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秘花72

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

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   愛縁

 金宗俊が王妃殿を訪れた翌朝、便殿では御前会議がいつものように行われていた。
 特に早急に議論する議題もその日はなく、常よりは早くに会議が終わるかに思えたその時、重臣の中の一人が言上した。
「殿下、ひと月余りも前に出ましたご側室の件はいかがあいなりましたでしょうか? その後、後宮に新たな女人が迎えられたというお話も一向に聞こえて参りませぬ」
 若い王はその話題が出ると、必ずといって良いほど不機嫌になる。一ヶ月半前にも、丞相からその話題が提出されたのだが、王はすごぶる不機嫌になって、会議が中断されたほどだった。結局、あのときも王の中座によって、その議題には確たる応えが出ないままに日が過ぎている。
 案の定、この日も王は憮然とした面持ちで重臣の訴えを聞いていた。王妃一人を熱愛するこの王に側室云々の話は禁句だと皆、ここにいる廷臣一同は心得ている。だが、その肝心の王妃が王に心を開かず、結婚以来いまだに初夜を済ませていないというのだから、先行きは暗い。
 先王は結局は毒殺されてしまったものの、在位中でも病がちであった。十八歳の王はまだ即位したばかりではあるが、王子どころか王女の一人もいない。この王に何かあれば、直系の王位継承者がいない状態になる。
 金宗俊はどんどん血の気を失う王の顔を見て、これはまずいと思った。この若い王は怒れば怒るほど静謐になる。今も激怒しているのであろう王の背後には蒼白い怒りの焔が静かに立ち上っているように見える。
 賢明な王とはいえ、まだ若い。よもやいきなり抜刀して手打ちということはあるまいが、このままでは滔々と恐れ知らずに述べ立てている重臣は引責辞職を命じられてしまうだろう。
 この四十ほどの男は頭は悪くないのだが、いかにせん、生真面目すぎて、いつも正論しか口にしない。政治というものは時には清濁併せ呑むことも必要で、常に理屈がまかり通るとはゆかない。そのところが理解できていないのだ。
 その男はまだ口から泡を飛ばさんばかりに熱っぽく弁舌を披露している。見れば、玉座に端座した王は今やすっかり顔面蒼白であった。さほど位階は高くないとはいえ、この男の遠い祖先は開国の功のあった一等功臣だ。そんな由緒ある家門の当主をみすみす王の女性絡みの問題で辞職させるわけにはゆかなかった。
「畏れながら」
 宗俊は少し前に進み出た。
「その儀につきましては、臣金宗俊が昨日、王妃さまにおん直々にお願いして言上した由にて」
 だが、その時点で宗俊は漸く我が身の失態に気付いた。蒼白であった王の端正な面が瞬時に紅くなったからだ。
「何だと? 今、何と申した」
「ですから、王妃さまにお世継ぎのことをお願い致しました次第で」
「まさか朕(わたし)に側室を勧めろと王妃をそそのかしたのか?」
「まさか、殿下が王妃さまひと筋、もとい、王妃さまを殊の外おん大切に思し召していらっしゃるのは我々もよく存じ上げておりますゆえ。そのようなことは申し上げておりません」
「では、何と申したのだ!」
 噛みつかんばかりの王の剣幕に、居並んだ廷臣一同は顔を見合わせている。
 丞相は激する王とは裏腹に、終始落ち着き払っている。
「殿下がご側室をお持ちにならないので、王妃さまに是非、世子さまを生んで戴きたいとお願い致しました」
 王は憤怒の形相で丞相を睨みつけた。
「差し出た口をきくでない。いつ子が授かるかは夫婦のことであり、朕と王妃の問題だ。あれは―王妃は、普通の娘とは違うのだ。過酷な運命の下に生まれて、それでも懸命に生きてきた。王妃となっただけでも相当の苦痛を強いているであろうのに、これ以上の辛い想いをさせたくない。何故、そなたらは王妃を追いつめる?」
 対して、静かな丞相の声が広間に響き渡る。
「高麗の民として、ひとえに国のゆく末を想うがゆえにございます」
 殿下と、丞相は若い王に呼びかけた。
「僭越ながら、殿下はご自分がどのような経緯で王位につかれたかをお忘れではございませんか? 玉座に座るお方はいつ何時、御身に何があるかと常に神経を研ぎ澄ませておかねばなりません。安穏と座ることは許されないのが玉座なのです。あってはならないことですが、万が一、殿下の御身に何かあったときのことをお考えですか?」
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