結婚生活なんて、どうなっても良いんだろう。

 「はぁ、あなた。お酒はほどほどにしてね。身体に毒よ。心配だわ」

 本当に良く言ってくれるよ、こうなったのは全てお前のせいだろう。

 俺が無言のまま睨みつけていたからか、〈ゆきえ〉は服を着替えてマンションを出ていった。

 出て行く前に俺を振り返ったけど、どんな顔をしていたのか記憶には残らなった、ろくに顔を見ていなかったせいだろう。
 このまま〈ゆきえ〉は、もうこのマンションへは戻らない気がしていたんだ。

 俺はしばらく、またチビチビと酒を飲んでいたけど、一本全部無くなってしまったため、コンビニかスーパーへ酒を買いに行く事にした。

 ぼーっと歩いていると、今の状況が心底嫌になってきた。
 浮気した方が会社に行き、された方がショックで会社に行けないんだ。
 浮気した方は、浮気がバレてもそれほどじゃないんだ、平気なんだと思う。

 それはそうだろう。

 浮気された方はまだ愛情が残っているけど、浮気した方はもう愛情が無いから浮気をしたのだと思う、だから別れることになっても何の痛みもないのだろう。
 慰謝料を取れたくないとか、世間体が悪いとかで、離婚をしたくないだけなんだろう。

 俺がここでグジグジと考えていてもしょうがない、健康と仕事を失えば、浮気相手に対して完璧に負けたことになる。

 ちくしょう。

 もう酒は止めて、明日からは仕事に行こう。
 せめて平気なフリをして、直ぐに別れてやるぞ。

 〈ゆきえ〉の顔を見て声を聞くと、心が落ち着かなくなるから、早く一人になって生活のリズムを変えてしまおう。
 そうしないと俺は、参ってしまう予感がする。

 中途半端でどっちつかずの状態にされるのが、精神の振れ幅が大きくて一番堪えるんだ。

 とりあえず、役所の支所で離婚届の用紙をもらってこよう。
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