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秘花87
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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宗俊は少し考えてから、慎重に言葉を選んだ。
「稀有なお方だと存じますな」
意味ありげな眼を寄越され、宗俊は笑って首を振った。
「いや、これは追従などではありません。私が一度、王妃殿にご側室のことで伺った折、王妃さまとは長らくお話しさせて頂いたのです。そのやりとりだけで、王妃さまが実に聡明で、しかも気高いお心をお持ちの方と判りました。また、愕くべきことに、彼(か)の方が亡き先王殿下とは異なり、むしろ反元派であったことも判りました。このようなことを申し上げれば逆鱗に触れるを承知で申し上げるならば」
宗俊はここで言葉を句切った。
「もし王妃さまが女性化せずに男性となられていたら、私は殿下ではなく王妃さまを次代の王に頂くことを望んだやもしれません」
だが、王は怒るどころか、嬉しげに笑った。
「なるほど、たくさんの政変をかいくぐって生き残った朝廷の傑物が認めたからには、我が妻はたいした女であるとお墨付きを貰ったようなものだ」
宗俊もつられるように笑んだ。
「これは老臣には嬉しい仰せにござります」
宗俊が俄に表情を厳しくした。
「されど、殿下。あの男、誠全はやると言ったらやる男にございます。ゆえに、ここは万全を期した方がよろしいでしょう。王妃殿の警護を増やし、これまでお仕えしていた者たち以外は一切出入りできないように徹底的に取り締まること。特に王妃さまのお部屋に出入りできる者の身辺には用心が必要かと存じます」
「丞相、俺は心配でならぬ」
王が弱音を漏らすとは極めて珍しいことだ。宗俊は珍しい生きものでも眺めるように王を見つめた。
「この身なぞ惜しくはない。だが、王妃が狙われているとなれば、話は別だ。丞相、俺は今まで何一つ失って惜しいと思うものはなかった。王の位でさえ、けして心から望んだものではない。だが、王妃だけは別だ。あの者が俺の側からいなくなることを考えただけで、怖ろしくなる。男にとって最も大切なものを得るというのは、もしかしたら致命的なことなのやもしれぬな」
宗俊は王の若々しい横顔を見た。その端正な顔は今、濃い不安と翳りに覆われている。いつもは年齢よりはるかに老成した王がそのときだけは十八歳という歳相応の若者に見えた。
宗俊は息子か孫を見るような穏やかななざしを王に向けた。
「殿下、最も大切なものを得るは確かに弱みを持つことかもしれません。ただ、男というものは皆、おしなべて、そのような生きものなのです。かく言う私もしかり、二十三で妻を娶り二十四で初めての子を授かったときには、この上ない弱みを持つことになりました。ですが、その弱みは逆に時として強さにもなり得る。大切な者たちを守りたい。その一念が強い志となり、引いては大切な者たちの暮らす祖国を守るという名分にも繋がってゆくものです。どうか、いつもの殿下らしく、お心を強くお持ち下さい。不安は人を疑心暗鬼にし、枯れた花ですら幽霊と錯覚させるほど惑乱させるものですゆえ。疑念は往々にして要らざる争乱の因(もと)となります」
「あい判った。かたじけない。今の丞相の言葉は教えとして胸に刻もう」
王は存外にしっかりとした口調で言った。
宗俊は恭しく頭を垂れた。
「勿体ないお言葉です」
宗俊が出ていった後、王はすぐに廊下に控えている内官長を呼び、王妃殿の警護兵の増加、出入りの者の詮議を更に厳しくすることなどを命じた。
すべてを聞いた内官長は王命を朝廷の方に伝えに執務室を出ていった。重い吐息を吐き出し、王は執務机に突っ伏した。
「何故だ、何故、王妃を狙う。賢には何の罪もないのに」
しばらくして顔を上げた王の頬には確かに涙の跡が残っていた。
だが、残念なことに、王の真意は賢には伝わらなかった。王妃殿の警護が増やされた件について、賢はそれを〝体の良い監視〟だと受け止めたのである。
―どうせ逃亡を警戒しているのだ。
王は自分を後宮という豪奢な鳥籠に閉じ込め、生涯、外には出さないつもりに相違ない。我が身はこれから先の生涯、鳥籠から出て二度と広い大空を羽ばたくことはないのだろう。
そう思えば、冷え冷えとした感情が心に虚しく広がるばかりだ。
「稀有なお方だと存じますな」
意味ありげな眼を寄越され、宗俊は笑って首を振った。
「いや、これは追従などではありません。私が一度、王妃殿にご側室のことで伺った折、王妃さまとは長らくお話しさせて頂いたのです。そのやりとりだけで、王妃さまが実に聡明で、しかも気高いお心をお持ちの方と判りました。また、愕くべきことに、彼(か)の方が亡き先王殿下とは異なり、むしろ反元派であったことも判りました。このようなことを申し上げれば逆鱗に触れるを承知で申し上げるならば」
宗俊はここで言葉を句切った。
「もし王妃さまが女性化せずに男性となられていたら、私は殿下ではなく王妃さまを次代の王に頂くことを望んだやもしれません」
だが、王は怒るどころか、嬉しげに笑った。
「なるほど、たくさんの政変をかいくぐって生き残った朝廷の傑物が認めたからには、我が妻はたいした女であるとお墨付きを貰ったようなものだ」
宗俊もつられるように笑んだ。
「これは老臣には嬉しい仰せにござります」
宗俊が俄に表情を厳しくした。
「されど、殿下。あの男、誠全はやると言ったらやる男にございます。ゆえに、ここは万全を期した方がよろしいでしょう。王妃殿の警護を増やし、これまでお仕えしていた者たち以外は一切出入りできないように徹底的に取り締まること。特に王妃さまのお部屋に出入りできる者の身辺には用心が必要かと存じます」
「丞相、俺は心配でならぬ」
王が弱音を漏らすとは極めて珍しいことだ。宗俊は珍しい生きものでも眺めるように王を見つめた。
「この身なぞ惜しくはない。だが、王妃が狙われているとなれば、話は別だ。丞相、俺は今まで何一つ失って惜しいと思うものはなかった。王の位でさえ、けして心から望んだものではない。だが、王妃だけは別だ。あの者が俺の側からいなくなることを考えただけで、怖ろしくなる。男にとって最も大切なものを得るというのは、もしかしたら致命的なことなのやもしれぬな」
宗俊は王の若々しい横顔を見た。その端正な顔は今、濃い不安と翳りに覆われている。いつもは年齢よりはるかに老成した王がそのときだけは十八歳という歳相応の若者に見えた。
宗俊は息子か孫を見るような穏やかななざしを王に向けた。
「殿下、最も大切なものを得るは確かに弱みを持つことかもしれません。ただ、男というものは皆、おしなべて、そのような生きものなのです。かく言う私もしかり、二十三で妻を娶り二十四で初めての子を授かったときには、この上ない弱みを持つことになりました。ですが、その弱みは逆に時として強さにもなり得る。大切な者たちを守りたい。その一念が強い志となり、引いては大切な者たちの暮らす祖国を守るという名分にも繋がってゆくものです。どうか、いつもの殿下らしく、お心を強くお持ち下さい。不安は人を疑心暗鬼にし、枯れた花ですら幽霊と錯覚させるほど惑乱させるものですゆえ。疑念は往々にして要らざる争乱の因(もと)となります」
「あい判った。かたじけない。今の丞相の言葉は教えとして胸に刻もう」
王は存外にしっかりとした口調で言った。
宗俊は恭しく頭を垂れた。
「勿体ないお言葉です」
宗俊が出ていった後、王はすぐに廊下に控えている内官長を呼び、王妃殿の警護兵の増加、出入りの者の詮議を更に厳しくすることなどを命じた。
すべてを聞いた内官長は王命を朝廷の方に伝えに執務室を出ていった。重い吐息を吐き出し、王は執務机に突っ伏した。
「何故だ、何故、王妃を狙う。賢には何の罪もないのに」
しばらくして顔を上げた王の頬には確かに涙の跡が残っていた。
だが、残念なことに、王の真意は賢には伝わらなかった。王妃殿の警護が増やされた件について、賢はそれを〝体の良い監視〟だと受け止めたのである。
―どうせ逃亡を警戒しているのだ。
王は自分を後宮という豪奢な鳥籠に閉じ込め、生涯、外には出さないつもりに相違ない。我が身はこれから先の生涯、鳥籠から出て二度と広い大空を羽ばたくことはないのだろう。
そう思えば、冷え冷えとした感情が心に虚しく広がるばかりだ。
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