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秘花65
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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今日、賢に贈る品々を王は心を砕いて準備してきた。小さな箱に入った簪は鳳簪といって、王妃のみが身に付けられる鳳凰の飾りがついた豪奢なものだ。鳳凰の周囲には小粒の水晶が無数にあしらわれている。大ぶりで派手な色の玉石よりは、清純な賢には透明な水晶が似合うと王自身で選んだ石、意匠(デザイン)だ。
絵もかなりの腕前である王自らが考案し描いた意匠を元に高麗でも名の知れた職人に作らせた。
大きな箱に入っているのは絹靴だ。こちらは薄紅色の地に木春菊の模様がつま先に小さく刺繍されている。木春菊はやはり幼い日の二人にとって特別な想い出のある花だ。幼い日、木春菊の群れ咲く川辺で遊んだこと、賢がはしゃいで木春菊の花冠を編んで被ったこと、それを自分が〝似合う〟と言ったこと。
今でも王は宝物のように大切にしている想い出を賢は憶えてくれているだろうか。二つ重ねた箱の上には純白の百合の花束が無造作に乗せてあった。
王妃の姿を認めると、王は一段と早足になった。背後に従う内官長が皆に目配せした。そこから先は若い新婚夫婦だけにさせてやろうという配慮だ。
王妃―賢が連れているのは崔尚宮だけらしい。その崔尚宮も賢の邪魔をしないように少し離れて控えている。
礼など要らないから、せめて、笑顔だけでも見せてくれればと、王は親に褒めて貰いたい子どものような心もちで、心臓を高鳴らせている。今の場所からだと賢が何をしているのかもよく見える。
賢がふと手を伸ばして髪に触った。結い上げた髪に賢がいつも挿している見慣れた簪だ。幾ら王が高価な簪を贈っても、けして身に付けず、それだけを身に付けている簪。
到底王妃が身に付けるような代物ではないそのささやかな簪にどのような意味合いがこめられているのか。王は想像もしたくなかった。今、賢はそのたった一つ、いつも身に付けている簪を手にして、眺め入っている。
足を踏み出そうとした王の顔が一瞬強ばった。賢の瞳から澄んだ涙が散り零れる花びらのように、はらはらと落ちたからだ。
「ここにいたのか、王妃」
王は努めて何も見なかった様子で声をかけた。
賢は慌てて涙をぬぐい、頭を下げた。王の方をまともに見ようともしない。知らない人間が見れば、本当に赤の他人同士にしか見えないだろう。それほどまでによそよそしい態度だ。
いつもこうだ。賢の美しい瞳は虚ろで、王の姿は映らない。まるで魂(こころ)が現身(うつしみ)からさまよい出た抜け殻のようではないか。
王は眼を細めて賢を見た。白に近い、はんなりとした黄なりの下衣に春に咲く桜の花のような淡い紅の上衣を纏って立つ姿は、さながら秋の庭園にひっそりと咲く撫子の花のようだ。
やわらかく結った髪には相変わらず、あの簪以外には何も飾られていない。本人の好みか化粧もそこまできっちりとなされているわけでもないに拘わらず、賢は美しかった。こんなに美しい娘であれば、たとえ賢が従姉でなくても、女官であれ貴族の娘であれ、王はひとめで惹かれたに違いない。
これで更に化粧を施し派手やかな衣装を纏えば、ひそやかどころか、大輪の牡丹も色褪せるほどの美貌になるだろう。
「そなたに似合うと思って、作らせたのだ」
王は勇気をかき集めて、手にした箱と花束を差し出した。
「折角のお心遣いですが、このような贈り物を頂くわけには参りません」
だが、賢から返ってきた応えは態度と同様、極めて冷淡で素っ気ないものだった。
「何故?」
王はそれでも懸命に問うた。
「衣服も宝飾品も、すべてが満ち足りております。これ以上、何の不足もありませんので」
王が差し出した贈り物は妻の手に渡ることさえなく、突き返された。
「何故だ? どうして俺では駄目なんだ」
しかし、賢の言葉は王が予想もしていなかったものだった。賢の口調は砕けたものになったが、その声に潜む冷たさは隠しようもない。
「あなたは王宮で育ち、城外のことは何もご存じないだろう。僕は短期間とはいえ、市井で暮らした。そこで、たくさんの民が苦しむ姿を見たよ。民の暮らしは困窮を極めている。都から離れた小さな農村では年貢を搾り取られるため、民は日々の食べる物にも困っている有り様なんだ」
「だが、元国から毎年のようにたくさんの貢ぎ物を要求されている。年貢でそれらを賄わねば、貢納品を元に贈ることができぬ」
賢が初めて王を見た。その黒い瞳は今や揺るぎなく彼を見つめていた。こんなときなのに、賢に見つめられる歓びで身体が熱くなる。我ながら、何とも馬鹿な男、女に腑抜けた男だろうと呆れた。
絵もかなりの腕前である王自らが考案し描いた意匠を元に高麗でも名の知れた職人に作らせた。
大きな箱に入っているのは絹靴だ。こちらは薄紅色の地に木春菊の模様がつま先に小さく刺繍されている。木春菊はやはり幼い日の二人にとって特別な想い出のある花だ。幼い日、木春菊の群れ咲く川辺で遊んだこと、賢がはしゃいで木春菊の花冠を編んで被ったこと、それを自分が〝似合う〟と言ったこと。
今でも王は宝物のように大切にしている想い出を賢は憶えてくれているだろうか。二つ重ねた箱の上には純白の百合の花束が無造作に乗せてあった。
王妃の姿を認めると、王は一段と早足になった。背後に従う内官長が皆に目配せした。そこから先は若い新婚夫婦だけにさせてやろうという配慮だ。
王妃―賢が連れているのは崔尚宮だけらしい。その崔尚宮も賢の邪魔をしないように少し離れて控えている。
礼など要らないから、せめて、笑顔だけでも見せてくれればと、王は親に褒めて貰いたい子どものような心もちで、心臓を高鳴らせている。今の場所からだと賢が何をしているのかもよく見える。
賢がふと手を伸ばして髪に触った。結い上げた髪に賢がいつも挿している見慣れた簪だ。幾ら王が高価な簪を贈っても、けして身に付けず、それだけを身に付けている簪。
到底王妃が身に付けるような代物ではないそのささやかな簪にどのような意味合いがこめられているのか。王は想像もしたくなかった。今、賢はそのたった一つ、いつも身に付けている簪を手にして、眺め入っている。
足を踏み出そうとした王の顔が一瞬強ばった。賢の瞳から澄んだ涙が散り零れる花びらのように、はらはらと落ちたからだ。
「ここにいたのか、王妃」
王は努めて何も見なかった様子で声をかけた。
賢は慌てて涙をぬぐい、頭を下げた。王の方をまともに見ようともしない。知らない人間が見れば、本当に赤の他人同士にしか見えないだろう。それほどまでによそよそしい態度だ。
いつもこうだ。賢の美しい瞳は虚ろで、王の姿は映らない。まるで魂(こころ)が現身(うつしみ)からさまよい出た抜け殻のようではないか。
王は眼を細めて賢を見た。白に近い、はんなりとした黄なりの下衣に春に咲く桜の花のような淡い紅の上衣を纏って立つ姿は、さながら秋の庭園にひっそりと咲く撫子の花のようだ。
やわらかく結った髪には相変わらず、あの簪以外には何も飾られていない。本人の好みか化粧もそこまできっちりとなされているわけでもないに拘わらず、賢は美しかった。こんなに美しい娘であれば、たとえ賢が従姉でなくても、女官であれ貴族の娘であれ、王はひとめで惹かれたに違いない。
これで更に化粧を施し派手やかな衣装を纏えば、ひそやかどころか、大輪の牡丹も色褪せるほどの美貌になるだろう。
「そなたに似合うと思って、作らせたのだ」
王は勇気をかき集めて、手にした箱と花束を差し出した。
「折角のお心遣いですが、このような贈り物を頂くわけには参りません」
だが、賢から返ってきた応えは態度と同様、極めて冷淡で素っ気ないものだった。
「何故?」
王はそれでも懸命に問うた。
「衣服も宝飾品も、すべてが満ち足りております。これ以上、何の不足もありませんので」
王が差し出した贈り物は妻の手に渡ることさえなく、突き返された。
「何故だ? どうして俺では駄目なんだ」
しかし、賢の言葉は王が予想もしていなかったものだった。賢の口調は砕けたものになったが、その声に潜む冷たさは隠しようもない。
「あなたは王宮で育ち、城外のことは何もご存じないだろう。僕は短期間とはいえ、市井で暮らした。そこで、たくさんの民が苦しむ姿を見たよ。民の暮らしは困窮を極めている。都から離れた小さな農村では年貢を搾り取られるため、民は日々の食べる物にも困っている有り様なんだ」
「だが、元国から毎年のようにたくさんの貢ぎ物を要求されている。年貢でそれらを賄わねば、貢納品を元に贈ることができぬ」
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