短な恐怖(怖い話 短編集)

邪神 白猫

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紫苑の花

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 その年の暮れに仕事で出向くこととなったのは、俺の暮らす街から遠く離れたN県の山間部だった。
 大規模な都市計画が進行中のN県では、今後の発展に備えて様々な施設や居住区の拡大が進められ、この山間部に建てられる宿泊施設もその内の一つだった。

 そんな大掛かりな建築作業ということもあって、その人手は様々な県から寄せ集められ、数ヶ月にも及んだ作業はいよいよ佳境を迎えようとしていた。その後発組として合流したのが、俺を含む二十人程の要員だった。
 男ばかりが百人近く集まった現場では常に怒号が飛び交い、寒さに震える中での作業は過酷さを極めた。けれど、仕事が終われば皆気の良い人達ばかりで、宿泊先で過ごす夜は毎日が宴会のような楽しさだった。

 そんな中、特に俺のことを目にかけてくれたのが、靖司やすしさんというY県から来た四十代の男性だった。

 一見すると強面で近寄り難い雰囲気はあるものの、クシャリと笑ったその笑顔はとても優しく、その精悍せいかんな顔つきからは、若かりし頃はさぞやモテたのだろうということが想像できる。
 けれど、若くに奥さんを亡くしてからというもの、操でも立てているのか全くと言っていいほどに女っ気はないらしく、そんな硬派なところも靖司さんらしいとさえ思えた。


「おい、純。あまり呑みすぎるなよ」

「大丈夫っすよ、寝坊なんてしませんから」

「そっちの心配じゃねーよ。身体は大事にしろよ」


 目の前にいる靖司さんは手元のグラスを飲み干すと、「お先」と告げてそのまま席を立った。


「……あ、お休みなさい! また明日!」
 

 慌てて口を開くと、そんな俺に向けて軽く後ろ手に手を上げた靖司さん。
 そんな靖司さんの背中を見送りながら、俺は焼酎の入ったグラスをグビグビと飲み干した。


「やっぱカッコいいな……」


 そう小さく声を漏らすと、俺の隣にいる高田さんがすかさず口を挟んだ。


「背中で語るってやつだな」

「背中で語るっすか……確かに背中カッコいいっすよね」


 男らしくガッチリとした身体ながら、どこか哀愁漂う後ろ姿。そんな靖司さんの姿を思い浮かべながら口にすると、そんな俺を見て再び口を開いた高田さん。


「なんだ、純。お前、やっさんの背中見たことあるのか?」

「え? 背中っすか……? いや、ないっす。何かあるんですか?」


 この場合、高田さんの言っている“背中”とは裸の背中という意味だろう。そう解釈した俺は、そう答えると高田さんの様子を伺った。


「デケェの背負しょってんだよ」


 そう言いながら、親指でクイッと背中を指差した高田さん。
 おそらく入れ墨が入っているという意味なのだろう。職種柄、そんな人達も珍しくはない。


「へぇー、そうなんすね」

「ま、誰も見たことないんだけどな」

「靖司さんいつも風呂別っすもんね」

「そうなんだよ、いつも先に入っちまうからな」


 他人ひとに見せるようなものでもないと、入れ墨を見せたがらない人もいる。きっと靖司さんもそういう考えの人なのだろう。
 そう思った俺は、その後も特にその話には触れることもなく、そのまま三ヶ月の時が過ぎていった。



◆◆◆



「──皆んな! 長い間本当にお疲れ様でした!」


 そんな言葉を合図に開始された宴会。長期間に及ぶ仕事を無事に終えられた達成感から、その日の宴会はまるで忘年会のような盛り上がりをみせた。
 明日になれば皆方々へと帰宅してしまうということもあって、きっと名残り惜しさのようなものがあったのかもしれない。いつもなら早々に切り上げてしまうメンバーも、今夜ばかりは一人も欠けることなく宴会は続き、気付けば四時間もの時間が経過していた。

 そんな中、ほろ酔い気分でフラリと立ち上がった俺は、靖司さんのいるテーブルまで移動すると口を開いた。


「靖司さん。自分、今から風呂行こうと思うんすけど、良かったら一緒にどうですか?」


 いつもなら、いくらお酒が入っているとはいえこんな誘いはしなかっただろう。例え誘ったとしても、どうせ断られることは分かっているのだ。
 けれど、一緒に過ごすのも今夜が最後かと思うと、俺はどうしても誘わずにはいられなかった。

 
「そうだな。ちょうど風呂に行こうと思ってたとこだし、一緒に行くか」

「……マジっすか!? 断られると思ってたんで、めっちゃ嬉しいっす!」


 そう言って喜んでみせれば、そんな俺を見て小さく笑みを溢した靖司さん。


「そんな喜ぶほどのもんでもないだろ」


 そうは言いながらも、まんざらでもなさそうな顔をする靖司さんは、手元のグラスを空けると静かに席を立った。


「行くぞ」

「はいっ!」


 靖司さんの後について風呂場へと向かった俺は、その嬉しさからニンマリと微笑んだ。
 やはり、裸の付き合いがある方が心の距離がグッと縮まるような気がする。


「靖司さん。今度靖司さんに会いにY県に遊びに行きますね」

「おう。楽しみにしてるよ」

「靖司さんも今度K県に遊びに来て下さいよ。旨い店、色々紹介するんで」

「そりゃ楽しみだな」

「紹介したい女もいるんすよ。香奈っていう三つ下の女なんすけど、実はそろそろ結婚しようかなーなんて考えてて」

「そうか。結婚はいいもんだぞ」

「って言っても、プロポーズもまだなんすけどね……。なんか照れ臭いっすよね、プロポーズって。何て言おうかなーなんて、もう悩んじまって」


 浮かれ気分でいつも以上に饒舌じょうぜつさを増した俺は、洋服を脱ぎながらも靖司さんに話し掛け続ける。チラリと視界の端に入ってきた靖司さんの背中には、やはり噂通り入れ墨が入っているようで、その範囲は背中一面に及ぶ程の大きさだった。
 とはいえ、大して気にもならなかった俺は、そのまま手拭いを掴むと浴場へと足を進めた。


「靖司さんて、今付き合ってる女とかいるんすか?」


 今まで噂程度でしか聞いたことのなかった靖司さんのプライベート。以前から気にはなっていたものの、こうして改めて直接聞くのは初めてのことだった。
 

「嫁が死んでからそういうのは一切ないな」

「えっ!? こんなにカッコイイのに……全くないんすか?」

「全くねぇよ」

「いやいや、女がほっとかないと思うんすけど」

「これ見たら震え上がって逃げるだろ」


 そう言って背中を指差した靖司さんは、俺と視線を合わせると微かに微笑んだ。
 背中一面とはいえ、たかが入れ墨程度でそこまで怖がるものなのだろうか? 確かに入れ墨自体に嫌悪感を抱く人は一定数存在する。とはいえ、そこまでの障害があるとは思えなかった。


「何が入ってるんすか?」

紫苑しおんの花だよ。嫁が好きだった花でな、花言葉は確か……“君を忘れない”だったかな」


 その言葉を聞いた瞬間、靖司さんは亡くなった奥さんのことを未だに忘れられずにいるのだと──俺はそんな風に思った。
 いつもどこか寂し気な瞳をしていたのも、きっとそのせいなのだろう。断ち切れない想いを一人抱えて生きているとは、なんとも切なく悲しいものだ。


「紫苑の花……いい花言葉っすね」


 掛ける言葉が見つからずにそう答えると、そんな俺の様子を察したのか、薄く微笑んだ靖司さんは口を開いた。


「なに、寂しくはねぇよ。いつも嫁が一緒だからな」


 そう告げながら自分の背後にチラリと視線を送った靖司さん。その視線を辿るようにして背中に目を向けてみると、そこには背中一面を覆うほどの紫の花が綺麗に咲き誇っていた。
 その中央に彫られているのは、きっと亡くなった奥さんであろう綺麗な女性の姿。その姿はなんとも繊細で美しく、まるで生きているかのようなリアルさを感じる。


「綺麗な人ですね……」


 思わず見惚みとれてそう小さく呟いた、次の瞬間──。あまりの恐ろしさにその場で身を固めた俺は、今にも叫び声を上げそうになるのを必死で堪えた。
 チラリと鏡越しに見えた靖司さんは、そんな俺を見て悲し気に微笑んだ。けれど、その瞳に妖しい光が宿っていたことを、俺は見逃しはしなかった。


 靖司さんの背中に彫られた、美しくも恐ろしい微笑みを浮かべた女性。その瞳が動いて見えたのは、決して目の錯覚などではなかった。


 その入れ墨の女性は、間違いなく靖司さんの背中で生きているのだ。
 




─完─
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