5 / 13
別れは突然に
1
しおりを挟む
◆◆◆
「リディ。昨日もウィルの屋敷に行っていたと聞いたよ」
夕食を食べ進めていた手を止めると、私は声の主である兄の方へと視線を向けた。
私と同じプラチナブロンドの髪を持つ彼は、その特性の多くを母から譲り受けてはいるものの、その面差しは父親譲りで精悍な顔つきをしている。その風貌は御令嬢からも大層な人気のようで、その噂は妹である私の耳にも届いていた。
同じ両親の元で生まれ育ったというのに、特に何の才にも秀でていない私とは違って、社交的で人望もある兄。そんな兄は私の自慢でもあったが、それと同時にコンプレックスでもあり、元々ない自信を更に私から奪っていた。
優しい両親や兄はそんなこと少しも気にはしていなかったけれど、優秀な兄やウィリアムを間近で見て育ってきた私にとって、それだけ彼らの存在と影響力は大きなものだった。
「ええ……午後に少し、お邪魔していたわ」
「あまり行くものではないよ。ウィルは忙しいんだ、邪魔しちゃ悪い」
「わかっているわ……」
咎められた言葉に小さく俯くと、ツキリと痛む胸にそっと蓋をする。
二年前に流行り病で両親を亡くしたウィリアムは、齢二十歳にして家督を継ぐと、その領地を広げることに成功したばかりか、皇帝直属の護衛騎士団長としての優秀な功績も収めた。
そんなウィリアムが少しでも休めるようにと、そう思う気持ちがあるのは私とて変わりはない。だが、兄が咎めている理由は、恐らくそんな理由からではない。
まだ十二になったばかりとはいえ伯爵家の令嬢である私が、婚約者でもない立派な大人であるウィリアムと個人的な交流を重ねるなど、世間体が良くないと言いたいのだ。
万が一にでも変な噂でも立とうものなら、それは両家にとってマイナスにしかならない。特に、女性である私が傷モノだと噂をされれば、例えそれが真実ではなくとも、まともな婚姻などできなくなるだろう。
兄は、それを危惧しているのだ。
「リディアナ。お前の気持ちもわかるが、ユリウスの言う通りだ。少し控えなさい」
「っ、……はい、お父様」
改めて父にそう釘を刺されると、私は止めていた手を動かすと食事を口へと運んだ。けれど、乾ききった喉では上手く食事を飲み込むことができない。
いずれ失われる時間だと分かってはいたものの、せめてウィリアムが婚約を発表する時が来るまではと──そう思っていた私の考えは甘かったのだ。
早く大人として対等に向き合えるようになりたいと思う私の気持ちとは裏腹に、大人になるにつれてその距離の遠さに現実を突き付けられる。
せめて、ウィリアムに見初められる程の秀でた容姿を私が持っていれば──。婚約者として、あるいはウィリアムの隣に立つこともできたのかもしれない。
そんな非現実的な考えを思い浮かべながら、父と兄が話す会話に耳を傾ける。
「まぁ、そんなに心配することもないさ。いよいよ、アルフレッド皇子の出立の日取りが決まったんだ。三週間後らしいよ」
「そうか! いよいよ、隣国との貿易が本格的に始動するわけだな。これでこの国も、もっと豊かになるぞ」
「その護衛に、ウィルを推薦しておいたよ。きっと、数年は帰ってこないだろうからね。これでリディも、余計な噂が立つ心配もないよ」
───!?
兄の発した言葉にビクリと肩を跳ねさせると、私は驚きに身を固めた。
父と兄が話している隣国との貿易とは、確か以前聞いた話によれば、このイヴァナ帝国とハインスク公国との友好を固く結びつけるのにとても重要なものだとか。そしてそれは、互いの領地に面した平地を開拓することで貿易を可能にするとかで、その場所はここより五十キロ程離れた帝都の、更に百キロ南下した場所にあると聞いている。
それにウィリアムが護衛として行くのだとすれば、もう今までのようには確実に会えなくなってしまうのだ。
思いもよらない突然の別れに、私は愕然とすると小さく震えた。
わかってはいた。わかってはいたのだ──いつか別れが来ることは。けれど、こんな形での別れを想定していなかった私にとって、それはあまりにも衝撃的な話しだった。
「お兄様……。三週間後に、ウィルはここを出ていかれるの?」
「そうだね。その前に、ちゃんとお別れを言っておいで」
「っ……。……ええ、わかったわ」
兄の言葉に小さく頷いた私は、自分の手元に視線を落とすと涙を堪えた。
これはきっと、いい機会だったのだ。いずれ来る別れなら早い方がいい。この想いが熟しきってしまってからでは、ウィリアムへの想いを断ち切ることも難しくなってしまうのだ。
そう自分に言い聞かせながらそっと瞼を閉じると、堪えきれなくなった涙が一雫、私の頬を伝ってポタリと落ちた。
「リディアナ……。辛いのはわかるが、仕方がないことなんだ」
「そうよ、リディ。ランカスター卿の前では涙を見せてはダメよ、心配なさるわ。……笑顔で送り出してらっしゃい」
「はい……っ、お父様、お母様」
心配そうな顔を見せる父と母に向けて小さく微笑むと、それに安心したかのように優しい笑顔を返してくれる二人。そんな両親の優しさに感謝しながら涙を拭うと、私は今一度ウィリアムへの想いを断ち切る覚悟をする。
こんな事になってから今更自覚するとは、自分自身が本当に情けない。この想いは、確かにウィリアムへの恋心だったのだ──。
そう自覚したと同時に断ち切らなけばならないとは、なんて残酷な仕打ちを神はお与えになるのだろうか。乗り越えられない試練はないと言うならば、きっとこの想いもいつか淡い思い出となるのだろう。今は辛くとも、きっといつかは笑える日が来る。
そう自分に言い聞かせると、私はその想いに無理矢理蓋をしたのだった。
「リディ。昨日もウィルの屋敷に行っていたと聞いたよ」
夕食を食べ進めていた手を止めると、私は声の主である兄の方へと視線を向けた。
私と同じプラチナブロンドの髪を持つ彼は、その特性の多くを母から譲り受けてはいるものの、その面差しは父親譲りで精悍な顔つきをしている。その風貌は御令嬢からも大層な人気のようで、その噂は妹である私の耳にも届いていた。
同じ両親の元で生まれ育ったというのに、特に何の才にも秀でていない私とは違って、社交的で人望もある兄。そんな兄は私の自慢でもあったが、それと同時にコンプレックスでもあり、元々ない自信を更に私から奪っていた。
優しい両親や兄はそんなこと少しも気にはしていなかったけれど、優秀な兄やウィリアムを間近で見て育ってきた私にとって、それだけ彼らの存在と影響力は大きなものだった。
「ええ……午後に少し、お邪魔していたわ」
「あまり行くものではないよ。ウィルは忙しいんだ、邪魔しちゃ悪い」
「わかっているわ……」
咎められた言葉に小さく俯くと、ツキリと痛む胸にそっと蓋をする。
二年前に流行り病で両親を亡くしたウィリアムは、齢二十歳にして家督を継ぐと、その領地を広げることに成功したばかりか、皇帝直属の護衛騎士団長としての優秀な功績も収めた。
そんなウィリアムが少しでも休めるようにと、そう思う気持ちがあるのは私とて変わりはない。だが、兄が咎めている理由は、恐らくそんな理由からではない。
まだ十二になったばかりとはいえ伯爵家の令嬢である私が、婚約者でもない立派な大人であるウィリアムと個人的な交流を重ねるなど、世間体が良くないと言いたいのだ。
万が一にでも変な噂でも立とうものなら、それは両家にとってマイナスにしかならない。特に、女性である私が傷モノだと噂をされれば、例えそれが真実ではなくとも、まともな婚姻などできなくなるだろう。
兄は、それを危惧しているのだ。
「リディアナ。お前の気持ちもわかるが、ユリウスの言う通りだ。少し控えなさい」
「っ、……はい、お父様」
改めて父にそう釘を刺されると、私は止めていた手を動かすと食事を口へと運んだ。けれど、乾ききった喉では上手く食事を飲み込むことができない。
いずれ失われる時間だと分かってはいたものの、せめてウィリアムが婚約を発表する時が来るまではと──そう思っていた私の考えは甘かったのだ。
早く大人として対等に向き合えるようになりたいと思う私の気持ちとは裏腹に、大人になるにつれてその距離の遠さに現実を突き付けられる。
せめて、ウィリアムに見初められる程の秀でた容姿を私が持っていれば──。婚約者として、あるいはウィリアムの隣に立つこともできたのかもしれない。
そんな非現実的な考えを思い浮かべながら、父と兄が話す会話に耳を傾ける。
「まぁ、そんなに心配することもないさ。いよいよ、アルフレッド皇子の出立の日取りが決まったんだ。三週間後らしいよ」
「そうか! いよいよ、隣国との貿易が本格的に始動するわけだな。これでこの国も、もっと豊かになるぞ」
「その護衛に、ウィルを推薦しておいたよ。きっと、数年は帰ってこないだろうからね。これでリディも、余計な噂が立つ心配もないよ」
───!?
兄の発した言葉にビクリと肩を跳ねさせると、私は驚きに身を固めた。
父と兄が話している隣国との貿易とは、確か以前聞いた話によれば、このイヴァナ帝国とハインスク公国との友好を固く結びつけるのにとても重要なものだとか。そしてそれは、互いの領地に面した平地を開拓することで貿易を可能にするとかで、その場所はここより五十キロ程離れた帝都の、更に百キロ南下した場所にあると聞いている。
それにウィリアムが護衛として行くのだとすれば、もう今までのようには確実に会えなくなってしまうのだ。
思いもよらない突然の別れに、私は愕然とすると小さく震えた。
わかってはいた。わかってはいたのだ──いつか別れが来ることは。けれど、こんな形での別れを想定していなかった私にとって、それはあまりにも衝撃的な話しだった。
「お兄様……。三週間後に、ウィルはここを出ていかれるの?」
「そうだね。その前に、ちゃんとお別れを言っておいで」
「っ……。……ええ、わかったわ」
兄の言葉に小さく頷いた私は、自分の手元に視線を落とすと涙を堪えた。
これはきっと、いい機会だったのだ。いずれ来る別れなら早い方がいい。この想いが熟しきってしまってからでは、ウィリアムへの想いを断ち切ることも難しくなってしまうのだ。
そう自分に言い聞かせながらそっと瞼を閉じると、堪えきれなくなった涙が一雫、私の頬を伝ってポタリと落ちた。
「リディアナ……。辛いのはわかるが、仕方がないことなんだ」
「そうよ、リディ。ランカスター卿の前では涙を見せてはダメよ、心配なさるわ。……笑顔で送り出してらっしゃい」
「はい……っ、お父様、お母様」
心配そうな顔を見せる父と母に向けて小さく微笑むと、それに安心したかのように優しい笑顔を返してくれる二人。そんな両親の優しさに感謝しながら涙を拭うと、私は今一度ウィリアムへの想いを断ち切る覚悟をする。
こんな事になってから今更自覚するとは、自分自身が本当に情けない。この想いは、確かにウィリアムへの恋心だったのだ──。
そう自覚したと同時に断ち切らなけばならないとは、なんて残酷な仕打ちを神はお与えになるのだろうか。乗り越えられない試練はないと言うならば、きっとこの想いもいつか淡い思い出となるのだろう。今は辛くとも、きっといつかは笑える日が来る。
そう自分に言い聞かせると、私はその想いに無理矢理蓋をしたのだった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく
おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。
そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。
夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。
そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。
全4話です。

私の大好きな彼氏はみんなに優しい
hayama_25
恋愛
柊先輩は私の自慢の彼氏だ。
柊先輩の好きなところは、誰にでも優しく出来るところ。
そして…
柊先輩の嫌いなところは、誰にでも優しくするところ。


あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

歪んだ恋にさようなら
木蓮
恋愛
双子の姉妹のアリアとセレンと婚約者たちは仲の良い友人だった。しかし自分が信じる”恋人への愛”を叶えるために好き勝手に振るまうセレンにアリアは心がすり減っていく。そして、セレンがアリアの大切な物を奪っていった時、アリアはセレンが信じる愛を奪うことにした。
小説家になろう様にも投稿しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる