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秘花㊾
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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「なるほど、あくまでも女ではないというなら、俺が判らせる。後宮の奥深くに閉じ込めて気が狂うほど感じさせてやる。何度でも抱いて、その身体は女だと教えてやるさ」
「―」
あまりに陰惨な笑みに、背筋をヒヤリとしたものが走った。この調子では、言葉どおり、本当に後宮に閉じ込められて徹底的に辱められかねないと思わせるほどだ。
改めて王に恐怖を感じた瞬間だった。王は言うだけ言うと踵を返し、馬の方へと歩き出す。
「ああ、先ほどの続きだが」
ふいに立ち止まり、首だけねじ曲げた。
「存じておるかどうか知らぬが、そなたは元国皇帝の養女ということにした。既に、皇帝から承認も得ている。今、そなたが自害など致せば、元皇帝は烈火のごとく怒り、大軍を率いて攻めてこよう。それでなくとも、お優しい祖父どのは孫姫を殊の外案じている。老いた皇帝を嘆かせ、高麗を破滅に導くような真似だけはしてくれるな」
皮肉げな物言いも以前の乾とは別人のようなものだ。賢は愕然と王の背中を見送った。何ということだろう。確かに王の言葉は正しい。王が賢を元国皇帝の養女という名分で王妃に迎えるという話は既にジュチから聞かされた。
だが、流石に自害した後のことまでは考えていなかった。
―僕はジュチの後を追うことさえ許されないのか。
がっくりとうなだれ、その場にくずおれた。
ジュチの亡骸にもう一度近寄ろうとした時、二人の護衛官が両脇に立った。
「王女さま、王命にございますれば、どうか我らと共にお越し下さいますよう」
この護衛官たちはジュチを斬った者ではない。視線で探すと、あの若い護衛官はジュチの亡骸の傍らにいた。賢の視線に気付くと、深々と頭を下げた。ジュチの亡骸は責任を持って手厚く葬ってくれると言った。あの様子なら、信じられるかもしれない。
それでもなお、賢はその場を動けなかった。
―ジュチ。
動こうとしない賢を護衛官は引き立てるようにして連れてゆく。
―ジュチっ。
連行されながら、賢は何度も背後を振り返った。涙が次々に溢れ出て止まらなかった。
対決
王宮に連れ戻された賢は、後宮の一室に住まいを与えられた。新たにお付きとなったのは崔(チェ)尚宮とい、小柄な三十半ばほどの女性だった。王太子として東宮殿で起居していた賢は後宮については殆ど知識がない。
後宮といえば、もちろん、王のために美しい女たちが集められた場所という認識が強いが、その一方で様々な部署があり、その部署ごとに仕事が定められ女官たちはその職務に従事している。その部署ごとに責任者の尚宮がいて、更に後宮全体を統括する後宮女官長、つまり尚宮長、副女官長などがいた。
とはいえ、後宮の主たる目的は王の世継ぎを育む場所であることに変わりはない。が、残念なことに、まだ即位してまもない十八歳の国王の身辺に女っ気はなく、後宮に目下のところ、正妃はおろか側妃さえいない。重臣たちは王に妃の一人もおらず、世継ぎがいないことをまず解決すべき国の懸念事項だと認識していた。
賢はそんな中、初めて当代の王の後宮に入った女人だった。国王の結婚である国婚は半月後の吉日と定められている。婚礼を前に後宮入りするのもどうかいう意見が大臣から出たものの、元々、王女(王子)であり、王宮で暮らしていた前歴があるのだから、この際、婚前だとしても後宮で暮らして問題はないとされたらしい。
愕いたことに、賢にかけられていた前国王毒殺の嫌疑は証拠不十分で無罪ということになっていた。国王自らの裁断であり、これには反元派の大臣たちからの猛反対があったが、若い王は終始強硬な態度で意思を貫いたとのことだった。
後宮入りして三日めの夜、賢は自室で刺繍をしていた。崔尚宮に勧められ、今、彼女に習いながら初歩から練習しているところだ。
王子としての教育しか受けてこなかったため、これからは高貴な女性にふさわしい教養、諸芸万端を身に付けるべく、様々な稽古事の時間割がきっちりと割り振られていた。
「痛っ」
指を針で突くのもこれで何度目だろうか。簡単な刺繍なのに、まだ全然進んでいない。ふいに涙が込み上げてきて、賢は手のひらで涙をぬぐった。
こんなことをして、何になるというのだろうか。少しも愉しくない。難しい漢籍の本でも読んでいた方がよほど面白い。
「―」
あまりに陰惨な笑みに、背筋をヒヤリとしたものが走った。この調子では、言葉どおり、本当に後宮に閉じ込められて徹底的に辱められかねないと思わせるほどだ。
改めて王に恐怖を感じた瞬間だった。王は言うだけ言うと踵を返し、馬の方へと歩き出す。
「ああ、先ほどの続きだが」
ふいに立ち止まり、首だけねじ曲げた。
「存じておるかどうか知らぬが、そなたは元国皇帝の養女ということにした。既に、皇帝から承認も得ている。今、そなたが自害など致せば、元皇帝は烈火のごとく怒り、大軍を率いて攻めてこよう。それでなくとも、お優しい祖父どのは孫姫を殊の外案じている。老いた皇帝を嘆かせ、高麗を破滅に導くような真似だけはしてくれるな」
皮肉げな物言いも以前の乾とは別人のようなものだ。賢は愕然と王の背中を見送った。何ということだろう。確かに王の言葉は正しい。王が賢を元国皇帝の養女という名分で王妃に迎えるという話は既にジュチから聞かされた。
だが、流石に自害した後のことまでは考えていなかった。
―僕はジュチの後を追うことさえ許されないのか。
がっくりとうなだれ、その場にくずおれた。
ジュチの亡骸にもう一度近寄ろうとした時、二人の護衛官が両脇に立った。
「王女さま、王命にございますれば、どうか我らと共にお越し下さいますよう」
この護衛官たちはジュチを斬った者ではない。視線で探すと、あの若い護衛官はジュチの亡骸の傍らにいた。賢の視線に気付くと、深々と頭を下げた。ジュチの亡骸は責任を持って手厚く葬ってくれると言った。あの様子なら、信じられるかもしれない。
それでもなお、賢はその場を動けなかった。
―ジュチ。
動こうとしない賢を護衛官は引き立てるようにして連れてゆく。
―ジュチっ。
連行されながら、賢は何度も背後を振り返った。涙が次々に溢れ出て止まらなかった。
対決
王宮に連れ戻された賢は、後宮の一室に住まいを与えられた。新たにお付きとなったのは崔(チェ)尚宮とい、小柄な三十半ばほどの女性だった。王太子として東宮殿で起居していた賢は後宮については殆ど知識がない。
後宮といえば、もちろん、王のために美しい女たちが集められた場所という認識が強いが、その一方で様々な部署があり、その部署ごとに仕事が定められ女官たちはその職務に従事している。その部署ごとに責任者の尚宮がいて、更に後宮全体を統括する後宮女官長、つまり尚宮長、副女官長などがいた。
とはいえ、後宮の主たる目的は王の世継ぎを育む場所であることに変わりはない。が、残念なことに、まだ即位してまもない十八歳の国王の身辺に女っ気はなく、後宮に目下のところ、正妃はおろか側妃さえいない。重臣たちは王に妃の一人もおらず、世継ぎがいないことをまず解決すべき国の懸念事項だと認識していた。
賢はそんな中、初めて当代の王の後宮に入った女人だった。国王の結婚である国婚は半月後の吉日と定められている。婚礼を前に後宮入りするのもどうかいう意見が大臣から出たものの、元々、王女(王子)であり、王宮で暮らしていた前歴があるのだから、この際、婚前だとしても後宮で暮らして問題はないとされたらしい。
愕いたことに、賢にかけられていた前国王毒殺の嫌疑は証拠不十分で無罪ということになっていた。国王自らの裁断であり、これには反元派の大臣たちからの猛反対があったが、若い王は終始強硬な態度で意思を貫いたとのことだった。
後宮入りして三日めの夜、賢は自室で刺繍をしていた。崔尚宮に勧められ、今、彼女に習いながら初歩から練習しているところだ。
王子としての教育しか受けてこなかったため、これからは高貴な女性にふさわしい教養、諸芸万端を身に付けるべく、様々な稽古事の時間割がきっちりと割り振られていた。
「痛っ」
指を針で突くのもこれで何度目だろうか。簡単な刺繍なのに、まだ全然進んでいない。ふいに涙が込み上げてきて、賢は手のひらで涙をぬぐった。
こんなことをして、何になるというのだろうか。少しも愉しくない。難しい漢籍の本でも読んでいた方がよほど面白い。
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