1 / 13
ベアトリス
その1 婚約者の恋
しおりを挟む
ベアトリスとアルトゥールはよくある婚約関係だった。
王家の長女として産まれたベアトリスが公爵家の嫡男として産まれたアルトゥールと婚約したのはまだ一歳にもならない頃である。
アルトゥールは金髪の美少年へと成長し、ベアトリスは彼の元へ嫁げるのが嬉しくてたまらなかった。しかし、アルトゥールの気持ちがベアトリスと同じではないということに聡いベアトリスは早くから気付いていた。
恋はなくとも尊重し合い、良いパートナーになれれば・・・そう考えていたのは学園に入学するまでである。
同い年のアルトゥールとベアトリスは十五で共に学園の門を叩いた。
そして入学式の日、アルトゥールが転びそうになっている女子生徒を助け、その瞬間、彼の目がその女子生徒に釘付けになったのをベアトリスは見逃さなかった。
ジュリア・フェルナンデス子爵令嬢。
銀髪に蒼い目を持つ華奢な美少女だった。
入学してみると同じクラスで、彼女は心根も優しく話題も豊富、それに優秀だった。
ジュリアとアルトゥールは生徒会に選ばれ、共に過ごす時間が増えた。アルトゥールは上手く隠しているつもりだろうが彼の心に恋の炎が灯ったことにベアトリスは気付いた。きっと、ベアトリス以外はまだ気づいてはいない。
長年ずっと一緒にいたベアトリスだからふとした違いに気付いてしまうのである。
王家の者は公務があるため生徒会役員は免除されるシステムなのでベアトリスは生徒会役員にはなれない。
そもそも、王家の子弟が学園に通うこと自体珍しい事なのである。ベアトリスはこの国の貴族に降嫁することが決まっているので、特別に許してもらって学園に通っている。
生徒会室に向かうアルトゥールとジュリアの背中を見ながら、自分が望んだ学園生活はこんなものではなかった・・・とベアトリスは学園に来たことを後悔していた。
彼は自分の恋心を隠したまま、私と結婚するつもりなのかしら。きっと、そのつもりなのね。彼は公爵令息で自分は王女。常識あるアルトゥールとジュリアが一線を破り特別な関係になるとは思えなかった。しかし、なんの瑕疵もないベアトリス王女に好きな人が出来たから婚約解消してほしいなど、アルトゥールからは言えないのはわかりきったことだった。
入学して一ヶ月も経つ頃にはジュリアの目にも恋の炎が灯っているのをベアトリスは確認した。
お互い惹かれあいながらも、立場があるために友人の体で接している彼らをみるとベアトリスは居た堪れなかった。
二人が必死にお互いの心に蓋をするのは、ベアトリスの存在があるからである。ベアトリスは二人の様子を見ていられなくて、ある日とうとう学園をサボってしまった。
学園を抜け出すのは思いの外簡単だった。ベアトリスは一人で街を歩けることにドキドキしながらあちらこちらに行った。宮殿に居たら絶対に一人で街に行くことなどは出来ないだろう。
これまでベアトリスは決められたところにしか行ったことがない。だから、街の中には治安の悪い地域があることも悪意を持った人がいることも知らなかった。
朝から歩いてきて疲れたがベアトリスはお金も持っていない。学園に帰ろうにもどうやって行けばいいのかもわからなかった。
お腹も空いてきた。流石に街の人の暮らしに疎いベアトリスでも街中で何かを買うにはお金が必要だという知識くらいは持っていた。しかし、ベアトリスは当然お金など見たこともない。
パンの焼ける匂いに誘われてパン屋の前に来たとき、ベアトリスより少し年下の少年に手を掴まれた。
「こっち」
手を引っ張られて共に走らされる。
ベアトリスは訳もわからず少年に連れられて走った。到着したのは古びた小さな教会だった。
「何やってるんだよ?あんた、貴族だろう?お貴族さまはあんなとこに行っちゃいけない!」
「あんなところ?」
「あぁ、あの辺りは治安が悪い。あの辺りをウロウロしていて人攫いにあっても文句は言えないんだぜ」
「人攫い?」
「売られちまうんだよ」
そう言い捨てた少年は黒髪に緑の目をし、整った顔をしていた。見ると服も上等そうなものを着ている。
「あの、私、ベアトリスって言います。あなたは何者?このシャツ良いものだわ。」
「俺?俺はエビタシオ。うちは母さんが稼ぐからな。昔は高級娼婦ってやつだったんだけど、今はただの娼婦さ。」
「高級娼婦?」
「貴族の慰み者になる女性のことだよ。」
ベアトリスは慰み者の意味が良くわからなかったが
「そう。」
と答えた。
教会の裏手から子供が入ってきて「エビタシオ!」と叫んだ。
良く見ると教会の裏手の公園では多くの子供たちが遊んでいた。
「ここにいる奴らは娼婦の子供たちばかりさ。親は夜働くから昼間は放っておかれる。でも孤児でもないから孤児院にも入れなくて、みんな腹をすかせてるんだ。」
「エビタシオ、遊ぼう?お姉ちゃんも。」
「俺はこのお嬢さんを学園まで連れていかなきゃならないからな。」
「ちょっとなら私も遊んでみたいわ。」
ベアトリスがそう言うと後から入ってきた男の子に手を引かれて教会を出た。
「僕は、グスターボ。お姉ちゃんは?」
「グスターボ、いい名前ね。私はベアトリスよ。」
宮殿で育ったベアトリスは庶民の遊びをするのが初めてだった。鬼ごっこやかくれんぼといった遊びはとても楽しかった。
子供たちと少し遊んだ後、エビタシオに連れられて学園に帰った。学園と教会は思ったより近かった。
学園に戻るとまだ昼休みの時間だった。ベアトリスは何もなかったような顔をして五時間目の授業を受けると普段通り迎えの馬車に乗り宮殿に帰った。
ベアトリスの小さな冒険は上手く誰にも気付かれなかった。帰りの馬車の中でベアトリスは今日のことを思い出していた。子供たちと遊んでいる間、これまで心を悩ませていたアルトゥールの事を思い出さなかった事に気がついた。
これに気を良くしたベアトリスはこの後、しょっちゅう一人で街に降りては、子供たちと遊んだ。
王家の長女として産まれたベアトリスが公爵家の嫡男として産まれたアルトゥールと婚約したのはまだ一歳にもならない頃である。
アルトゥールは金髪の美少年へと成長し、ベアトリスは彼の元へ嫁げるのが嬉しくてたまらなかった。しかし、アルトゥールの気持ちがベアトリスと同じではないということに聡いベアトリスは早くから気付いていた。
恋はなくとも尊重し合い、良いパートナーになれれば・・・そう考えていたのは学園に入学するまでである。
同い年のアルトゥールとベアトリスは十五で共に学園の門を叩いた。
そして入学式の日、アルトゥールが転びそうになっている女子生徒を助け、その瞬間、彼の目がその女子生徒に釘付けになったのをベアトリスは見逃さなかった。
ジュリア・フェルナンデス子爵令嬢。
銀髪に蒼い目を持つ華奢な美少女だった。
入学してみると同じクラスで、彼女は心根も優しく話題も豊富、それに優秀だった。
ジュリアとアルトゥールは生徒会に選ばれ、共に過ごす時間が増えた。アルトゥールは上手く隠しているつもりだろうが彼の心に恋の炎が灯ったことにベアトリスは気付いた。きっと、ベアトリス以外はまだ気づいてはいない。
長年ずっと一緒にいたベアトリスだからふとした違いに気付いてしまうのである。
王家の者は公務があるため生徒会役員は免除されるシステムなのでベアトリスは生徒会役員にはなれない。
そもそも、王家の子弟が学園に通うこと自体珍しい事なのである。ベアトリスはこの国の貴族に降嫁することが決まっているので、特別に許してもらって学園に通っている。
生徒会室に向かうアルトゥールとジュリアの背中を見ながら、自分が望んだ学園生活はこんなものではなかった・・・とベアトリスは学園に来たことを後悔していた。
彼は自分の恋心を隠したまま、私と結婚するつもりなのかしら。きっと、そのつもりなのね。彼は公爵令息で自分は王女。常識あるアルトゥールとジュリアが一線を破り特別な関係になるとは思えなかった。しかし、なんの瑕疵もないベアトリス王女に好きな人が出来たから婚約解消してほしいなど、アルトゥールからは言えないのはわかりきったことだった。
入学して一ヶ月も経つ頃にはジュリアの目にも恋の炎が灯っているのをベアトリスは確認した。
お互い惹かれあいながらも、立場があるために友人の体で接している彼らをみるとベアトリスは居た堪れなかった。
二人が必死にお互いの心に蓋をするのは、ベアトリスの存在があるからである。ベアトリスは二人の様子を見ていられなくて、ある日とうとう学園をサボってしまった。
学園を抜け出すのは思いの外簡単だった。ベアトリスは一人で街を歩けることにドキドキしながらあちらこちらに行った。宮殿に居たら絶対に一人で街に行くことなどは出来ないだろう。
これまでベアトリスは決められたところにしか行ったことがない。だから、街の中には治安の悪い地域があることも悪意を持った人がいることも知らなかった。
朝から歩いてきて疲れたがベアトリスはお金も持っていない。学園に帰ろうにもどうやって行けばいいのかもわからなかった。
お腹も空いてきた。流石に街の人の暮らしに疎いベアトリスでも街中で何かを買うにはお金が必要だという知識くらいは持っていた。しかし、ベアトリスは当然お金など見たこともない。
パンの焼ける匂いに誘われてパン屋の前に来たとき、ベアトリスより少し年下の少年に手を掴まれた。
「こっち」
手を引っ張られて共に走らされる。
ベアトリスは訳もわからず少年に連れられて走った。到着したのは古びた小さな教会だった。
「何やってるんだよ?あんた、貴族だろう?お貴族さまはあんなとこに行っちゃいけない!」
「あんなところ?」
「あぁ、あの辺りは治安が悪い。あの辺りをウロウロしていて人攫いにあっても文句は言えないんだぜ」
「人攫い?」
「売られちまうんだよ」
そう言い捨てた少年は黒髪に緑の目をし、整った顔をしていた。見ると服も上等そうなものを着ている。
「あの、私、ベアトリスって言います。あなたは何者?このシャツ良いものだわ。」
「俺?俺はエビタシオ。うちは母さんが稼ぐからな。昔は高級娼婦ってやつだったんだけど、今はただの娼婦さ。」
「高級娼婦?」
「貴族の慰み者になる女性のことだよ。」
ベアトリスは慰み者の意味が良くわからなかったが
「そう。」
と答えた。
教会の裏手から子供が入ってきて「エビタシオ!」と叫んだ。
良く見ると教会の裏手の公園では多くの子供たちが遊んでいた。
「ここにいる奴らは娼婦の子供たちばかりさ。親は夜働くから昼間は放っておかれる。でも孤児でもないから孤児院にも入れなくて、みんな腹をすかせてるんだ。」
「エビタシオ、遊ぼう?お姉ちゃんも。」
「俺はこのお嬢さんを学園まで連れていかなきゃならないからな。」
「ちょっとなら私も遊んでみたいわ。」
ベアトリスがそう言うと後から入ってきた男の子に手を引かれて教会を出た。
「僕は、グスターボ。お姉ちゃんは?」
「グスターボ、いい名前ね。私はベアトリスよ。」
宮殿で育ったベアトリスは庶民の遊びをするのが初めてだった。鬼ごっこやかくれんぼといった遊びはとても楽しかった。
子供たちと少し遊んだ後、エビタシオに連れられて学園に帰った。学園と教会は思ったより近かった。
学園に戻るとまだ昼休みの時間だった。ベアトリスは何もなかったような顔をして五時間目の授業を受けると普段通り迎えの馬車に乗り宮殿に帰った。
ベアトリスの小さな冒険は上手く誰にも気付かれなかった。帰りの馬車の中でベアトリスは今日のことを思い出していた。子供たちと遊んでいる間、これまで心を悩ませていたアルトゥールの事を思い出さなかった事に気がついた。
これに気を良くしたベアトリスはこの後、しょっちゅう一人で街に降りては、子供たちと遊んだ。
238
お気に入りに追加
1,239
あなたにおすすめの小説
真面目くさった女はいらないと婚約破棄された伯爵令嬢ですが、王太子様に求婚されました。実はかわいい彼の溺愛っぷりに困っています
綾森れん
恋愛
「リラ・プリマヴェーラ、お前と交わした婚約を破棄させてもらう!」
公爵家主催の夜会にて、リラ・プリマヴェーラ伯爵令嬢はグイード・ブライデン公爵令息から言い渡された。
「お前のような真面目くさった女はいらない!」
ギャンブルに財産を賭ける婚約者の姿に公爵家の将来を憂いたリラは、彼をいさめたのだが逆恨みされて婚約破棄されてしまったのだ。
リラとグイードの婚約は政略結婚であり、そこに愛はなかった。リラは今でも7歳のころ茶会で出会ったアルベルト王子の優しさと可愛らしさを覚えていた。しかしアルベルト王子はそのすぐあとに、毒殺されてしまった。
夜会で恥をさらし、居場所を失った彼女を救ったのは、美しい青年歌手アルカンジェロだった。
心優しいアルカンジェロに惹かれていくリラだが、彼は高い声を保つため、少年時代に残酷な手術を受けた「カストラート(去勢歌手)」と呼ばれる存在。教会は、子孫を残せない彼らに結婚を禁じていた。
禁断の恋に悩むリラのもとへ、父親が新たな婚約話をもってくる。相手の男性は親子ほども歳の離れた下級貴族で子だくさん。数年前に妻を亡くし、後妻に入ってくれる女性を探しているという、悪い条件の相手だった。
望まぬ婚姻を強いられ未来に希望を持てなくなったリラは、アルカンジェロと二人、教会の勢力が及ばない国外へ逃げ出す計画を立てる。
仮面舞踏会の夜、二人の愛は通じ合い、結ばれる。だがアルカンジェロが自身の秘密を打ち明けた。彼の正体は歌手などではなく、十年前に毒殺されたはずのアルベルト王子その人だった。
しかし再び、王権転覆を狙う暗殺者が迫りくる。
これは、愛し合うリラとアルベルト王子が二人で幸せをつかむまでの物語である。


【完結】貴方の望み通りに・・・
kana
恋愛
どんなに貴方を望んでも
どんなに貴方を見つめても
どんなに貴方を思っても
だから、
もう貴方を望まない
もう貴方を見つめない
もう貴方のことは忘れる
さようなら

【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド

悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。

婚約して三日で白紙撤回されました。
Mayoi
恋愛
貴族家の子女は親が決めた相手と婚約するのが当然だった。
それが貴族社会の風習なのだから。
そして望まない婚約から三日目。
先方から婚約を白紙撤回すると連絡があったのだ。

私は王子の婚約者にはなりたくありません。
黒蜜きな粉
恋愛
公爵令嬢との婚約を破棄し、異世界からやってきた聖女と結ばれた王子。
愛を誓い合い仲睦まじく過ごす二人。しかし、そのままハッピーエンドとはならなかった。
いつからか二人はすれ違い、愛はすっかり冷めてしまった。
そんな中、主人公のメリッサは留学先の学校の長期休暇で帰国。
父と共に招かれた夜会に顔を出すと、そこでなぜか王子に見染められてしまった。
しかも、公衆の面前で王子にキスをされ逃げられない状況になってしまう。
なんとしてもメリッサを新たな婚約者にしたい王子。
さっさと留学先に戻りたいメリッサ。
そこへ聖女があらわれて――
婚約破棄のその後に起きる物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる