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6. 第二宮殿
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カテリーナが第二宮に来てからしばらくたち、朝夕には冷たい風が感じられるようになった。
かつての首都であるクラスーヌイは王都より温暖な気候の場所にある。と言っても、この国自体が大陸の中では北に位置するのだから冬は厳しく夏は短い。
この国は夏には大陸の南にある国から避暑にやってくる貴族も多い。避暑地であるオゼーロでは国を超えた社交が繰り広げられる。
そのため、この国の貴族も夏になるとオゼーロに向かうことが多い。
カテリーナも昨年までは王族として他国の貴族を迎え入れるため夏はオゼーロに滞在していた。
国の中で比較的南に位置するクラスーヌイは、規模が大きく過ごしやすいということで貧民が集まりやすい街でもある。
カテリーナがこちらに来てから何度か街の様子を見たが、貧富の差は王都よりも深刻のようだった。
救貧院にも孤児院にも空きはあるのにストリートチルドレンが多くおり、治安が悪かった。
カテリーナはストリートチルドレンの男の子に何故孤児院に入らないのか聞いてみた。
その答えは
「決まりが多いし、決まりを守れなかったら鞭で打たれる」
というもので、一朝一夕には解決できない深刻な問題がありそうだった。
カテリーナは孤児院への慰問を行いながら、どこからメスを入れるのが良いかと考えていた。下手に手を出すと孤児院を運営している教会の機嫌を損ねるのではないかと思うと、迂闊に手を出せないのだ。
そんな事を考えている時に異国から第二宮に訪ねて来る人があった。隣国の大貴族、リンツ公爵だ。リンツ公爵は母親がこの国の先の王の妹にあたる人物のため、この国にも別荘を持ち夏は他の貴族よりも長く滞在している。
リンツ公爵は南にある帝国の貴族だが穀倉地帯をもち、この国にも多くの穀物を輸出してくれている。
昨年までであればカテリーナはオゼーロでお会いしていたが、今年は会っていないため訪ねてきてくれたらしい。
でっぷりとしたお腹の気のいいおじさんである。
「カテリーナ様が王宮から見放されるとはこの国も王太子も見る目がない。」
少ししゃがれた声でリンツ公爵はそう言ってくれる。
「もう少し前であれば息子の嫁に出来たのだが」
「まぁ。セドリック殿が奥方と仲睦まじいと言う噂はこの国にも届いておりますことよ。」
リンツ公爵の息子のセドリックが大恋愛の末に子爵令嬢を娶ったと言う話はまるで物語のようで広くに行き渡っている。
リンツ侯爵は人の気持ちを蔑ろにするような無茶はしない人である。
「いやしかし、もしカテリーナ様がお怒りならライを盾にお立場を回復することも可能だが。」
ライとはライ麦のことだ。カテリーナが気にしていた黒パンの材料である。
リンツ公爵がカテリーナを買ってくれているのは嬉しいがそんなことされては民のために良くない。
王太子は貧民にはあまり関心がない。それならライなど必要ないと言いかねない。
「王妃殿下は私のことを認めてくださっておりますし王宮でも蔑ろにされた訳ではありませんの。むしろ、お役御免になって喜んでいるくらいですのよ。輸出はこれまで通りお願いしたいですわ。」
カテリーナは本心からそう言った。
「カテリーナ様がそうおっしゃるなら。」
リンツ公爵は釈然としない声だったがカテリーナの思いを汲んでくれたようだった。
リンツ公爵は第二宮殿に3日ほど滞在し、ライの輸出について話を積めるため王都に向かった。
リンツ公爵の来訪は公務というほどのものではなかったが非公式とはいえ外国の要人をもてなしたのだ。カテリーナは少し疲れていた。
ここ数日、涼しい日が続いていたため、木々はすっかり黄色に色付いていた。
疲れを癒すため庭のベンチで黄色く色づいた木々を眺めていた時だった。
ドスドスドスと慌ただしい足音が響いてきた。
その方向を見るとなにやら黒い服を着た人が近付いてくるようだった。
その人物はカテリーナの前で足を止めると怒気を含んだ声でこう言った。
「どういうつもりだ?リンツ公爵ほどの要人を一人でもてなすとは。何故こちらに連絡が来ない?」
それはアレクサンドルの声だった。
思えばカテリーナがアレクサンドルの声を聞くのはいつだって怒っている時だ。そうでない時にはアレクサンドルはカテリーナに用がないからである。
「公からライ麦の輸出について一旦待ったがかかっている。」
アレクサンドルは苛立った口調で話した。
「それでしたら滞りなく例年通りにという話になりましたわ。」
アレクサンドルは少し間を置いてこう続けた。
「それに、僕の君への態度について抗議が来ている。」
「まぁ、リンツ公爵には幼い頃からお世話になっておりますので。」
これは本当である。リンツ公爵はこの国の先の王女の子供である。カテリーナの祖父である前チシャモ公爵は先の王弟であるため、カテリーナの父とリンツ公爵は従兄弟の関係にあたる。
もちろん、現王も従兄弟にあたるが、公爵家という同等の立場である父とリンツ公爵は幼い頃から交流を持ち、仲の良い友人として育っている。
そのため、カテリーナから見てもリンツ公爵は親戚のおじさんという印象が強い。
それに比べるとアレクサンドルからリンツ公爵は少し距離があるのだろう。
「抗議にお答えして今日は夕食を共に食べよう」
そう言うとアレクサンドルは踵を返して部屋に行ったようだった。
公式の晩餐会でもないのにアレクサンドルと共にご飯を食べるのはいつぶりだろうか。もしかしたら初めてかもしれない。
どう言った心境の変化なのだろうかと思いながらカテリーナは遠く離れていく黒いジャケットを着たアレクサンドルの後ろ姿を眺めていた。
かつての首都であるクラスーヌイは王都より温暖な気候の場所にある。と言っても、この国自体が大陸の中では北に位置するのだから冬は厳しく夏は短い。
この国は夏には大陸の南にある国から避暑にやってくる貴族も多い。避暑地であるオゼーロでは国を超えた社交が繰り広げられる。
そのため、この国の貴族も夏になるとオゼーロに向かうことが多い。
カテリーナも昨年までは王族として他国の貴族を迎え入れるため夏はオゼーロに滞在していた。
国の中で比較的南に位置するクラスーヌイは、規模が大きく過ごしやすいということで貧民が集まりやすい街でもある。
カテリーナがこちらに来てから何度か街の様子を見たが、貧富の差は王都よりも深刻のようだった。
救貧院にも孤児院にも空きはあるのにストリートチルドレンが多くおり、治安が悪かった。
カテリーナはストリートチルドレンの男の子に何故孤児院に入らないのか聞いてみた。
その答えは
「決まりが多いし、決まりを守れなかったら鞭で打たれる」
というもので、一朝一夕には解決できない深刻な問題がありそうだった。
カテリーナは孤児院への慰問を行いながら、どこからメスを入れるのが良いかと考えていた。下手に手を出すと孤児院を運営している教会の機嫌を損ねるのではないかと思うと、迂闊に手を出せないのだ。
そんな事を考えている時に異国から第二宮に訪ねて来る人があった。隣国の大貴族、リンツ公爵だ。リンツ公爵は母親がこの国の先の王の妹にあたる人物のため、この国にも別荘を持ち夏は他の貴族よりも長く滞在している。
リンツ公爵は南にある帝国の貴族だが穀倉地帯をもち、この国にも多くの穀物を輸出してくれている。
昨年までであればカテリーナはオゼーロでお会いしていたが、今年は会っていないため訪ねてきてくれたらしい。
でっぷりとしたお腹の気のいいおじさんである。
「カテリーナ様が王宮から見放されるとはこの国も王太子も見る目がない。」
少ししゃがれた声でリンツ公爵はそう言ってくれる。
「もう少し前であれば息子の嫁に出来たのだが」
「まぁ。セドリック殿が奥方と仲睦まじいと言う噂はこの国にも届いておりますことよ。」
リンツ公爵の息子のセドリックが大恋愛の末に子爵令嬢を娶ったと言う話はまるで物語のようで広くに行き渡っている。
リンツ侯爵は人の気持ちを蔑ろにするような無茶はしない人である。
「いやしかし、もしカテリーナ様がお怒りならライを盾にお立場を回復することも可能だが。」
ライとはライ麦のことだ。カテリーナが気にしていた黒パンの材料である。
リンツ公爵がカテリーナを買ってくれているのは嬉しいがそんなことされては民のために良くない。
王太子は貧民にはあまり関心がない。それならライなど必要ないと言いかねない。
「王妃殿下は私のことを認めてくださっておりますし王宮でも蔑ろにされた訳ではありませんの。むしろ、お役御免になって喜んでいるくらいですのよ。輸出はこれまで通りお願いしたいですわ。」
カテリーナは本心からそう言った。
「カテリーナ様がそうおっしゃるなら。」
リンツ公爵は釈然としない声だったがカテリーナの思いを汲んでくれたようだった。
リンツ公爵は第二宮殿に3日ほど滞在し、ライの輸出について話を積めるため王都に向かった。
リンツ公爵の来訪は公務というほどのものではなかったが非公式とはいえ外国の要人をもてなしたのだ。カテリーナは少し疲れていた。
ここ数日、涼しい日が続いていたため、木々はすっかり黄色に色付いていた。
疲れを癒すため庭のベンチで黄色く色づいた木々を眺めていた時だった。
ドスドスドスと慌ただしい足音が響いてきた。
その方向を見るとなにやら黒い服を着た人が近付いてくるようだった。
その人物はカテリーナの前で足を止めると怒気を含んだ声でこう言った。
「どういうつもりだ?リンツ公爵ほどの要人を一人でもてなすとは。何故こちらに連絡が来ない?」
それはアレクサンドルの声だった。
思えばカテリーナがアレクサンドルの声を聞くのはいつだって怒っている時だ。そうでない時にはアレクサンドルはカテリーナに用がないからである。
「公からライ麦の輸出について一旦待ったがかかっている。」
アレクサンドルは苛立った口調で話した。
「それでしたら滞りなく例年通りにという話になりましたわ。」
アレクサンドルは少し間を置いてこう続けた。
「それに、僕の君への態度について抗議が来ている。」
「まぁ、リンツ公爵には幼い頃からお世話になっておりますので。」
これは本当である。リンツ公爵はこの国の先の王女の子供である。カテリーナの祖父である前チシャモ公爵は先の王弟であるため、カテリーナの父とリンツ公爵は従兄弟の関係にあたる。
もちろん、現王も従兄弟にあたるが、公爵家という同等の立場である父とリンツ公爵は幼い頃から交流を持ち、仲の良い友人として育っている。
そのため、カテリーナから見てもリンツ公爵は親戚のおじさんという印象が強い。
それに比べるとアレクサンドルからリンツ公爵は少し距離があるのだろう。
「抗議にお答えして今日は夕食を共に食べよう」
そう言うとアレクサンドルは踵を返して部屋に行ったようだった。
公式の晩餐会でもないのにアレクサンドルと共にご飯を食べるのはいつぶりだろうか。もしかしたら初めてかもしれない。
どう言った心境の変化なのだろうかと思いながらカテリーナは遠く離れていく黒いジャケットを着たアレクサンドルの後ろ姿を眺めていた。
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