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秘花㊳
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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「私は―」
烈しい狼狽がジュチの顔を走った。
「申し訳ありません! こんな、こんなつもりでは」
ジュチがその場にくずおれた。
「賢華さまがあまりに可愛らしくて、気が付いたら夢中になって口づけていたのです」
賢の眼に滲んだ涙を目ざとく見つけ、彼は更に狼狽した。
「こんなことをして賢華さまを泣かせてしまうとは、本当に私は何ということをしてしまったのか」
そのひと言で、賢は自分が泣いていたのを初めて知った。こういう時、何と言えば良いのか判らない。だが、今は正直に自分の気持ちを伝えるしかないと思った。
「ジュチ、気にしないで。僕も悪かった。ジュチが何をするつもりか判らなくて、良いと言ったんだ。あまりに突然だから、愕いただけだよ」
「私が口付けて、いやではありませんでしたか?」
まるで叱られるのを待つ子どものような表情だ。賢は少し考え、首を振った。
「いやでは―なかったと思う。いつもとジュチの様子が違うから、少し怖かったけど」
ジュチの顔にわずかに生気が戻った。
「おいやではなかったのですね」
賢はもう一度コクリと頷いた。
何を思ったか、ジュチは持参した大きな布袋を引き寄せた。いつも出かけるときに携帯しているものだ。昨日はこの袋から林檎が出てきた。
「もし、おいやではないのなら、これを受け取っては頂けませんか」
賢の前に差し出されたのは、簪(ピニヨ)だった。初夏の空の色をそのまま閉じ込めたように小さな石が付いている。その傍らには太陽を取り囲む星たちのように小さくて透明な石が散りばめられていた。
「これは」
物問いだけに見つめると、ジュチが紅くなった。
「昨日、町の小間物屋で見かけたのです。何でも、都から仕入れた田舎町には滅多と入らない珍しい石だと聞いたもので、つい買ってしまいました」
「何という石なんだろう?」
「金緑石(アレキサンドライト)というそうですよ。その回りの石は金剛石(ダイヤモンド)だそうです」
「金緑石―」
賢はジュチの言葉をなぞり、彼から簪を受け取った。初夏の明るい陽差しが金緑石に当たり、眩い燦めきを放つ。
ジュチが石の部分に手のひらをかざし、陽光を遮った。すると、金緑石の蒼が今度は美しい紫に変化(へんげ)した。そのあまりの鮮やかな変貌に、賢は言葉もない。
「不思議な石だね」
「金緑石の特徴は明るい場所では蒼、暗い場所では赤紫に染まるところだといわれています。つまり、昼と夜ではまったく色が違う、同じ石でありながら二つの顔を持つ不思議な石だと店主が話していました。だから、貴重なものなのでしょう」
「二つの顔を持つ石―。綺麗だ」
賢は我を忘れて、蒼く煌めく石に見入った。
「でも、こんなに素敵なものを貰って良いのかい? 高かったはずだよ」
ジュチはまた頬を赤らめて言った。
「この蒼く輝く石を見た瞬間、賢華さまの顔が鮮やかに浮かびました。この簪の持ち主は私には、あなたさましか考えられません。賢華さまがおいやでなければ、あなたが持っていて下さい」
それから、と、ジュチがいきなり端座した。
「なに、いきなりどうしたの、ジュチ」
眼を丸くしている賢に向かい、ジュチは両膝を揃えて座り頭を下げた。
「先日、賢華さまのお気持ちを聞いたばかりですが、最後にもう一度だけ言わせて下さい。もし、これで駄目なら、私は二度と同じ科白は口にはしませんゆえ」
ジュチがガバと顔を上げ、賢を見つめた。
「賢華さま、私の妻になって下さい。私はこれからの人生をあなたと二人で、ここで生きてゆきたい。あなたと語らい、時には普通の夫婦のように喧嘩もしたり、そんな穏やかな日々を望んでいます。あなたにこの想いを受け取って頂きたいのです」
簪が求婚の証なのだとこの時、賢にも判った。これを受け取れば、ジュチの妻になることを承諾したことになる。賢は小さく息を吸い込んだ。
ジュチが別の男のように変わったときは、正直怖かった。どうしても乾に迫られたときのことを思い出してしまうからだ。
だが、よくよく考えてみると、乾に言い寄られたときとジュチに口づけられたときの気持ちはまったく違っていた。乾にはただ恐怖と嫌悪しか感じなかったはずなのに、ジュチのときに感じたのは戸惑いと―自分でも形容しがたい感覚だった。
烈しい狼狽がジュチの顔を走った。
「申し訳ありません! こんな、こんなつもりでは」
ジュチがその場にくずおれた。
「賢華さまがあまりに可愛らしくて、気が付いたら夢中になって口づけていたのです」
賢の眼に滲んだ涙を目ざとく見つけ、彼は更に狼狽した。
「こんなことをして賢華さまを泣かせてしまうとは、本当に私は何ということをしてしまったのか」
そのひと言で、賢は自分が泣いていたのを初めて知った。こういう時、何と言えば良いのか判らない。だが、今は正直に自分の気持ちを伝えるしかないと思った。
「ジュチ、気にしないで。僕も悪かった。ジュチが何をするつもりか判らなくて、良いと言ったんだ。あまりに突然だから、愕いただけだよ」
「私が口付けて、いやではありませんでしたか?」
まるで叱られるのを待つ子どものような表情だ。賢は少し考え、首を振った。
「いやでは―なかったと思う。いつもとジュチの様子が違うから、少し怖かったけど」
ジュチの顔にわずかに生気が戻った。
「おいやではなかったのですね」
賢はもう一度コクリと頷いた。
何を思ったか、ジュチは持参した大きな布袋を引き寄せた。いつも出かけるときに携帯しているものだ。昨日はこの袋から林檎が出てきた。
「もし、おいやではないのなら、これを受け取っては頂けませんか」
賢の前に差し出されたのは、簪(ピニヨ)だった。初夏の空の色をそのまま閉じ込めたように小さな石が付いている。その傍らには太陽を取り囲む星たちのように小さくて透明な石が散りばめられていた。
「これは」
物問いだけに見つめると、ジュチが紅くなった。
「昨日、町の小間物屋で見かけたのです。何でも、都から仕入れた田舎町には滅多と入らない珍しい石だと聞いたもので、つい買ってしまいました」
「何という石なんだろう?」
「金緑石(アレキサンドライト)というそうですよ。その回りの石は金剛石(ダイヤモンド)だそうです」
「金緑石―」
賢はジュチの言葉をなぞり、彼から簪を受け取った。初夏の明るい陽差しが金緑石に当たり、眩い燦めきを放つ。
ジュチが石の部分に手のひらをかざし、陽光を遮った。すると、金緑石の蒼が今度は美しい紫に変化(へんげ)した。そのあまりの鮮やかな変貌に、賢は言葉もない。
「不思議な石だね」
「金緑石の特徴は明るい場所では蒼、暗い場所では赤紫に染まるところだといわれています。つまり、昼と夜ではまったく色が違う、同じ石でありながら二つの顔を持つ不思議な石だと店主が話していました。だから、貴重なものなのでしょう」
「二つの顔を持つ石―。綺麗だ」
賢は我を忘れて、蒼く煌めく石に見入った。
「でも、こんなに素敵なものを貰って良いのかい? 高かったはずだよ」
ジュチはまた頬を赤らめて言った。
「この蒼く輝く石を見た瞬間、賢華さまの顔が鮮やかに浮かびました。この簪の持ち主は私には、あなたさましか考えられません。賢華さまがおいやでなければ、あなたが持っていて下さい」
それから、と、ジュチがいきなり端座した。
「なに、いきなりどうしたの、ジュチ」
眼を丸くしている賢に向かい、ジュチは両膝を揃えて座り頭を下げた。
「先日、賢華さまのお気持ちを聞いたばかりですが、最後にもう一度だけ言わせて下さい。もし、これで駄目なら、私は二度と同じ科白は口にはしませんゆえ」
ジュチがガバと顔を上げ、賢を見つめた。
「賢華さま、私の妻になって下さい。私はこれからの人生をあなたと二人で、ここで生きてゆきたい。あなたと語らい、時には普通の夫婦のように喧嘩もしたり、そんな穏やかな日々を望んでいます。あなたにこの想いを受け取って頂きたいのです」
簪が求婚の証なのだとこの時、賢にも判った。これを受け取れば、ジュチの妻になることを承諾したことになる。賢は小さく息を吸い込んだ。
ジュチが別の男のように変わったときは、正直怖かった。どうしても乾に迫られたときのことを思い出してしまうからだ。
だが、よくよく考えてみると、乾に言い寄られたときとジュチに口づけられたときの気持ちはまったく違っていた。乾にはただ恐怖と嫌悪しか感じなかったはずなのに、ジュチのときに感じたのは戸惑いと―自分でも形容しがたい感覚だった。
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