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秘花73
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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「金どの、少しお言葉が過ぎるのでは?」
傍らの高官が諫める口調で言った。それは宗俊の出過ぎた言葉を止めるというよりは、それによって爆発した王の逆鱗が関係ない自分たちにまで及ぶのを怖れるためであった。
だが、宗俊は頓着もせず続けた。
「市井に生きる名も無き若い夫婦ならば、それで良いのです。子は授かりものゆえ、気長に待てば良い。されど、一国の王と王妃ともなれば、若くとも、そうはゆきませぬ。ましてや、王妃さまがむずかられていまだに殿下に身を任されることを厭うておられるとあれば、我らは到底見過ごしにはできません。我らが望むのは二つに一つ、王妃さまと殿下が名実共に晴れてご夫婦になられるか、殿下が王妃さま以外の女性を側室としてお迎えになるか。いずにせよ、お健やかな和子さまがご誕生になれば、王室もこの国も安泰でざいますゆえ」
「もう良いっ。今後、王妃に世継ぎのことを申した者はたとえ丞相であろうが、叩き斬ってやる。今回はその衷心に免じて見逃すが、次はないと思え。王妃を追いつめる者は何人たりともこの朕が許さぬ」
王は憤りも露わに言い棄て、憤懣やる方なしといった様子で退座した。その姿が広間から消えたと同時に、廷臣たちからどよめきが洩れた。
「さてさて、お若い王にも困ったものですな」
「聞けば、王妃さまは殿下に側室を持っても良いと公然と仰せだとか」
「私ならば歓んで妻の意向に従いますがなぁ」
「たとえ国王といえども、男ですから。男というものは猟犬のようなもの。女が逃げれば追いかけたいという性(さが)があるのでしょう」
「なるほど、言い得て妙ですな」
話に興じていた二人の官僚は、そこで丞相に睨まれて口をつぐんだ。
「朴(パク)どの、沈(シム)どの、不謹慎な言葉はたいがいにされた方がよろしいぞ。私などは今日のところは殿下のご寛容なるお心で事なきを得ましたが、あまりな物言いが万が一、殿下のお耳に入れば、そのよく喋る口のついた頭と首から下が真っ二つになりましょう」
二人は這々の体で頭を下げ、広間から退出していった。
同じ日々の午後、賢はいつものように崔尚宮を伴に庭園の奥まった一角にいた。夏の暑い最中は朝の涼しい時間に散歩に来ていたのだが、涼しくなった今は午後からになっている。
ここは賢のお気に入りの場所である。今は遠く隔たってしまった王こと乾と幼い頃によく遊んだ場所なのだ。
―あの頃は良かった。
あの愉しかった頃から刻は流れ、自分たちの間にはけして越えられない深い溝ができてしまった。
王がジュチを殺した。その逃れようもない事実が厳然として横たわる限り、賢は王を受け入れることはできないだろう。
賢は結い上げた髪に挿した簪をそっと引き抜き、手のひらに乗せた。大好きなジュチがくれた簪、金緑石(アレキサンドライト)という不思議な石のついた簪だ。今、小さな手のひらに乗った簪は、先についた石が秋の穏やかな陽を浴びて青緑色に輝いている。石を手のひらで覆って陰を作ると、石はうっすらと紫に変わった。
この簪をくれた時、ジュチは言った。
―昼と夜ではまったく色が違う、同じ石でありながら二つの顔を持つ不思議な石だと店主が話していました。だから、貴重なものなのでしょう。この蒼く輝く石を見た瞬間、賢華さまの顔が鮮やかに浮かびました。この簪の持ち主は私には、あなたさましか考えられません。賢華さまがおいやでなければ、あなたが持っていて下さい。
この簪はジュチが求婚の証にくれた大切な品であり、今となっては彼が作った釣り竿と共に形見となってしまった。
金緑石は昼間や明るい場所では青緑色をしているが、暗い場所や夜には紫に変色するという。ジュチが二人が暮らしていた村からほど近い町で見つけ、買ってくれたものだ。
彼の形見となった簪を賢は今でも大切に身に付けていた。王からはあまたの簪を贈られたが、どれ一つとして身につけたことはない。嘉礼を済ませるまでは他の簪も身に付けていたのは、それらが特に王から贈られたものではなかったからである。
賢にとってはこのジュチの想い出に繋がる簪だけあれば良かった。ジュチを卑劣なやり方で殺した男から贈られた簪など何一つとして身に付けたくない。
そう思う一方、この池のほとりにいると、乾と過ごした幼少の大切な想い出が次々と甦る。では何故、大嫌いな男との想い出がある場所に来るのか。その理由は賢自身にも理解できないものだ。
傍らの高官が諫める口調で言った。それは宗俊の出過ぎた言葉を止めるというよりは、それによって爆発した王の逆鱗が関係ない自分たちにまで及ぶのを怖れるためであった。
だが、宗俊は頓着もせず続けた。
「市井に生きる名も無き若い夫婦ならば、それで良いのです。子は授かりものゆえ、気長に待てば良い。されど、一国の王と王妃ともなれば、若くとも、そうはゆきませぬ。ましてや、王妃さまがむずかられていまだに殿下に身を任されることを厭うておられるとあれば、我らは到底見過ごしにはできません。我らが望むのは二つに一つ、王妃さまと殿下が名実共に晴れてご夫婦になられるか、殿下が王妃さま以外の女性を側室としてお迎えになるか。いずにせよ、お健やかな和子さまがご誕生になれば、王室もこの国も安泰でざいますゆえ」
「もう良いっ。今後、王妃に世継ぎのことを申した者はたとえ丞相であろうが、叩き斬ってやる。今回はその衷心に免じて見逃すが、次はないと思え。王妃を追いつめる者は何人たりともこの朕が許さぬ」
王は憤りも露わに言い棄て、憤懣やる方なしといった様子で退座した。その姿が広間から消えたと同時に、廷臣たちからどよめきが洩れた。
「さてさて、お若い王にも困ったものですな」
「聞けば、王妃さまは殿下に側室を持っても良いと公然と仰せだとか」
「私ならば歓んで妻の意向に従いますがなぁ」
「たとえ国王といえども、男ですから。男というものは猟犬のようなもの。女が逃げれば追いかけたいという性(さが)があるのでしょう」
「なるほど、言い得て妙ですな」
話に興じていた二人の官僚は、そこで丞相に睨まれて口をつぐんだ。
「朴(パク)どの、沈(シム)どの、不謹慎な言葉はたいがいにされた方がよろしいぞ。私などは今日のところは殿下のご寛容なるお心で事なきを得ましたが、あまりな物言いが万が一、殿下のお耳に入れば、そのよく喋る口のついた頭と首から下が真っ二つになりましょう」
二人は這々の体で頭を下げ、広間から退出していった。
同じ日々の午後、賢はいつものように崔尚宮を伴に庭園の奥まった一角にいた。夏の暑い最中は朝の涼しい時間に散歩に来ていたのだが、涼しくなった今は午後からになっている。
ここは賢のお気に入りの場所である。今は遠く隔たってしまった王こと乾と幼い頃によく遊んだ場所なのだ。
―あの頃は良かった。
あの愉しかった頃から刻は流れ、自分たちの間にはけして越えられない深い溝ができてしまった。
王がジュチを殺した。その逃れようもない事実が厳然として横たわる限り、賢は王を受け入れることはできないだろう。
賢は結い上げた髪に挿した簪をそっと引き抜き、手のひらに乗せた。大好きなジュチがくれた簪、金緑石(アレキサンドライト)という不思議な石のついた簪だ。今、小さな手のひらに乗った簪は、先についた石が秋の穏やかな陽を浴びて青緑色に輝いている。石を手のひらで覆って陰を作ると、石はうっすらと紫に変わった。
この簪をくれた時、ジュチは言った。
―昼と夜ではまったく色が違う、同じ石でありながら二つの顔を持つ不思議な石だと店主が話していました。だから、貴重なものなのでしょう。この蒼く輝く石を見た瞬間、賢華さまの顔が鮮やかに浮かびました。この簪の持ち主は私には、あなたさましか考えられません。賢華さまがおいやでなければ、あなたが持っていて下さい。
この簪はジュチが求婚の証にくれた大切な品であり、今となっては彼が作った釣り竿と共に形見となってしまった。
金緑石は昼間や明るい場所では青緑色をしているが、暗い場所や夜には紫に変色するという。ジュチが二人が暮らしていた村からほど近い町で見つけ、買ってくれたものだ。
彼の形見となった簪を賢は今でも大切に身に付けていた。王からはあまたの簪を贈られたが、どれ一つとして身につけたことはない。嘉礼を済ませるまでは他の簪も身に付けていたのは、それらが特に王から贈られたものではなかったからである。
賢にとってはこのジュチの想い出に繋がる簪だけあれば良かった。ジュチを卑劣なやり方で殺した男から贈られた簪など何一つとして身に付けたくない。
そう思う一方、この池のほとりにいると、乾と過ごした幼少の大切な想い出が次々と甦る。では何故、大嫌いな男との想い出がある場所に来るのか。その理由は賢自身にも理解できないものだ。
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