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白い手
しおりを挟む【体験者】H県在住Kさん。
◆◆◆
これは、私がまだ小学4年生だった頃の話──。
8月も中旬に差し掛かった頃。お盆休みに入った父と共に家族でK府へとやって来た私は、その帰りの車中でウトウトとしていた。
「──香奈、起きて」
「…………ん~。……もうお家着いたぁ?」
「まだよ。トイレ休憩に車停めたから香奈も行ってらっしゃい」
「ママは?」
「起こしても起きないからもう先に行っちゃったわよ。今帰ってきてパパと交代したとこ」
「えぇ~……」
「ここから先、暫くトイレには寄れないから行っておきなさい」
「…………。はぁ~い」
眠い瞼を擦りながら大きく欠伸をした私は、ママに言われた通り車を降りるとその足でトイレへと向かった。
チラリと周りを見渡してみれば、どうやらここは道の駅らしい。近くにあった時計塔を見てみると、時刻は午前2時を少し回った頃だった。
(やだなぁ……、なんだか不気味)
真夜中なのだから当然といえば当然なのだけれど、施設内に設置されている店舗はどこも消灯され、街灯が立っているとはいえ全体的にとても薄暗かった。
(さっさとトイレ済ませちゃお)
先にトイレを済ませてしまったママのことを怨めしく思いながらも、私はトイレへと向かう足を早めた。
「……うわっ、最悪」
チカチカと点滅する電球が灯っているトイレ内を覗くと、私は眉間に皺を寄せながら小さく愚痴を零した。
ただでさえ夜中のトイレは不気味だというのに、これではまるでお化け屋敷だ。
「なんで先に一人で行っちゃったのよ……」
改めてママに対して怨めしく思うと、恐る恐る個室へと向かって足を進める。本当は入りたくなどないけれど、後になってトイレに行きたいなどと言い出したらきっと怒られてしまう。
そう思った私は、一番手前にある個室の前まで行くとピタリと足を止めた。
「……あっ。意外と綺麗」
開かれたままの扉から中を覗いてみると、そこには意外にも清潔感のあるトイレがあった。それにホッと安堵の息を漏らした私は、そのままその個室に入ると鍵を掛けた。
────コツコツコツ
(あ……誰か入ってきた。私達以外にも人がいたんだ)
一人ではないと思うと、途端に先程まで感じていた心細さも和らいでゆく。
私の目の前を通り過ぎていったその足音は、そのまま2つ隣りの個室へと入って行った。4つしかない小さめなトイレとはいえ、私以外に誰も入っていないのだから1つ間を空けたのだろう。むしろこの状況ですぐ隣りに入る人の方が珍しい。
そんなことを考えながらトイレを流し終えると、私は個室を出て手洗い場へと向かった。
(……あっ。ハンカチ忘れた!)
キョロキョロと辺りを見渡すとハンドドライヤーが設置されていることに気が付き、ホッと小さく息を吐いた私はそのまま両手を洗い始めた──その時。私は妙な違和感に気付いた。
(あれ……?)
先程見渡した時に私の視界に入ってきた4つの個室──その全ての扉が開いていたのだ。
確かに先程耳にしたあの足音は、私の2つ隣りの個室へと入って行った。例えそれが3つ目の個室ではなかったとしても、パタリと閉じられた扉の音まで聞こえてきたのだから、全ての扉が開いているなんてことは絶対におかしいのだ。
それに気付いた私はゆっくりと後ろを振り返ってみた。
「……え?」
視界の先に見えてきたのは4つの個室で、どう見てもその全ての扉は開け放たれている。
(あの音は私の聞き間違いだったの……?)
先程まで寝ていたということもあって、未だに寝ぼけているのだろうか? 目の前の光景を見ているとなんだかそう思えてきてならない。
(きっと聞き間違えたんだ)
私はそう結論づけると再び手洗い場に向き直った。
「──え……、っ!?」
鏡越しに映し出されたその光景を前に、自分の目を疑った私は小さく驚きの声を上げた。
つい数秒前に全個室の扉が開いているのを確認したばかりだというのに、3つ目の個室の扉が閉じられているのだ。
(……っ、どういうこと?)
勢いよく後ろを振り返ると、3つ目の個室へと視線を向けてみる。けれど、どう見てもその扉は開かれている。
「なん、で……っ?」
途端に恐ろしくなった私は、もう一度手洗い場へと向き直ると未だ泡の残っていた両手をゴシゴシと洗い流してゆく。
(早くここから出よう……っ、)
半泣き状態で両手に付いた泡を流し終えると、ハンドドライヤーで乾かそうと顔を上げた──次の瞬間。何気なく目にした鏡を前に、私はビクリと身体を揺らすと硬直した。
鏡越しに私の瞳に映っているのは、ゆっくりと開かれてゆく3つ目の個室の扉。決して見たいわけでもないのに、恐怖に震える私の瞳はその光景を捉えたまま離そうとはしない。禍々しい気配を纏った扉から徐々に姿を現してくるのは、まるで地獄にでも繋がっているのかと思うほどにどす黒い空間。
「──っ、!!? ……きゃあぁぁああ!!!」
ヌルリと滑るようにして扉の内側から現れたのは、この世のものとは思えぬ程に真っ白な手。今にもその全貌を現しそうな気配に、耐え切れなくなった私は勢いよくトイレを飛び出した。
(何あれ……っ!? 何アレ……っ!!?)
もつれる足を懸命に動かしながら、車に向かって一気に駆け抜ける。
「──! ……パパッ!!!」
見覚えある後ろ姿を前方に発見すると、そのまま突進するかのようにしてしがみつく。そんな私に驚きながらもゆっくりと振り返ったパパ。
「ああ、香奈もトイレに行ってたのか? パパも今帰るとこ──うわっ。なんだ香奈、手がビショビショじゃないか」
「……っ。パパァ~!! オバケがいたっ! オバケが出たのぉ~!!」
「なんだ寝ぼけてるのか? 大丈夫だよ、オバケなんていないから。ほら、泣かない泣かない」
泣き出す私の頭をポンポンと優しく撫でたパパは、ポケットからハンカチを取り出すと私に差し出した。
「ちゃんと手は乾かさないとダメだろ? パパの服ビチョビチョになっちゃったじゃないか……」
困ったような顔を見せながら小さく文句を言ったパパは、拭き終えた私の手を取るとそのまま歩き始める。その手はとても力強く頼もしくて、気付けば落ち着きを取り戻していた私。
そのまま車へと戻ってくると、再び走り出した車に揺られながら窓の外をボンヤリと眺める。
(あの手は一体何だったんだろう……)
パパやママには寝ぼけていただけだと軽く流されてしまったけれど、確かに“アレ”は見間違いなどではなかった。
トイレ中に漂う冷気やあの真っ白な手は、確かにそこに存在していたのだ。
(……もう考えるのやめよ)
ブルリと小さく身体を揺らした私は、膝に掛けていたブランケットを肩まで引っ張り上げた。
窓から見える煌めくネオンの輝きを眺めながら、眠たくなってきた瞼を擦ると大きく欠伸をする。
「まだかかるから寝てなさい」
「……うん」
後部座席にいる私に向けて優しく微笑んだママは、再び前を向くと運転中のパパと会話を始める。そんなパパ達の会話を耳にしながら、その心地良さに安堵した私はゆっくりと意識を手放していった。
──あれから4年。
その後特に何かがあった訳ではないけれど、あの時感じた恐怖は今も鮮明に覚えている。
─完─
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