27 / 108
秘花㉗
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
しおりを挟む
ジュチが断ると、沈行首は下心はひた隠し、笑顔で頷いた。
「それでは道中、どうかご無事で」
「色々とお骨折り、ありがとうございました。このご恩は忘れません」
ジュチと賢は二人揃って遠ざかってゆく隊商に頭を下げた。
「さあ、我々も行きましょうか」
ジュチは予め沈行首から馬一頭を譲り受けていた。その馬にひらりと跨ると、その前に手を貸して賢を乗せる。
賢はもう、行く先は訊かなかった。ジュチと二人ならば、彼が居てくれるなら、どこに行こうと構いはしない。
ゆっくりと馬を走らせつつ、ジュチが言うともなしに言った。
「先ほどは失礼しました。後で賢華さまに殴られるのではないかと思いましたが、あのときは、ああするしかありませんでした」
馬車内で交わした口づけのことを言っているのだと判り、賢は耳まで紅く染めた。いきなり唇を塞がれたときは愕いたけれど、すぐに何のために―役人の眼を欺くためにジュチが機転を利かせたのだと理解したのだ。
「確かに最初は愕いたけど、あのときはジュチの言うとおりだ。ああするしかなかったのかし僕も理解できるよ」
「そう仰って下さると、私も罪の意識が軽くなります」
ジュチは悪戯っぽく言って笑った。
「ですが、やはり私には役得でしたね。あんなことでもなければ、あなたに口づけることなど一生涯ないでしょうから」
囁くように彼が言い、賢は小首を傾げてジュチを見上げた。
「何か言った?」
「いえ、何も。さあ、ぼやぼやしていると、陽が暮れてしまいます。急ぎましょう」
ジュチが指した辺りには、はるか彼方になだらかな山の稜線が見えている。その山の端を橙色に染めて、今、巨大な太陽が熟れた果実のように沈んでゆこうとしていた。
春と呼ぶにはもういささか遅すぎる季節だが、まだ夕風はわずかに冷たい。
「寒くありませんか?」
「大丈夫だよ」
言いかけた矢先、クシュンと小さなくしゃみが出てしまい、賢はうす紅くなった。
「これでは、子どもみたいだな」
ジュチはクスリと笑みを零し、携帯している大きな袋から少し厚めの肩掛けを取り出し、賢に羽織らせた。
空は刻一刻とその色を変えている。辺りは直に茜色から菫色へとその色をうつろわせた。
「綺麗な夕焼けだね」
呟くと、ジュチも頷いた。
「綺麗ですね」
相槌を打った後、ジュチが問うた。
「後悔はしていませんか?」
「後悔? どうして僕が後悔するんだ?」
短い沈黙の後、ジュチが溜息混じりに言った。
「王は本気で賢華さまを王妃に冊立するつもりでした。王宮にいれば、これまで同様、何不自由ない暮らしが約束されたはずです。けれど、私にはあなたに何をして差し上げることもできません。綺麗な服も髪飾りも何も買って差し上げることはできない」
「ジュチ、僕はジュチがいつも側にいてくれさえすれば、他に何も望むことはないんだ」
賢の言葉に、ジュチが嬉しげに笑った。
「そのお言葉だけで、私にはもう思い残すことはありません」
「思い残すだなんて、不吉なことは言わないで。これからもずっと僕とジュチは一緒だ」
賢が言い、それから更に続けた。
「それにね、僕が今、こんな格好をしているから、ジュチは忘れてるかもしれないけど、僕は男だから、綺麗な服も髪飾りも何も要らない」
ジュチが泣き笑いの表情で頷いた。
「そうですね。そういえば、そうでした」
ジュチが馬の腹を蹴る。栗毛の馬はひと声啼くと、二人を乗せて次第に宵闇の中に沈みゆく山の彼方めがけて勢いよく疾駆していった。
優しい日々
ジュチが賢と共にひそかに隠れ棲む場所に選んだのは、山あいの小さな村外れであった。隣の家まで徒歩(かち)で四半刻はかかるほど、周囲に人家はない。都からの追っ手の眼を逃れたい二人にとっては好都合といえた。
最初、賢はジュチの妹という触れ込みで暮らし始めた。しかし、村人の誰もがまるで似ていない二人を兄妹だと信じようとはせず、
―隠すことはないだろ。お前らがどこぞのお嬢さまと下男くらいなのは俺にも判るさ。都からこんな辺鄙な村まで流れ着いたからにゃア、どんな事情かは大方察しはつくさ。
「それでは道中、どうかご無事で」
「色々とお骨折り、ありがとうございました。このご恩は忘れません」
ジュチと賢は二人揃って遠ざかってゆく隊商に頭を下げた。
「さあ、我々も行きましょうか」
ジュチは予め沈行首から馬一頭を譲り受けていた。その馬にひらりと跨ると、その前に手を貸して賢を乗せる。
賢はもう、行く先は訊かなかった。ジュチと二人ならば、彼が居てくれるなら、どこに行こうと構いはしない。
ゆっくりと馬を走らせつつ、ジュチが言うともなしに言った。
「先ほどは失礼しました。後で賢華さまに殴られるのではないかと思いましたが、あのときは、ああするしかありませんでした」
馬車内で交わした口づけのことを言っているのだと判り、賢は耳まで紅く染めた。いきなり唇を塞がれたときは愕いたけれど、すぐに何のために―役人の眼を欺くためにジュチが機転を利かせたのだと理解したのだ。
「確かに最初は愕いたけど、あのときはジュチの言うとおりだ。ああするしかなかったのかし僕も理解できるよ」
「そう仰って下さると、私も罪の意識が軽くなります」
ジュチは悪戯っぽく言って笑った。
「ですが、やはり私には役得でしたね。あんなことでもなければ、あなたに口づけることなど一生涯ないでしょうから」
囁くように彼が言い、賢は小首を傾げてジュチを見上げた。
「何か言った?」
「いえ、何も。さあ、ぼやぼやしていると、陽が暮れてしまいます。急ぎましょう」
ジュチが指した辺りには、はるか彼方になだらかな山の稜線が見えている。その山の端を橙色に染めて、今、巨大な太陽が熟れた果実のように沈んでゆこうとしていた。
春と呼ぶにはもういささか遅すぎる季節だが、まだ夕風はわずかに冷たい。
「寒くありませんか?」
「大丈夫だよ」
言いかけた矢先、クシュンと小さなくしゃみが出てしまい、賢はうす紅くなった。
「これでは、子どもみたいだな」
ジュチはクスリと笑みを零し、携帯している大きな袋から少し厚めの肩掛けを取り出し、賢に羽織らせた。
空は刻一刻とその色を変えている。辺りは直に茜色から菫色へとその色をうつろわせた。
「綺麗な夕焼けだね」
呟くと、ジュチも頷いた。
「綺麗ですね」
相槌を打った後、ジュチが問うた。
「後悔はしていませんか?」
「後悔? どうして僕が後悔するんだ?」
短い沈黙の後、ジュチが溜息混じりに言った。
「王は本気で賢華さまを王妃に冊立するつもりでした。王宮にいれば、これまで同様、何不自由ない暮らしが約束されたはずです。けれど、私にはあなたに何をして差し上げることもできません。綺麗な服も髪飾りも何も買って差し上げることはできない」
「ジュチ、僕はジュチがいつも側にいてくれさえすれば、他に何も望むことはないんだ」
賢の言葉に、ジュチが嬉しげに笑った。
「そのお言葉だけで、私にはもう思い残すことはありません」
「思い残すだなんて、不吉なことは言わないで。これからもずっと僕とジュチは一緒だ」
賢が言い、それから更に続けた。
「それにね、僕が今、こんな格好をしているから、ジュチは忘れてるかもしれないけど、僕は男だから、綺麗な服も髪飾りも何も要らない」
ジュチが泣き笑いの表情で頷いた。
「そうですね。そういえば、そうでした」
ジュチが馬の腹を蹴る。栗毛の馬はひと声啼くと、二人を乗せて次第に宵闇の中に沈みゆく山の彼方めがけて勢いよく疾駆していった。
優しい日々
ジュチが賢と共にひそかに隠れ棲む場所に選んだのは、山あいの小さな村外れであった。隣の家まで徒歩(かち)で四半刻はかかるほど、周囲に人家はない。都からの追っ手の眼を逃れたい二人にとっては好都合といえた。
最初、賢はジュチの妹という触れ込みで暮らし始めた。しかし、村人の誰もがまるで似ていない二人を兄妹だと信じようとはせず、
―隠すことはないだろ。お前らがどこぞのお嬢さまと下男くらいなのは俺にも判るさ。都からこんな辺鄙な村まで流れ着いたからにゃア、どんな事情かは大方察しはつくさ。
0
お気に入りに追加
125
あなたにおすすめの小説




それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。
【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので)
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
生まれ変わりは嫌われ者
青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。
「ケイラ…っ!!」
王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。
「グレン……。愛してる。」
「あぁ。俺も愛してるケイラ。」
壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。
━━━━━━━━━━━━━━━
あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。
なのにー、
運命というのは時に残酷なものだ。
俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。
一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。
★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる