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おまけ
アルトゥールのその後
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アルトゥールはアントゥネス公爵家の嫡男で幼い頃からベアトリス王女の婚約者だった。
ベアトリス王女とは良い関係を築いてはいたがそれは恋愛感情ではなかった。
学園に入り恋を知ったが王家と関係を結ぶものとしてそれは叶わないものだと諦め、心の中にそっと閉まっていた。
そんなある日、王女が治安のあまり良くない下町を遊び歩いているという噂が聞こえてきた。これで王女の瑕疵にすれば問題なくジュリアと結婚できるかもしれないとの打算があったことは否定しない。ベアトリスは公爵家の女主人としては相応しくないと婚約解消したのだ。
しかし、本当は遊び歩いていたのではなく、子供達に勉強を教えていたらしい。何度か注意した時に弁解してくれていたら婚約解消などしなかったのに。
事実を知った後、ベアトリスに詰め寄ると
「恋していらしたジュリア嬢と婚約できたのですからアルトゥール様はお幸せですわね。そう言えば、お祝いの言葉がまだでしたわね。アルトゥール様、婚約おめでとうございます。」
と言われてしまった。
彼女は隠していたはずの恋心に気付いていたのだ。
ジュリアとの婚約までは調子が良かった。
ベアトリスの噂を信じているものは多かったから婚約解消もさもありなんと受け入れられた。ジュリアも自分も生徒会の役員で学園では一目置かれていたし、ジュリアは子爵家の娘であったが、父親が海軍の総督になり家に勢いがあったから、爵位の差について不釣り合いというわけではなかった。
ベアトリスの真相を知ってから全てがうまくいかなくなった。
父からはこっぴどく怒られた上に爵位を弟に譲るかどうか検討すると言われたし、夜会に招かれる数も圧倒的に減ってしまった。
夜会や茶会を開催しても理由をつけて参加を断られた。
学園を卒業し、ベアトリスが結婚してからは益々状況が酷くなった。
ベアトリスの嫁ぎ先であるブランコ辺境伯がカスティーリャとの航路を開いたのである。それまでカスティーリャとの交易はアントゥネス公爵家の領地を通っており、その通行料だけで相当の収入があった。
しかし、陸路ではなく海路が開かれたことにより荷物などを運ぶには海路経由の方が早くて楽だと評判になり、商人たちがこぞって海路に切り替えてしまったのだ。
収入は減ったが、街道の整備などは変わらずに続けなければならない。
公爵家は金策に追われるようになり、無駄に広い土地を切り売りするようになった。
そんな中、アルトゥールとジュリアは結婚したが、参列客もあまり来ず、公爵家としては淋しい結婚式となった。
しかし、執事や家令は参列客が少ないとかかる費用も少なくて済むということに安堵していた。それほどアントネス公爵家は追い詰められていた。
山脈沿いの葡萄畑の売買のやりとりをしているときに、父である公爵は心労がたたって亡くなった。
晩年、求心力が衰えていた父の葬式はそれは質素なものだった。
もはや不良債権になってしまった公爵位はアルトゥールが継ぎ、弟は騎士になり、妹は侯爵家に嫁いだ。
妹の婚約が破棄されず、幼い頃からの婚約者に嫁げたことは幸いであった。
この頃にはアントゥネス家には夜会を頻繁に開く財力もなく、また開いても来る客は少ないため夜会の開催は減っていたし開催しても派閥の貴族しか来なくなっていた。
招待状も家宛に来るものは費用削減のため父しか参加しないようにしていた。つまり、アルトゥールは長い間社交界から距離を置いていたのだ。
爵位を継いでアルトゥールは久しぶりに王宮の舞踏会に参加し、数年ぶりにベアトリスを見かけた。
元護衛騎士だという旦那とダンスをするベアトリスは豪奢なドレスを身にまとい大変美しかった。
髪も肌も金をかけてもらっているのだろうと一目でわかるほどツヤツヤしていた。
かつて自分に向けられていた笑顔を旦那に向けて踊る彼女を見て、彼女はヒステリックに叫んだりしないのだろうなとため息をついた。
ジュリアは結婚した当初は共に公爵家を盛り上げていこうと前向きだった。しかし、アントゥネス家の状況が悪化するとジュリアは日に日にイライラするようになった。
社交界では自分たちのことを王女という婚約者が居ながら浮気した最低野郎と寝取った悪女という風に思っている者も多かった。
ベアトリスと婚約を解消するまでは誓ってジュリアと自分は浮気などしていなかったが、自分たちにはそれを否定してまわるだけの人脈は無くなってしまっていた。
そんな噂を耳にしてからジュリアは最近ではちょっとしたことでヒステリックに怒鳴るようになった。
学園時代には女神のように思っていた美しい顔も今や見る影もなかった。
アルトゥールはジュリアへの恋心などすっかり失ってしまっていたが、別れても新しく妻を迎える気力も財力もないため、ジュリアと婚姻関係を継続していた。
ジュリアがアルトゥールと夫婦でいるのも似たような理由だろう。
そんなことを考えながらゴブレットに注がれたワインを飲んでいるとベアトリスがアルトゥールに気付いて挨拶に来てくれた。
ベアトリスは辺境伯夫人となったため、アルトゥールの方が爵位が高い。
アルトゥールは公爵なので夜会では挨拶を受ける立場であるが、アルトゥールに挨拶に来るものは少なくなっていた。
「ご無沙汰しております。アントゥネス公爵を継がれたとか。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。ブランコ夫人はいつまでも若々しくてお美しいですね。」
「まぁ、お心にもないことを。私ももう、二人も子供がおりますのよ。」
そう言って微笑む彼女はとても美しかった。
「お幸せそうで何よりです。」
当たり障りのない会話だが周りは聞き耳を立てている。
「今日は奥方はどうされたのですか。」
自然と会話に加わったのはブランコ辺境伯だった。
ベアトリスの隣に立つとがっちりとベアトリスの腰に手を回した。
「お恥ずかしながら我が公爵家は収入が減っておりまして新しくドレスを仕立てることができなかったのです。」
アルトゥールは包み隠さず事実を伝える。ともすればプライドのために嘘をついてしまいそうな場面であるが、包み隠さず真実を伝えることができるのはアルトゥールの美点である。
「まぁ。」
ベアトリスはかなり驚いた様子だった。ベアトリスはもしかすると本当に知らなかったのかもしれない。
彼女はあまり噂話を気にしないところがある。
しかし、周りはアントゥネス公爵家の状況を知っているはずなのに白々しく驚いているふりをしている。
「そうですか。そこまでとは。確か、セレステの葡萄畑もお売りになったとか。」
「えぇ。しかし、それだけでは焼石に水の状態でして、無駄に敷地が広いものですから苦労しております。」
「そうですか。もしよければ、領地経営についてアドバイスしますよ。」
しれっとブランコ辺境伯が言う。
そもそも、アントゥネス公爵家がここまで追い詰められているのはブランコ辺境伯家のせいだ。
しかし、アルトゥールには選択肢がなかった。
こちらは社交界からも見放され、王家からの信用も失っている。
このままでは遅かれ早かれ土地をもっと手放す羽目になり、爵位も保てなくなるだろう。
「ほ、本当ですか?ありがたい。」
その夜会以来、本当にブランコ辺境伯家が領地経営にアドバイスをしてくれることになった。
何度かブランコ辺境伯自身がアドバイスしてくれた。その際、アルトゥールはブランコ辺境伯になぜ助けてくれるのか聞いてみた。
そもそもアントゥネス公爵家を追い詰めたのはそちらではないのかと。
「あぁ、確かに貴家を追い詰めたのは私だ。ベアトリスの優しさをのうのうと受け取って、心で裏切り傷付けている貴方を許せなかった。」
ブランコ辺境伯は書類を見る手を止め、デスクの上に置いてある馬を模した文鎮を撫で始めた。
「ベアトリスはね、もともと瑕疵を全て自分が被るつもりだったんだよ。アントゥネス公爵家が、と言うか君かな。アルトゥールくん、君が悪い立場に立たされることをベアトリスは望んではいなかった。でも、そのためにベアトリスの悪い噂が流れ続けることを俺は許せなかった。それで、少し情報を流した。」
「情報を?」
「そうさ、ベアトリスが街の子供たちに勉強を教えているという噂を広めるよう仕掛けたのは私だよ。そのせいで君は今、社交界から追い詰められているだろう?」
「カスティーリャへ行くのは陸路より海路が良いという噂を流したのも私だよ。」
「噂・・・」
「まぁ、確かに海路には海路の利点があるが、陸路の方がいいと言う者だっているはずじゃないか?船酔いするものは一定居るし、うちの領地からじゃ距離が遠くなるから海路の利点であるスピードはあまりない。しかし、今は猫も杓子も海路だろ?カスティーリャに行くイコール海路になってしまっている。」
ブランコ辺境伯は黒い瞳をアルトゥールに向けた。
「でもね、ちょっとやりすぎたみたい。流石に昔馴染みの君がそんなに落ちぶれちゃうとベアトリスが心配するだろう?」
「ベアトリスが心配するから助けてくれるのか?」
「俺の動機は全てそこにあるから。君こそ俺を恨んでないのかい?」
「いまの話を聞くとちょっとね。これまでは、ただ偶然が重なっているだけでそこまでの悪意はないと思っていたから。でも今は手を差し伸べてもらっているし。ブランコ辺境伯も悪い人じゃなさそうだし。」
「俺はベアトリスのためなら悪魔にでもなれるよ。」
ブランコ辺境伯はニヤリと笑うと書類に目を戻した。
「君が過去の恨みに流されて今の状況を冷静に見れないような低脳じゃなくて良かったよ。」
「なっ・・・」
「そうだろう?これで君への指導は終わりかな?」
「どう言うこと?まだ全然・・・」
「君の領地が窮地に陥ったのは海路の方がいいと言う噂のせいさ。陸路もいいと噂を流せば半分は陸路を選ぶだろう。そうすれば金策せずとも半分は解決だ。君の領地にはほかの領地で食べられないような美味しい名物料理があるだろう?そう言うものを売り出すのも手じゃないか?そうすれば、あの料理が食べたいから陸路で行こうかとあう動機付けになる。葡萄畑は売ってしまったが、オレンジ畑は残っているだろ?オレンジで土産物を作るのもいいかもしれないな。オレンジはそのまま売れば10ペソ位だが、ジャムにすれば日持ちもする上に200ペソで売れる。」
「なるほど。」
「補填するだけの金策ではどうしようもないさ。抜本的に解決しないと。じゃあ、俺はこの辺で。俺も暇じゃないんでね。」
そう言うとブランコ辺境伯は去っていった。
アルトゥールはそれからブランコ辺境伯に言われた通り陸路も使ってもらえるよう噂を流した。領地を通過するだけではなくそこで買ってもらえるような名産を作り、領地を少しずつ回復させていこうと頑張っている。
ブランコ辺境伯夫人がアルトゥールとの距離を詰めたことで、噂は風化していき徐々に社交界にも復帰するようになった。
そうなるとジュリアの性格も以前のような落ち着いた性格に戻ったように思う。
アルトゥールはジュリアへの恋心を少しずつ取り戻しはじめていた。
ある朝、食卓にジュリアが来なかった。体調不良ということで見舞いに行くとジュリアはベッドに腰掛けながら窓の外を眺めていた。
アルトゥールは久しぶりにジュリアの部屋を訪ねた。
「どうしたの?熱はないみたいだけど。」
ジュリアのおでこに手を乗せてみるが、体温は高くなさそうである。
「アル、私、あなたに酷いことしたわ。」
「酷いこと?」
「この家が酷い状況だっていうのに何も協力しないところか、イライラをぶつけるばかりで。」
「そんなこと?過去のことだよ。」
「アルはどうしてそんなに優しいの?私、公爵夫人として相応しくないわ。」
「そんなことないよ。ジュリア、愛しているよ。」
「ほんとうに?」
ジュリアは驚いたとばかりにパッと顔を上げた。
「私、いつあなたに捨てられるかと不安で。」
「こんな落ちぶれた公爵家に嫁いでくれるのは君くらいだよ。君が僕を捨てることはあっても僕が君を捨てることはないよ。」
「でも、アルの心は私から離れていたでしょう?」
アルトゥールは痛いところを突かれた。確かに金策に奔走していた頃、アルトゥールの心はジュリアから離れていた。その間、ジュリアはアルトゥールをずっと思っていたのだろうか。だとしたら彼女の苛立ちはアルトゥールのせいだったのではないか。
「そんなことないよ。金策で忙しかったからそう見えたかもしれないけれど、僕の心はずっと君のものだよ。」
「本当に?」
ジュリアははらはらと泣きながらアルトゥールを見上げた。そして少し何かを考え、深呼吸すると言葉を発した。
「アル、私ね妊娠したみたいなの。」
「妊娠?本当?」
アルトゥールは思わずジュリアを抱きしめる。
「嬉しいよ!あぁ、ここに僕たちの子供が?」
純粋に喜ぶアルトゥールを見てジュリアは安心したのか、感情が堰を切ったように涙となって流れてきた。
「私、ずっと不安で・・・アルに愛されてる実感がなくて・・・いつ出て行けと言われるかって・・・」
アルトゥールは優しくジュリアの背中を撫でながらジュリアに話しかけた。
「不安だったのは僕の方だよ。君は何一つ悪くないのに君の不名誉な噂が流れるし、公爵家とは言えない環境で、苦労ばかりかけて本当に申し訳ないと思っていた。」
「そんなこと・・・あなたの妻でいられることに比べたら・・・」
その時、アルトゥールはジュリアがずっと自分を愛していたのだと気づいた。
「あぁ、ジュリア!」
アルトゥールはジュリアをより強く抱き締めた。
この時、二人が結婚して8年の歳月が経っていた。
アルトゥールはこの時ようやく自分が手にしている本当の幸福について意識したのだった。
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ベアトリス王女とは良い関係を築いてはいたがそれは恋愛感情ではなかった。
学園に入り恋を知ったが王家と関係を結ぶものとしてそれは叶わないものだと諦め、心の中にそっと閉まっていた。
そんなある日、王女が治安のあまり良くない下町を遊び歩いているという噂が聞こえてきた。これで王女の瑕疵にすれば問題なくジュリアと結婚できるかもしれないとの打算があったことは否定しない。ベアトリスは公爵家の女主人としては相応しくないと婚約解消したのだ。
しかし、本当は遊び歩いていたのではなく、子供達に勉強を教えていたらしい。何度か注意した時に弁解してくれていたら婚約解消などしなかったのに。
事実を知った後、ベアトリスに詰め寄ると
「恋していらしたジュリア嬢と婚約できたのですからアルトゥール様はお幸せですわね。そう言えば、お祝いの言葉がまだでしたわね。アルトゥール様、婚約おめでとうございます。」
と言われてしまった。
彼女は隠していたはずの恋心に気付いていたのだ。
ジュリアとの婚約までは調子が良かった。
ベアトリスの噂を信じているものは多かったから婚約解消もさもありなんと受け入れられた。ジュリアも自分も生徒会の役員で学園では一目置かれていたし、ジュリアは子爵家の娘であったが、父親が海軍の総督になり家に勢いがあったから、爵位の差について不釣り合いというわけではなかった。
ベアトリスの真相を知ってから全てがうまくいかなくなった。
父からはこっぴどく怒られた上に爵位を弟に譲るかどうか検討すると言われたし、夜会に招かれる数も圧倒的に減ってしまった。
夜会や茶会を開催しても理由をつけて参加を断られた。
学園を卒業し、ベアトリスが結婚してからは益々状況が酷くなった。
ベアトリスの嫁ぎ先であるブランコ辺境伯がカスティーリャとの航路を開いたのである。それまでカスティーリャとの交易はアントゥネス公爵家の領地を通っており、その通行料だけで相当の収入があった。
しかし、陸路ではなく海路が開かれたことにより荷物などを運ぶには海路経由の方が早くて楽だと評判になり、商人たちがこぞって海路に切り替えてしまったのだ。
収入は減ったが、街道の整備などは変わらずに続けなければならない。
公爵家は金策に追われるようになり、無駄に広い土地を切り売りするようになった。
そんな中、アルトゥールとジュリアは結婚したが、参列客もあまり来ず、公爵家としては淋しい結婚式となった。
しかし、執事や家令は参列客が少ないとかかる費用も少なくて済むということに安堵していた。それほどアントネス公爵家は追い詰められていた。
山脈沿いの葡萄畑の売買のやりとりをしているときに、父である公爵は心労がたたって亡くなった。
晩年、求心力が衰えていた父の葬式はそれは質素なものだった。
もはや不良債権になってしまった公爵位はアルトゥールが継ぎ、弟は騎士になり、妹は侯爵家に嫁いだ。
妹の婚約が破棄されず、幼い頃からの婚約者に嫁げたことは幸いであった。
この頃にはアントゥネス家には夜会を頻繁に開く財力もなく、また開いても来る客は少ないため夜会の開催は減っていたし開催しても派閥の貴族しか来なくなっていた。
招待状も家宛に来るものは費用削減のため父しか参加しないようにしていた。つまり、アルトゥールは長い間社交界から距離を置いていたのだ。
爵位を継いでアルトゥールは久しぶりに王宮の舞踏会に参加し、数年ぶりにベアトリスを見かけた。
元護衛騎士だという旦那とダンスをするベアトリスは豪奢なドレスを身にまとい大変美しかった。
髪も肌も金をかけてもらっているのだろうと一目でわかるほどツヤツヤしていた。
かつて自分に向けられていた笑顔を旦那に向けて踊る彼女を見て、彼女はヒステリックに叫んだりしないのだろうなとため息をついた。
ジュリアは結婚した当初は共に公爵家を盛り上げていこうと前向きだった。しかし、アントゥネス家の状況が悪化するとジュリアは日に日にイライラするようになった。
社交界では自分たちのことを王女という婚約者が居ながら浮気した最低野郎と寝取った悪女という風に思っている者も多かった。
ベアトリスと婚約を解消するまでは誓ってジュリアと自分は浮気などしていなかったが、自分たちにはそれを否定してまわるだけの人脈は無くなってしまっていた。
そんな噂を耳にしてからジュリアは最近ではちょっとしたことでヒステリックに怒鳴るようになった。
学園時代には女神のように思っていた美しい顔も今や見る影もなかった。
アルトゥールはジュリアへの恋心などすっかり失ってしまっていたが、別れても新しく妻を迎える気力も財力もないため、ジュリアと婚姻関係を継続していた。
ジュリアがアルトゥールと夫婦でいるのも似たような理由だろう。
そんなことを考えながらゴブレットに注がれたワインを飲んでいるとベアトリスがアルトゥールに気付いて挨拶に来てくれた。
ベアトリスは辺境伯夫人となったため、アルトゥールの方が爵位が高い。
アルトゥールは公爵なので夜会では挨拶を受ける立場であるが、アルトゥールに挨拶に来るものは少なくなっていた。
「ご無沙汰しております。アントゥネス公爵を継がれたとか。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。ブランコ夫人はいつまでも若々しくてお美しいですね。」
「まぁ、お心にもないことを。私ももう、二人も子供がおりますのよ。」
そう言って微笑む彼女はとても美しかった。
「お幸せそうで何よりです。」
当たり障りのない会話だが周りは聞き耳を立てている。
「今日は奥方はどうされたのですか。」
自然と会話に加わったのはブランコ辺境伯だった。
ベアトリスの隣に立つとがっちりとベアトリスの腰に手を回した。
「お恥ずかしながら我が公爵家は収入が減っておりまして新しくドレスを仕立てることができなかったのです。」
アルトゥールは包み隠さず事実を伝える。ともすればプライドのために嘘をついてしまいそうな場面であるが、包み隠さず真実を伝えることができるのはアルトゥールの美点である。
「まぁ。」
ベアトリスはかなり驚いた様子だった。ベアトリスはもしかすると本当に知らなかったのかもしれない。
彼女はあまり噂話を気にしないところがある。
しかし、周りはアントゥネス公爵家の状況を知っているはずなのに白々しく驚いているふりをしている。
「そうですか。そこまでとは。確か、セレステの葡萄畑もお売りになったとか。」
「えぇ。しかし、それだけでは焼石に水の状態でして、無駄に敷地が広いものですから苦労しております。」
「そうですか。もしよければ、領地経営についてアドバイスしますよ。」
しれっとブランコ辺境伯が言う。
そもそも、アントゥネス公爵家がここまで追い詰められているのはブランコ辺境伯家のせいだ。
しかし、アルトゥールには選択肢がなかった。
こちらは社交界からも見放され、王家からの信用も失っている。
このままでは遅かれ早かれ土地をもっと手放す羽目になり、爵位も保てなくなるだろう。
「ほ、本当ですか?ありがたい。」
その夜会以来、本当にブランコ辺境伯家が領地経営にアドバイスをしてくれることになった。
何度かブランコ辺境伯自身がアドバイスしてくれた。その際、アルトゥールはブランコ辺境伯になぜ助けてくれるのか聞いてみた。
そもそもアントゥネス公爵家を追い詰めたのはそちらではないのかと。
「あぁ、確かに貴家を追い詰めたのは私だ。ベアトリスの優しさをのうのうと受け取って、心で裏切り傷付けている貴方を許せなかった。」
ブランコ辺境伯は書類を見る手を止め、デスクの上に置いてある馬を模した文鎮を撫で始めた。
「ベアトリスはね、もともと瑕疵を全て自分が被るつもりだったんだよ。アントゥネス公爵家が、と言うか君かな。アルトゥールくん、君が悪い立場に立たされることをベアトリスは望んではいなかった。でも、そのためにベアトリスの悪い噂が流れ続けることを俺は許せなかった。それで、少し情報を流した。」
「情報を?」
「そうさ、ベアトリスが街の子供たちに勉強を教えているという噂を広めるよう仕掛けたのは私だよ。そのせいで君は今、社交界から追い詰められているだろう?」
「カスティーリャへ行くのは陸路より海路が良いという噂を流したのも私だよ。」
「噂・・・」
「まぁ、確かに海路には海路の利点があるが、陸路の方がいいと言う者だっているはずじゃないか?船酔いするものは一定居るし、うちの領地からじゃ距離が遠くなるから海路の利点であるスピードはあまりない。しかし、今は猫も杓子も海路だろ?カスティーリャに行くイコール海路になってしまっている。」
ブランコ辺境伯は黒い瞳をアルトゥールに向けた。
「でもね、ちょっとやりすぎたみたい。流石に昔馴染みの君がそんなに落ちぶれちゃうとベアトリスが心配するだろう?」
「ベアトリスが心配するから助けてくれるのか?」
「俺の動機は全てそこにあるから。君こそ俺を恨んでないのかい?」
「いまの話を聞くとちょっとね。これまでは、ただ偶然が重なっているだけでそこまでの悪意はないと思っていたから。でも今は手を差し伸べてもらっているし。ブランコ辺境伯も悪い人じゃなさそうだし。」
「俺はベアトリスのためなら悪魔にでもなれるよ。」
ブランコ辺境伯はニヤリと笑うと書類に目を戻した。
「君が過去の恨みに流されて今の状況を冷静に見れないような低脳じゃなくて良かったよ。」
「なっ・・・」
「そうだろう?これで君への指導は終わりかな?」
「どう言うこと?まだ全然・・・」
「君の領地が窮地に陥ったのは海路の方がいいと言う噂のせいさ。陸路もいいと噂を流せば半分は陸路を選ぶだろう。そうすれば金策せずとも半分は解決だ。君の領地にはほかの領地で食べられないような美味しい名物料理があるだろう?そう言うものを売り出すのも手じゃないか?そうすれば、あの料理が食べたいから陸路で行こうかとあう動機付けになる。葡萄畑は売ってしまったが、オレンジ畑は残っているだろ?オレンジで土産物を作るのもいいかもしれないな。オレンジはそのまま売れば10ペソ位だが、ジャムにすれば日持ちもする上に200ペソで売れる。」
「なるほど。」
「補填するだけの金策ではどうしようもないさ。抜本的に解決しないと。じゃあ、俺はこの辺で。俺も暇じゃないんでね。」
そう言うとブランコ辺境伯は去っていった。
アルトゥールはそれからブランコ辺境伯に言われた通り陸路も使ってもらえるよう噂を流した。領地を通過するだけではなくそこで買ってもらえるような名産を作り、領地を少しずつ回復させていこうと頑張っている。
ブランコ辺境伯夫人がアルトゥールとの距離を詰めたことで、噂は風化していき徐々に社交界にも復帰するようになった。
そうなるとジュリアの性格も以前のような落ち着いた性格に戻ったように思う。
アルトゥールはジュリアへの恋心を少しずつ取り戻しはじめていた。
ある朝、食卓にジュリアが来なかった。体調不良ということで見舞いに行くとジュリアはベッドに腰掛けながら窓の外を眺めていた。
アルトゥールは久しぶりにジュリアの部屋を訪ねた。
「どうしたの?熱はないみたいだけど。」
ジュリアのおでこに手を乗せてみるが、体温は高くなさそうである。
「アル、私、あなたに酷いことしたわ。」
「酷いこと?」
「この家が酷い状況だっていうのに何も協力しないところか、イライラをぶつけるばかりで。」
「そんなこと?過去のことだよ。」
「アルはどうしてそんなに優しいの?私、公爵夫人として相応しくないわ。」
「そんなことないよ。ジュリア、愛しているよ。」
「ほんとうに?」
ジュリアは驚いたとばかりにパッと顔を上げた。
「私、いつあなたに捨てられるかと不安で。」
「こんな落ちぶれた公爵家に嫁いでくれるのは君くらいだよ。君が僕を捨てることはあっても僕が君を捨てることはないよ。」
「でも、アルの心は私から離れていたでしょう?」
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「そんなことないよ。金策で忙しかったからそう見えたかもしれないけれど、僕の心はずっと君のものだよ。」
「本当に?」
ジュリアははらはらと泣きながらアルトゥールを見上げた。そして少し何かを考え、深呼吸すると言葉を発した。
「アル、私ね妊娠したみたいなの。」
「妊娠?本当?」
アルトゥールは思わずジュリアを抱きしめる。
「嬉しいよ!あぁ、ここに僕たちの子供が?」
純粋に喜ぶアルトゥールを見てジュリアは安心したのか、感情が堰を切ったように涙となって流れてきた。
「私、ずっと不安で・・・アルに愛されてる実感がなくて・・・いつ出て行けと言われるかって・・・」
アルトゥールは優しくジュリアの背中を撫でながらジュリアに話しかけた。
「不安だったのは僕の方だよ。君は何一つ悪くないのに君の不名誉な噂が流れるし、公爵家とは言えない環境で、苦労ばかりかけて本当に申し訳ないと思っていた。」
「そんなこと・・・あなたの妻でいられることに比べたら・・・」
その時、アルトゥールはジュリアがずっと自分を愛していたのだと気づいた。
「あぁ、ジュリア!」
アルトゥールはジュリアをより強く抱き締めた。
この時、二人が結婚して8年の歳月が経っていた。
アルトゥールはこの時ようやく自分が手にしている本当の幸福について意識したのだった。
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