このインモラルで狂った愛を〜私と貴方の愛の手記〜

邪神 白猫

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実ってゆく恋心

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◆◆◆



「随分と難しい顔をしているね、リディ」

「…………。どうしてナターシャは、エミリオを受け入れたのかしら……。それがわからないの」


 読み聞かせてもらっている本を前に眉間に皺を寄せると、そんな私を見たウィリアムが小さくクスリと声を漏らした。


「それはね、愛しているからだよ」

「愛……?」

「リディには少し早かったかな? 大人になれば、きっと理解ができるよ」
 

 私の肩にかかるプラチナブロンドの髪を一房ひとふさすくうと、まるでガラス細工でも扱うかのように優しく掌からその髪を流したウィリアム。
 その瞳は穏やかに微笑んではいるものの、真っ直ぐに私を捉え続ける眼差しはとても妖艶で、まるで絡め取られてしまうかのような感覚にドキリとした私は、ウィリアムから視線を逸らすとその視線を自分の膝へと落とした。

 ウィリアムが私に読み聞かせてくれる書籍は、一人で読むには難しい歴史書などが殆どだった。けれど、最近ではこうした巷で流行っているという、ロマンス小説のようなものも含まれるようになった。
 大人の女性のたしなみに必要なものなのだと聞かせられれば、私はウィリアムの言葉を信じて素直にそれを受け入れた。それ程に、大人の女性というものに強い憧れがあったのだ。

 けれど、今日読み聞かせてもらった本に出てきたナターシャとエミリオの物語は、私には到底理解ができるようなものではなかった。
 沢山の人を殺めて追われる身となったエミリオ。その彼の逃亡を手伝い、彼と共に辛く険しい道を生きることを選んだナターシャ。私には、そんな二人の姿が決して幸せだとは思えなかった。
 それがウィリアムの言う大人にしかわからない”愛”だというなら、私は大人にはなりたくはない。そう思う程に、二人の物語は私の持ちうる道徳心から逸脱したものに見えたのだ。


(私も……いつか大人になれば、この二人の気持ちが理解できるようになるというの? そんなの嫌だわ……)


 愛とは、もっと温かく穏やかなものなのだと。優しい両親の元で育ってきた私には、そういうものなのだと思えばこその憧れがあった。けれど、ウィリアムの言うように、この二人の物語も一つの”愛”だと言うなら——。

 到底理解できるとは思えぬ感情に恐怖すると、私は膝に置いた両手をキュッと握り締めた。


「さぁ、お茶にしようか。おいで、リディ」


 私の耳元でそう優しく囁いたウィリアムは、私の返事を待つことなく私を抱え上げると、そのまま私を自分の膝の上へと乗せた。

 侯爵家と伯爵家という身分差があるにも関わらず、こうして妹のように可愛がってくれるウィリアム。出会った頃は八歳だったということもあり、抵抗を感じる事もさほどなかったこの行為も、流石に十二にもなれば恥ずかしさが生まれる。
 ましてや、家族でもなければ婚約者ですらない男性と密着するなど、貴族の令嬢ともあろう者が決して許されるような行為とも思えない。

 けれど、そうは思っても言い出せないのは、やはりウィリアムへ強く心惹かれてしまっているせいなのだろうか……。
 そんな自分の気持ちに薄っすらと気付きながらも、私は黙ってウィリアムのその優しさに甘えると、彼の優しい温もりを感じて頬を赤らめた。


「今日は、ローズティーにしてみたよ。リディの口に合うといいのだけど……」


 そう言いながらカップに紅茶を注ぐウィリアムの所作はとても美しく、私はその様子に見惚れると静かに見守った。
 耳元で聞こえる彼の伸びやかなテノールの声はとても魅惑的で、それは私の鼓膜を通して脳内へと甘美な刺激を与えると、トクトクと高鳴る鼓動と共に更に私の顔を赤くさせた。背後から伸びる腕と背中に感じる温もりは、まるで私を抱きしめているかのような錯覚を与える。

 彼の所作一つ一つは見る者の心を奪い、その口から紡がれる言葉には一瞬で人々を魅了させる力がある。そんな魅力があることを、きっと彼は知らない。

 貴族であれば当然ではあるけれど、彼は決して人前ではこうして自分で紅茶を淹れることはしない。人払いをした書斎でのみ、私の為だけに紅茶を淹れてくれるウィリアム。
 そんな特別な時間が私にとってどれだけ嬉しいことか、彼は知っているのだろうか——?

 そしてこの特別な時間も、ウィリアムの婚約が決まった時——あるいは、私の婚約者が決まってしまえば、簡単に失われてしまうのだ。
 そう考えると、私の心に小さな影が落ちる。


「リディ? ……どうかした?」


 黙って俯いてしまった私の横顔を覗き込むと、私の顔にかかった髪を優しく手に取り耳にかけたウィリアム。微かに耳に触れた彼の手にピクリと身体を震わせると、私は赤らめた頬で小さく首を横に振った。


「いいえ……何でもないの」

「そう? ほら、リディの好きなチョコレートもあるよ」


 テーブルに置かれたお皿から綺麗にトッピングされたチョコを摘むと、そのまま私の口元へと運ぶウィリアム。自分で食べれると言いたいところだけれど、優しく微笑みながらも有無を言わせないその強い眼差しに、私は小さく喉を鳴らすとゆっくりと口を開いた。

 それに満足したかのようにクスリと小さく声を漏らしたウィリアムは、「いい子だね、私の可愛いリディ」と囁いて私の口の中へとチョコを入れる。途端に口の中一杯に広がる、甘いチョコレート。
 それはまるで心に影を落とした私を慰めるかのようにして、私の心に沁みて溶けたチョコが身体と一体化してゆく。


(このチョコのように甘いひと時が、少しでも長く続きますように……)


 そんな願いを心に秘めながらも、この想いは決して悟られてはいけないのだと自分に言い聞かせる。侯爵家の中でも一番の領地と地位を誇るウィリアムと、特に秀でた容姿を持つわけでもなければ、非凡な才能があるわけでもないただの伯爵家の私とでは、到底釣り合うはずもないのだ。
 いずれ彼は、相応しい相手と婚約を結ぶはず。実際、彼の評判は社交界でも一・二を争う程の人気で、既に沢山の御令嬢から婚約の申し入れが来ているのだと、以前、父と兄が話していたのを聞いた事がある。

 幸いにも、まだ決まったパートナーがいるという噂は耳にしないが、いつ婚約者が決まったとしてもおかしくはないのだ。その時が来るまでに、私は気づき始めたこの想いに終止符を打たなければならない。
 これが恋心などではなく強い憧れである今のうちならば、この淡く抱き始めたウィリアムへの気持ちも、きっと時間が解決してくれることだろう。

 それが既に恋心であるということを自覚することもできぬまま、私はそっと瞼を閉じるとその気持ちに蓋をするかのようにして、口の中一杯に広がる甘いチョコを喉の奥へと流し込んだのだった。




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