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秘花102

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

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 自分は二人の男たちに守られてきたのだ、と。身を挺して賢を庇い、今、瀕死の怪我をに喘いでいるこの男(ひと)にもちゃんと守られていた。ただ、大人であったジュチと異なり、王はまだ自分の気持ちを上手く伝えるすべを持たなかった。
 だからといって、王が何の罪もないジュチを殺し、彼から未来を奪った言い訳にはならない。けれど、王の恋情を理解しようとしなかった賢にも責任がないとはいえない。たとえ乾の恋心に応えることができなくても、きちんと彼と向き合い、その想いを認めていたなら、こんなことにはならなかったかもしれないのだ。
 思えば、賢はずっと乾から逃げ続けていた。〝可愛い大切な従弟〟としか見ず、乾の一途な恋情から眼を背けてきた。好きだと直截に告白されてからも、乾を怖がるばかりで、その言葉に真剣に耳を傾けたことがあったろうか? 
 乾はずっと訴えていた。
―俺を男として見てくれ。
 その一途な想いにちゃんと向き合わなかった。その報いが賢から愛するジュチを奪うという形で現れたのではないか。
 乾の中で、いつしか烈しい恋情が憎しみに変わった。その原因が我が身になかったとは言い切れまい。
 賢は今更ながらに、稚なすぎた自分の愚かさを悟った。
「王妃さま、御医が来られました」
 崔尚宮の鬼気迫った声に、賢は自らを叱咤した。今は感傷や後悔に浸っているべきときではない。乾の生命を助けることが先決だ。
 御医は既に王の状態を診察している。
 賢はともすれば震えそうになる声を落ち着かせ、到着した御医に訊ねた。
「殿下のご容態は?」
 年老いた御医は鎮痛な面持ちで応えた。
「今のところは何とも申し上げられません、王妃さま。出血が多すぎました。とりあえず早急に止血を行います」
「何としてでも殿下のお生命をお助け参らせるように」
 賢は唇を噛みしめ言った。
 
 その夜、賢は元国の皇帝に書状をしたためた。一つには、良人である高麗王が瀕死の怪我を負っているため、皇帝の侍医団の中でも外科に明るく優れている医師を遣わして欲しいということ。二つには、増血効果のある薬、体力をつける滋養強壮の薬を分けて欲しいというものだった。
 賢は手紙の終わりにこうしたためた。

 両性具有という数奇な星の下に生まれ、一度は高麗の王となる日を夢見て精進して参りましたが、その志も潰えました。この上は良人である高麗王殿下をお助けし、内助の功を尽くして高麗のために努めたいと存じます。たとえ女として生きようとも、祖国のためなら、歓んでこの身を捧げるという初志は何ら変わることはございません。
 偉大なる大モンゴル皇帝陛下、たとえ国の大小はあれども、祖国をひたすら想うその心に違いはございません。どうか不肖の孫娘の切なる願いをお聞き届け下さいますことを、更には皇帝陛下のこれよりのご長寿と帝国の繁栄を祈っております。
               王照容

 末尾には高麗王女としての名前と共に、元国皇女であることを示すため、モンゴル語で〝ユーラタルシリ〟と添えた。高麗の王太子であれば、幼い砌より元語の指南を受けているので、日常生活に支障はない手度に読み書きも会話もできる。
 それは賢が初めて「照容」の名を自ら使った書状となった。この手紙は早馬で元に届けられ、これを読んだ老皇帝は涙を流した。
―不憫な娘だ。過酷な宿命を与えられても、天を恨むでもなく、与えられたさだめを粛々と受け容れ己れの務めを果たそうとしている。
 皇帝はすぐにお抱え侍医団の中から外科専門の医者を二名、内科医師を一名派遣することを決め、特使団には薬庫から効果な薬を惜しみなく出して持たせることにした。その特使は高麗王妃の書状が到着した翌日には、高麗に向けて出立した。
 実際、賢の書いた手紙は当時、それを眼にした人すべて―皇帝だけでなく元国の高官たちの心を打った。そこには良人と祖国(高麗)をひたすら想う妻、引いては王妃としての心が切々と綴られていた。
 元皇帝に書状を送ったその日、王宮の門前から一頭の馬が走り出た。毛並みの良い栗色の馬に乗っていたのは他ならぬ賢である。
 賢が目指すのは、かつて愛していた男の眠る場所であった。
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