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スーザンは気分の良い日にはダンスホールに顔を出し、他国の上流階級の人々と交流を結んだ。

新大陸までに幾つかの国を経由するこの船では祖国とは違う珍しい料理やスーザンがあまり聞いたことのない珍しい音楽ダンスなども見聞きすることができた。

船は2週間ほどで目的地のニューユーリに到着した。

新大陸に着くとハロー商会が用意したアパートメントに向かった。
こちらの国では王都のタウンハウスのように一棟丸々自分の屋敷ではなく階ごとに住む人が異なるアパートメントが主流らしい。

大通りから一歩入ったところにあるアパートの最上階がスーザンに用意された部屋だった。
ペントハウスと言うらしい。
まだ珍しいエレベーターがついた石造りのコンシェルジュ付きアパートだった。

スーザンとマーサ、そしてミスターゲーブルで住むには充分すぎる部屋だった。

通いで料理人を雇い、医者を手配した。

ニューユーリでの妊婦生活は順調だった。
船で知り合った婦人を介して社交界にも参加することもあったし、街並みも公園も全てが新鮮で毎日があっという間に過ぎていった。

大旦那様から紹介を受ける予定になっていた仕事など用意されておらず生活に必要なお金は全てハロー家から支払われた。

スーザンは未だサミュエル・ハローの妻なのだから当然であった。
しかし、スーザンは侯爵令嬢という立場の頃から成人してからは仕事をしてきた。何もせずにゆっくりするということがとても心苦しかった。









10月末に男児を出産した。新大陸にわたりもうすぐ6ヶ月という頃だった。

生まれたばかりでまだよくわからないが少しウェーブのある濃い茶髪はサミュエルに似ていると思った。

生まれた子はホレイショと名付けた。セバスティアーノ=ストウ家では代々子供の名前はSから始まる名前と決まっている。
それは昔からの迷信で姓名のイニシャルが揃っているのが良いというものがあり、ずっとそれを守っているからだ。

最近ではそういう迷信を信じる人も少なくなってきたが、スーザンはどうせならハロー家のHから始まる名前をつけたいと思ったのだ。

慣れない土地での初めての出産ということもあり、スーザンの産後の肥立ちはあまりよくなかった。
乳母を雇わなかったのも大きいかもしれない。しかし、今後のスーザンの立場がどうなるかわからない状況であまりハロー家に頼ることはしたくなかったのだ。

平民だったらみな当たり前に自分の子に乳をやっているのだからきっと自分にだって出来るはず。スーザンはそう思った。

産後1ヶ月がたち、ホレイショに乳をあげる以外にもたまに起き上がれるようになった頃だった。スーザンが出産祝いのお礼状を部屋で描いていると階下で何か言い争っている声が聞こえた。喧騒は徐々にスーザンの部屋に近づいてきた。

ドアがガチャリと開くとそこに立っていたのはサミュエルだった。

「サミュエル様、どうしてここに?」

サミュエルは怒っているようだった。

「君は!俺を!裏切ったのか?!」

スーザンは何を言われているのか分からなかった。

「あの子は誰の子だ?」

そこでスーザンはやっと不貞を疑われていることを理解した。しかし、スーザンからしてみたら滑稽だった。スーザンとサミュエルが情を交わしたのは離縁の話が本格的に進んでからだし、そもそもは離縁する予定だったのだ。
今もスーザンがサミュエルの妻の立場にいることは騙し討ちにあったようなものだ。

上流階級の夫婦が互いに愛人を持つことは良くあることだし、限りなく離縁に近い形で別居をしている夫に今更責められたところで、サミュエルの肩を持つものなど殆ど居ないだろう。

「誰の!誰の子だと聞いている」
 
サミュエルは何に対してそんなに怒っているのだろうか?

「サミュエル様落ち着いてくださいませ」

「これが落ち着いていられるか?」

「ホレイショはサミュエル様の子供ですわ」

「君はまた、すぐにそうやって嘘をつくんだな」

スーザンは真実を告げたのにサミュエルの怒りは更に増したようだった。

「私、サミュエル様に嘘をついたことはありません」

サミュエルの形の良い額に大きくシワが刻まれた。眉を高く挙げ驚いた表情になった。

「ホレイショはあなたの子です。ほら、髪の感じもあなたそっくり。それに、私がかつてサマンサ・オースティンと呼ばれ、シープシャーの屋敷でハロー家の貴方達と育ったのも、息子のホレイショが貴方の息子であることもどちらも本当のことです」

サミュエルはありえないと言うように頭を振ると額に手をやった。

「君は虚言癖があるのか?今日は時間がある。君の話を聞こうじゃないか」


やっと話を聞いてくれる気になったと言うのにスーザンは自分の心に嬉しいと言う気持ちがあまりないことに気がついた。
どうせ話してもサミュエルが信じてくれないだろうと思っていたからだ。
それに、君の話を聞こうじゃないか、だなんて。なんと上から目線なのだろう。

「何を話せばよろしいんですの?何を話せばサミュエル様は信じてくださいますの?結局、サミュエル様は私のことなど信じて下さらないのでしょう?何を言ってもお義父様の入れ知恵だと思われていますものね。私、疲れてますの。無駄な労力は使いたくありませんわ」

「俺に泣いて縋って話を聞けと言ったのは君だろう?」

「でも貴方は何も信じてくださらなかったし、話も聞いてはくださらなかった。確かに私は貴方を愛しています。昔、スティーブン、あぁ、貴方にサンダースと言った方が通じるかしら?サンダースにも言われました。セバスティアーノ=ストウ家に産まれた私は一度恋に落ちるともう引き戻せない。私は生涯貴方を愛し続けるだろうと。でも、長い間、私は貴方に愛されることを諦めてきて、諦める癖がついてしまいました。もう、貴方に愛されるかもと思って期待するのが嫌なんです。期待して、でもやっぱり裏切られて、それでも貴方を嫌いになれない。サミュエル様は私が何をしても傷付かない人形だとでもお思いですか?」

「その事は謝っただろう?そして、君も謝罪を受け入れたはずだ」

「私が許したのは私のことを根拠もなく嫌ってずっと蔑ろにしておいでだったことのみです。サマンサ様を囲おうとしていらっしゃったことだって、その後もう一度やり直そうと言って期待をさせておいて、やっぱり離縁したいと言い出した事にだって私は傷ついておりますわ。もっと言うと、私がサマンサだった頃に貴方に浮気を疑われたことも、その後、私が屋敷から去るのを知りながら話す機会を持たなかった貴方の態度にも傷付きました。デビュタントの舞踏会で出会った時に私がサマンサだと気付かなかったことにも傷付きました」

話す事はないと言いながらよくもこれだけベラベラと文句が出てくるものだと自分で自分に感心してしまった。

「それに、貴方は何ひとつ私の言葉を信じては下さらない」

「いや、そんな事は」

「いいえ、昔、私の浮気を疑っていらっしゃった時、違うと申し上げましたでしょう?」

それは浮気相手のサマンサとサミュエルがスーザンの部屋を訪ねた時のことだ。あの時は家に男を連れ込んだのはミスター・ゲーブルに依頼された仕事の件だと説明し、信じてくれたと思っていた。しかし、結局サミュエルの心の中ではスーザンは浮気をしてもおかしくない女だとずっと考えていたのだろう。

「でも信じていらっしゃらなかったから息子を浮気相手の子供だなんてそう思われるのでしょうね」

サミュエルの顔がわずかに歪んだ。

「しかし、身に覚えがないんだ。子供は1人では出来ない」

「サミュエル様はお酒で記憶をなくされた事はありませんか?」

「何度か」

「朝、気付いたら裸で寝ていた事は?」

「あった」

「ホレイショはその時の子です」

「本当に?」

「やはり信じてくださらない」

「しかし・・・」

「それに、サミュエル様は私と離縁したかったのでしょう?今更怒るのはおかしいと思いますわ。大旦那様の意向もお有りになりますからすぐに離縁は難しいでしょうけれど、ホレイショが自分の子だと信じられないのなら、ハロー家の跡を継がせない方法はいくらでもありますでしょう?」

「・・・そうだな」

サミュエルは何かを考えているようだった。
スーザンはこの機会になぜサミュエルはスーザンがサマンサだと気付かないのか聞いてみたいと思った。
もしかすると生涯でサミュエルに会うのはこれが最後かもしれないと思ったからだ。

「サミュエル様はサマンサのどこに惹かれましたの?」

「美しく、賢く、考え方が俺に似ていて、言葉がなくても通じ合えるようなところ。まるで秘密を共有するみたいで魅惑的だった」

「そうですか。自分で言うのもなんですが、私だって美しく賢いですわ。考え方もサミュエル様に近しいかと思いますし。でももう言葉がなくては何も通じ合えないですわね。と言うか言葉があっても通じ合えていないですものね。顔だってサミュエル様が昔褒めてくださったそばかすはもうなくなってしまいましたし」

サミュエルはぼんやりとサマンサを見ていた。

「前にも伺いましたけれど、サミュエル様はどうして私がサマンサだと気付いてくださらなかったの?今も信じていらっしゃらないでしょう?私はジェレミーから紹介される前からサミュエル様だと気づいておりましたのに」

スーザンは愛しい人を見る目でサミュエルを見た。サミュエルはしばらく悩んだ後に口を開いた。

「いや…」

しかしその時、泣いたホレイショを連れたマーサが入ってきた。

「奥様、そろそろお乳の時間ですわ」

スーザンはホレイショを抱き上げてサミュエルに話しかけた。

「あら、では今日はお互い気が立っておりますし、この辺でお帰りくださいませ」

「お前、自分で授乳してるのか?」

「ええ」

その後もサミュエルは何か言いたそうだったがスーザンがホレイショに気を取られて話を出来る体制ではないとわかると大人しく出て行った。

授乳してしばらくたち、ホレイショが大人しく眠った頃に再びサミュエルがやってきた。

「あら、まだ帰ってらっしゃらなかったの?」

「帰るってどこに。ニューユーリにいる間、俺はここに滞在するさ」

「!そうですの」

「あぁ。可愛いな」

サミュエルがホレイショを見ながら呟いた。
優しい手でホレイショの頭を撫でる。
目線をホレイショに向けたまま話しだした。

「俺はなにか思い違いをしていたのかもしれない。確かにお前を抱いた記憶は微かにあった。だが、夢にお前が出てきてそういう事をするのはしょっちゅうで、やけにリアルだとは思ったが不思議に思わなかった」

スーザンはサミュエルが何を言ってるのかすぐに理解できなかった。サミュエルは夢の中でしょっちゅうスーザンを抱いていたというこただ。

「えっと、サミュエル様は私のことが嫌いでいらっしゃるんですよね?」

「あぁ、そうだ。そうだと思っていた。でも、君の魅力には抗えかった。俺はサマンサを好きなはずなのにどうしようもなく君に惹かれる自分が許せなかった」

「それは、、、いつから?」

「お前のデビュタントで初めて会った時からだ。俺はそれをお前がファムファタールでお前が好きものだからなのだと自分を納得させた。お前との婚約の話を断らなかったのも今から考えると、なんやかんや自分に言い訳しながら俺がお前を好きだからだ」

「本当ですの?」

「あぁ、きっとずっと自分でも気付かないうちから君のことが好きだったんだ」

サミュエルはじっとスーザンを見た。
スーザンも見つめ返した。
サミュエルの瞳の奥に恋の炎が灯っていた。

「私もずっとお慕いしておりましたわ。」

サミュエルは微笑みながらスーザンの頬に手を当て、親指でそっと目の下を撫でた。

「涙が出ているよ、サム」

その仕草が、その声が、言葉選びが、かつてサマンサだったスーザンが愛していたサミュエルと完全に重なった。

「だって、」

スーザンが全てを言い切る前にスーザンの言葉はサミュエルに食べられた。


---だって、貴方を愛しているんですもの
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