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予期せぬ婚約
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◆◆◆
──あれから数日が経ったある日のこと。
穏やかな午後を知らせるコマドリの囀りが聞こえる中、私は父に呼ばれて執務室へと来ていた。
「リディアナ、見てみなさい。お前にこんなに沢山の婚約の申し入れが来ているぞ。流石は私の自慢の娘だ。……さっそく、今から検討してお前の嫁ぎ先を決めようと思う」
私に向けて満足気にそう告げた父は、机に並べられたいくつもの封筒を見て嬉しそうに微笑んだ。
「──!? そんな……っ! まだ早すぎますわ、お父様!」
「何を言っているんだ。あと一ヶ月もすれば、お前も十六を迎える。早いことなんてないだろう」
「でも……っ!」
「なに、心配することはない。ちゃんとお前が幸せになれる相手を選ぶから安心しなさい」
私を見て優しく微笑んだ父は、手元の封筒に視線を落とすとそれを開封し始める。次々と封の切られてゆく封筒を見つめながら、私は愕然とすると小さく身体を震わせた。
私より十も年上の兄に未だ婚約者がいないことから、どこか自分の婚約はまだ数年先であろうと、私はおぼろげながらにそんな考えを抱いていた。けれど、その考えは間違っていたのだ。
「っ、……お父様。お兄様だって、まだ婚約されていないわ」
「ああ……、それには私も困っているんだ。沢山の申し入れが来ているというのに……。ユリウスは任務で忙しいと言って、全く関心を持とうともしない。全く、どうしたものか……」
「それなら、お兄様の婚約が決まってからでも……」
「リディアナ、お前は私を困らせないでおくれ。お前に立派な嫁ぎ先を選んでやるのが、親である私の務めなんだ」
困ったように微笑む父の姿を見て、それ以上何も言うことができなくなってしまった私は、握りしめた手にキュッと力を込めると固く口を結んだ。
決して父を困らせたいなどというわけではなく、ただ、私は心の準備ができていなかっただけなのだ。
貴族の娘である以上、いつかは父の決めた相手と結婚する覚悟はしていた。それが今まで大切に育ててきてくれた両親への恩返しになるのだから、そんなことに反抗しようだなんて思ったことはない。
けれど、この胸のつかえは一体なんだというのか──。
ウィリアムへの断ち切れない想いにツキリと胸を痛めると、私は固く閉ざした口をゆっくりと開いた。
「──わかりましたわ、お父様」
あえかな微笑みを見せながらそう答えると、嬉しそうに微笑んだ父は満足気に頷いたのだった。
※※※
それから再び父に呼ばれて執務室へと訪れたのは、五日後のことだった。
「リディアナ。お前の嫁ぎ先のことだが、スペンサー子爵はどうかと思ってね」
予想していた通りの話しの内容にドキリと鼓動を跳ねさせた私は、膝の上に重ねた自分の両手をキュッと握り締めた。
父の言うスペンサー子爵といえば、辺境の広大な土地を収めるハプスブルク伯爵の嫡男であり、結婚相手としては申し分ない。それどころか、何の取り柄すら持ち得ていない私などには、身に余る程のお相手だといえる。
私の為を思って真剣に考えてくれたのだと、父のその思いには本当に感謝する他ない。
けれど、いよいよ突き付けられてしまった現実を前に、私の胸は張り裂けそうな思いでいっぱいだった。
辺境の土地にあるハプスブルク家に嫁ぐこととなれば、両親や兄にでさえ頻繁に会うことは難しくなるだろう。そして勿論、ウィリアムとも──この先一生、会うことはないのかもしれない。
「ここより遠く離れた土地にあることを考えると、リディアナに中々会えなくなるのは寂しいことだが……。スペンサー子爵は、実直でとても優しい方だと噂に聞く。彼と結婚すれば、必ずやお前も幸せになれるだろう」
「ええ、お父様……」
デビュタントで少しばかり挨拶を交わした程度のものだったけれど、スペンサー子爵はとても物腰の柔らかい優しそうな方だった。きっと、父の言うように彼と結婚すれば幸せな家庭が築けるのだろう。
(これでいいのよ、リディ……)
このまま父の言うようにスペンサー子爵と結婚して、いずれ子供を授かり温かい家庭を築いてゆく──それが私の幸せなのだ。
そう自分自身を納得させると、嬉しそうな笑みを浮かべる父に向けて私は小さな微笑みを返した。
「それでは、明日にでも正式な返事を送るとしよう」
「……ええ、お願いしますわ」
私がコクリと小さく頷いたのを確認すると、とても満足そうに微笑んだ父。これでこの話しは終わりとばかりに椅子に背をもたれかけさせると、テーブルに置かれたカップを手に取り紅茶を一口飲み込む。
そんな父の姿を静かに眺めていたその時、執務室の扉は軽やかな音色を響かせた。
───コンコン
「旦那様、ランカスター卿がおいでになられています」
───!!
扉越しに聞こえてきたその名前に驚いた私は、ビクリと肩を揺らすとその身を硬直させた。私の聞き間違いでなければ、今、この屋敷にウィリアムが来ているのだ──。
何故、突然父の元を訪れたのかは分からない。それ以前に、こちらに帰ってきていることすら聞かされていなかった私は、緊張から手に汗を握るとゴクリと小さく喉を鳴らした。
(ウィルが今、ここに……)
懐かしさと胸の痛みに複雑な表情を浮かべると、私はゆっくりと父の方へと視線を戻すと固唾を飲んだ。
「なんと、ランカスター卿が! ……わかった、応接室へお通ししておいてくれ。すぐに行く」
「では、そのように」
扉越しに交わされる会話に耳を傾けていると、そんな私に気付いた父が私に向けて優しく微笑んだ。
「……リディ、お前も来なさい。結婚が決まれば、もう会うこともないだろう。久しぶりに会っておくといい。きっと、ランカスター卿も喜ばれるはずだ」
「っ……はい、お父様」
複雑な心境のままそう答えると、私は父の後について執務室を後にしたのだった。
──あれから数日が経ったある日のこと。
穏やかな午後を知らせるコマドリの囀りが聞こえる中、私は父に呼ばれて執務室へと来ていた。
「リディアナ、見てみなさい。お前にこんなに沢山の婚約の申し入れが来ているぞ。流石は私の自慢の娘だ。……さっそく、今から検討してお前の嫁ぎ先を決めようと思う」
私に向けて満足気にそう告げた父は、机に並べられたいくつもの封筒を見て嬉しそうに微笑んだ。
「──!? そんな……っ! まだ早すぎますわ、お父様!」
「何を言っているんだ。あと一ヶ月もすれば、お前も十六を迎える。早いことなんてないだろう」
「でも……っ!」
「なに、心配することはない。ちゃんとお前が幸せになれる相手を選ぶから安心しなさい」
私を見て優しく微笑んだ父は、手元の封筒に視線を落とすとそれを開封し始める。次々と封の切られてゆく封筒を見つめながら、私は愕然とすると小さく身体を震わせた。
私より十も年上の兄に未だ婚約者がいないことから、どこか自分の婚約はまだ数年先であろうと、私はおぼろげながらにそんな考えを抱いていた。けれど、その考えは間違っていたのだ。
「っ、……お父様。お兄様だって、まだ婚約されていないわ」
「ああ……、それには私も困っているんだ。沢山の申し入れが来ているというのに……。ユリウスは任務で忙しいと言って、全く関心を持とうともしない。全く、どうしたものか……」
「それなら、お兄様の婚約が決まってからでも……」
「リディアナ、お前は私を困らせないでおくれ。お前に立派な嫁ぎ先を選んでやるのが、親である私の務めなんだ」
困ったように微笑む父の姿を見て、それ以上何も言うことができなくなってしまった私は、握りしめた手にキュッと力を込めると固く口を結んだ。
決して父を困らせたいなどというわけではなく、ただ、私は心の準備ができていなかっただけなのだ。
貴族の娘である以上、いつかは父の決めた相手と結婚する覚悟はしていた。それが今まで大切に育ててきてくれた両親への恩返しになるのだから、そんなことに反抗しようだなんて思ったことはない。
けれど、この胸のつかえは一体なんだというのか──。
ウィリアムへの断ち切れない想いにツキリと胸を痛めると、私は固く閉ざした口をゆっくりと開いた。
「──わかりましたわ、お父様」
あえかな微笑みを見せながらそう答えると、嬉しそうに微笑んだ父は満足気に頷いたのだった。
※※※
それから再び父に呼ばれて執務室へと訪れたのは、五日後のことだった。
「リディアナ。お前の嫁ぎ先のことだが、スペンサー子爵はどうかと思ってね」
予想していた通りの話しの内容にドキリと鼓動を跳ねさせた私は、膝の上に重ねた自分の両手をキュッと握り締めた。
父の言うスペンサー子爵といえば、辺境の広大な土地を収めるハプスブルク伯爵の嫡男であり、結婚相手としては申し分ない。それどころか、何の取り柄すら持ち得ていない私などには、身に余る程のお相手だといえる。
私の為を思って真剣に考えてくれたのだと、父のその思いには本当に感謝する他ない。
けれど、いよいよ突き付けられてしまった現実を前に、私の胸は張り裂けそうな思いでいっぱいだった。
辺境の土地にあるハプスブルク家に嫁ぐこととなれば、両親や兄にでさえ頻繁に会うことは難しくなるだろう。そして勿論、ウィリアムとも──この先一生、会うことはないのかもしれない。
「ここより遠く離れた土地にあることを考えると、リディアナに中々会えなくなるのは寂しいことだが……。スペンサー子爵は、実直でとても優しい方だと噂に聞く。彼と結婚すれば、必ずやお前も幸せになれるだろう」
「ええ、お父様……」
デビュタントで少しばかり挨拶を交わした程度のものだったけれど、スペンサー子爵はとても物腰の柔らかい優しそうな方だった。きっと、父の言うように彼と結婚すれば幸せな家庭が築けるのだろう。
(これでいいのよ、リディ……)
このまま父の言うようにスペンサー子爵と結婚して、いずれ子供を授かり温かい家庭を築いてゆく──それが私の幸せなのだ。
そう自分自身を納得させると、嬉しそうな笑みを浮かべる父に向けて私は小さな微笑みを返した。
「それでは、明日にでも正式な返事を送るとしよう」
「……ええ、お願いしますわ」
私がコクリと小さく頷いたのを確認すると、とても満足そうに微笑んだ父。これでこの話しは終わりとばかりに椅子に背をもたれかけさせると、テーブルに置かれたカップを手に取り紅茶を一口飲み込む。
そんな父の姿を静かに眺めていたその時、執務室の扉は軽やかな音色を響かせた。
───コンコン
「旦那様、ランカスター卿がおいでになられています」
───!!
扉越しに聞こえてきたその名前に驚いた私は、ビクリと肩を揺らすとその身を硬直させた。私の聞き間違いでなければ、今、この屋敷にウィリアムが来ているのだ──。
何故、突然父の元を訪れたのかは分からない。それ以前に、こちらに帰ってきていることすら聞かされていなかった私は、緊張から手に汗を握るとゴクリと小さく喉を鳴らした。
(ウィルが今、ここに……)
懐かしさと胸の痛みに複雑な表情を浮かべると、私はゆっくりと父の方へと視線を戻すと固唾を飲んだ。
「なんと、ランカスター卿が! ……わかった、応接室へお通ししておいてくれ。すぐに行く」
「では、そのように」
扉越しに交わされる会話に耳を傾けていると、そんな私に気付いた父が私に向けて優しく微笑んだ。
「……リディ、お前も来なさい。結婚が決まれば、もう会うこともないだろう。久しぶりに会っておくといい。きっと、ランカスター卿も喜ばれるはずだ」
「っ……はい、お父様」
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