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野辺送り
しおりを挟む──野辺送り。
私がその風習に興味を持ったのは、ハロウィンの仮装で街中が埋め尽くされる中、偶然その姿を見掛けたことがきっかけだった。
繁華街から遠く離れた寂れた商店街で、数十人程の列をなして歩く和服姿の人々。その姿はとても異様で悍ましく、私は思わず息を呑むとその場で足を止めた。といっても、都会育ちの私にはそれが何の仮装をしているのかすぐには理解することができず、一瞬、嫁入り行列のようなものなのかと誤認してしまっていた。
けれど、よくよく見てみると花嫁らしき人の姿はどこにも見当たらず、何やら棺のようなものを運んでいる。それを改めて確認した後に、私は初めてそれが葬儀の列であるということを理解した。
何故、ハロウィンの仮装で葬儀の行列などしようと思ったのか。そんな疑問を感じながらも、初めて目にするその異様な光景を前に、私は気付けばすっかりと心を奪われてしまっていた。
霊柩車の普及に伴い、現代では滅多に見かけることのなくなった“野辺送り”。そんな過去の風習にいたく関心を寄せた私は、ちょうど来月刊行の特集記事を任されていたこともあり、そこで野辺送りについての記事を取り上げることにしてみた。
翌日から早速資料集めを開始した私は、それと並行して聞き取り取材を進めてゆくと、いくつかの体験談も入手することができた。
けれど、その体験談はどれも資料通りのもので、どこか非凡さに欠けている。担当しているのが心霊雑誌ということもあって、このままでは特集自体がボツになってしまうのでは──。そんな可能性を危惧して一人焦り始めた頃、幸運にも出会うこととなったのは、知人から紹介されたAさんという二十代の女性だった。
「子供の頃に見たことがあるんです。でも、あまりにも恐ろしくて……今まで、誰にも話したことがないんです」
そう言って話しを切り出したAさんは、テーブルに置いた両手をキュッと握りしめると、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「あれはまだ、私が地元に住んでいた小学一年生だった頃のことです。夏休みも残り僅かとなった、まだ蒸し暑さの残る夜のことでした──」
寝苦しさに目を覚ましたAさんは、襖から漏れ出る灯りを見て瞼を擦った。襖を隔てた隣室から漏れ聞こえる話し声に、それが両親達の声であることを確認したAさんは、喉でも潤そうと寝ていた布団から上半身を起こした。
そこで初めて、目線の高さに位置する窓から外の景色が視界に入ったAさんは、列を成して歩く人影に気付いたのだそうだ。
「それが葬儀の列だってことには、直ぐに気付いたんです。何度か見たことがありましたから。……でも、こんな夜更けに葬儀をするだなんて、少し妙だなとは思ったんです。枕元に置いてあった時計は、確かに夜中のニ時を回っていましたから」
そんな多少の違和感を感じながらも、まだ子供だった当時のAさんは、きっと今までは寝ていて知らなかっただけなのだと、あまり深く考えることなくそう思い至ったのだそうだ。
日中に見た時と違って、どこか禍々しい雰囲気のようなものを纏った行列。その姿に妙に心惹かれたAさんは、窓辺に手を掛けると物珍し気にその様子を覗き込んだ。
暗がりの中浮かび上がる灯籠は、まるで人魂のように青白く揺らめき、その怪しさをより一層際立たせた。それほど遠く離れた距離に居るわけでもないのに、何故か参列者の顔だけはよく見えず、まるで黒く塗り潰されたかのようだった。
「お面のようなものでも付けているかのかと思いました。それほど真っ黒だったんです、顔の部分だけが」
神妙なお面持ちでそう告げたAさんは、その視線をテーブルへと落とすと固く握った自分の両手を見つめた。
「それで、その行列はどうなったんですか?」
「それから暫く見ていたんですが、まるで暗闇に吸い込まれるようにしてその場から姿を消してしまいました。……今にして思えば、静かすぎたんです。あんなに大勢の人達が列を成していたのに、足音一つ聞こえませんでしたから」
小さく声を震わせたAさんは、その視線を私へと戻すと再び口を開いた。
「でも、その時の私はそんなことにさえ気付けませんでした。まるで何かに取り憑かれたかのように、その行列に魅了されてしまっていたんです」
そう告げたAさんの顔はどこか鬼気迫るものがあり、私はゴクリと喉を鳴らすと話しの続きに耳を傾けた。
「二つ隣の家に住んでいるKさんが亡くなったと知ったのは、翌日の朝でした。長いこと病気で臥せっていたんですが、どうやら夜中の内に急変したようで、そのまま亡くなってしまったみたいでした。夜中に両親の声が聞こえたのも、きっとその知らせを聞いていたんだと思います」
普段からKさんと親交の深かったAさんの家では、その手続きや葬儀の手伝いやらで、翌日は慌ただしい一日を過ごすこととなった。
その忙しさは夜が更けてからも続き、襖から漏れ出る隣室の灯りを眺めながら、Aさんは一人、眠れぬ夜を過ごしていた。
「そんな時──ふと、妙な気配を感じたんです」
吸い寄せられるようにして窓へと近付いたAさんは、そこで、前日の夜に見たものと全く同じと思われる、禍々しい雰囲気を纏った行列を目にしたのだそうだ。
「勿論、とても怖かったです。その証拠に、私の両手はとても震えていましたから。二日も連続して夜更けに野辺送りの行列を見るだなんて、そんな偶然はそうそうないですから。Kさんが亡くなったことと何か関係があるのか……そう思わなかったかといえば、嘘になります。でも、それ以上にあの行列に心を惹かれてしまっていたんです」
カタカタと震える両手で窓枠を掴みながらも、Aさんはその行列から視線を逸らすことなく凝視した。やはり、前日に見た時と同じく、足音一つ立てずに進んでゆくその姿は、それはとても異様で恐ろしかったそうだ。
けれど、何かに取り憑かれたかのようにその場を離れることのできなかったAさんは、ただ静かに、その様子を眺めながら固唾を飲んでいた。
「ちょうどその時です。その内の一人が、私に気付いてこっちに顔を向けたのは──。あれは、お面なんかじゃなかったんです。顔が……っ、無かったんです」
Aさんを見つめているのであろうその顔は、渦を巻いたようなドス黒い空間が存在するだけで、とても人の顔とは思えぬほどの恐ろしさだった。きっと、他の参列者も皆同じなのだろう。Aさんは瞬時にそう思ったのだそうだ。
けれど、その事実を前にしても尚、その行列から視線を逸らすことのできなかったAさんは、カタカタと全身を震わせながらその光景に釘付けになった。
「──見たらいかん!」
そんなAさんを勢いよく窓から引き離したのは、一緒に暮らす祖父だったそうだ。
「なんべん見た!? ……手を見せや!」
その剣幕に成すすべなく左手を取られたAさんは、初めてみる荒々しい祖父の姿を見て涙を流した。
その様子に気付いてすぐに駆けつけた両親は、泣き喚くAさんを抱きしめると何やら祖父と言い争っているようだった。けれど、その時の記憶はとても曖昧らしく、あの時祖父達が何を話していたのか、その後どうしたのか、Aさんは全く覚えていないのだそうだ。
「でも、次の日の夜のことは、今でも鮮明に覚えているんです」
そう言って涙を滲ませたAさんは、翌日の夜にあった出来事を語り始めた。
相変わらず蒸し暑さの続く真夜中、人の気配を感じて目を覚ましたAさんは、すぐ横の窓辺に目を向けると、そこに居た祖父の背中に向かって口を開いた。
「おじいちゃん……? なんしよん?」
寝ぼけ眼でそう声を掛けると、こちらを振り返った祖父は優しく微笑んだ。
「じいちゃんが側におるき、安心して寝や」
そう言って優しく頭を撫でてくれた祖父の手は暖かく、それに安堵したAさんはゆっくりと意識を手放した。
そんなことが三日三晩も続き、ちょうど一週間が経った頃。Aさんの祖父は、突然この世を去ってしまったのだそうだ。
「私の身代わりになったんだと思います」
そう言って目を伏せたAさんは、キュッと固く結んだ唇を小さく震わせた。
そんなAさんを前に、私は取材の手を休めることなく口を開いた。
「身代わり、とはどういうことですか?」
感傷に浸っているAさんに目をくれることもなく、私はそんな質問を繰り出した。対して、そんな私の姿に気分を害した素振りもなく、ゆっくりと語り始めたAさん。
「これは後で知ったことなんですけど、三日三晩続けて真夜中に野辺送りの行列を見た人は、その魂を道連れにされてしまうんだそうです。亡くなった魂が一人では寂しいからと、道連れにする魂を探すことがあると、私の田舎では古くから言われているみたいなんです」
「Aさんは、それを信じているんですか?」
「はい、私はそうだと思っています」
「何か、根拠でも?」
「あの時……祖父に頭を撫でられた時、ハッキリと見えたんです。前日まで私の左手にあった赤い痣が、祖父の掌にあったのを──」
「痣……、ですか?」
目の前に腰掛けるAさんの姿を見つめながら、私はコクリと小さく唾を飲み込んだ。
「はい。あの野辺送りを見た翌日の朝、私の左手に薄い痣が浮き出たんです。あの時は、まさかそれがそんな恐ろしものだなんて思いもしませんでした。花弁のようでなんだか可愛いだなんて、そんな風に思っていたほどでしたから……。でも、祖父が窓辺に座って外を眺めるようになったその夜から、私の左手にあったその痣は、すっかりと消えてしまったんです。まるで、祖父の左手に移ったかのように──」
そう告げたAさんの言葉を思い返しながら、私は一人、寂れた商店街を歩いていた。
ニ日程前に書き上げた原稿は、Aさんのおかげもあって、無事に特集記事に掲載されることが決まった。思えば、私が野辺送りという風習に興味を持ったのは、この寂れた商店街での出会いが始まりだった。
そう思うとなんだか感慨深いものがあり、私は歩みを止めると涙を滲ませた。
ハロウィン本番は初日で終わっていたというのに、三日三晩続けて見掛けたあの野辺送りの行列。あの時の私は、そんな事にすらなんの疑問も感じなかった。
今にして思えば、そんな疑問すら思い浮かばない程に、その行列に魅了されてしまっていたのだろう。
あのドス黒く渦巻く顔の先には、一体何が見えるのか──。そんな興味を持ってしまったことが、抗えない“何か”に取り憑かれていた証拠に他ならない。
左手に浮き出た花弁のような赤い痣を見て、私は迫り来る“死”を悟って静かに涙を流した。
この記事が雑誌として世に出る頃には、もう、私はきっとこの世にはいないのだろう。
─完─
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