秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ

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秘花㉗

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

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 ジュチが断ると、沈行首は下心はひた隠し、笑顔で頷いた。
「それでは道中、どうかご無事で」
「色々とお骨折り、ありがとうございました。このご恩は忘れません」
 ジュチと賢は二人揃って遠ざかってゆく隊商に頭を下げた。
「さあ、我々も行きましょうか」
 ジュチは予め沈行首から馬一頭を譲り受けていた。その馬にひらりと跨ると、その前に手を貸して賢を乗せる。
 賢はもう、行く先は訊かなかった。ジュチと二人ならば、彼が居てくれるなら、どこに行こうと構いはしない。
 ゆっくりと馬を走らせつつ、ジュチが言うともなしに言った。
「先ほどは失礼しました。後で賢華さまに殴られるのではないかと思いましたが、あのときは、ああするしかありませんでした」
 馬車内で交わした口づけのことを言っているのだと判り、賢は耳まで紅く染めた。いきなり唇を塞がれたときは愕いたけれど、すぐに何のために―役人の眼を欺くためにジュチが機転を利かせたのだと理解したのだ。
「確かに最初は愕いたけど、あのときはジュチの言うとおりだ。ああするしかなかったのかし僕も理解できるよ」
「そう仰って下さると、私も罪の意識が軽くなります」
 ジュチは悪戯っぽく言って笑った。
「ですが、やはり私には役得でしたね。あんなことでもなければ、あなたに口づけることなど一生涯ないでしょうから」
 囁くように彼が言い、賢は小首を傾げてジュチを見上げた。
「何か言った?」
「いえ、何も。さあ、ぼやぼやしていると、陽が暮れてしまいます。急ぎましょう」
 ジュチが指した辺りには、はるか彼方になだらかな山の稜線が見えている。その山の端を橙色に染めて、今、巨大な太陽が熟れた果実のように沈んでゆこうとしていた。
 春と呼ぶにはもういささか遅すぎる季節だが、まだ夕風はわずかに冷たい。
「寒くありませんか?」
「大丈夫だよ」
 言いかけた矢先、クシュンと小さなくしゃみが出てしまい、賢はうす紅くなった。
「これでは、子どもみたいだな」
 ジュチはクスリと笑みを零し、携帯している大きな袋から少し厚めの肩掛けを取り出し、賢に羽織らせた。  
 空は刻一刻とその色を変えている。辺りは直に茜色から菫色へとその色をうつろわせた。
「綺麗な夕焼けだね」
 呟くと、ジュチも頷いた。
「綺麗ですね」
 相槌を打った後、ジュチが問うた。
「後悔はしていませんか?」
「後悔? どうして僕が後悔するんだ?」
 短い沈黙の後、ジュチが溜息混じりに言った。
「王は本気で賢華さまを王妃に冊立するつもりでした。王宮にいれば、これまで同様、何不自由ない暮らしが約束されたはずです。けれど、私にはあなたに何をして差し上げることもできません。綺麗な服も髪飾りも何も買って差し上げることはできない」
「ジュチ、僕はジュチがいつも側にいてくれさえすれば、他に何も望むことはないんだ」
 賢の言葉に、ジュチが嬉しげに笑った。
「そのお言葉だけで、私にはもう思い残すことはありません」
「思い残すだなんて、不吉なことは言わないで。これからもずっと僕とジュチは一緒だ」
 賢が言い、それから更に続けた。
「それにね、僕が今、こんな格好をしているから、ジュチは忘れてるかもしれないけど、僕は男だから、綺麗な服も髪飾りも何も要らない」
 ジュチが泣き笑いの表情で頷いた。
「そうですね。そういえば、そうでした」
 ジュチが馬の腹を蹴る。栗毛の馬はひと声啼くと、二人を乗せて次第に宵闇の中に沈みゆく山の彼方めがけて勢いよく疾駆していった。

 優しい日々

 ジュチが賢と共にひそかに隠れ棲む場所に選んだのは、山あいの小さな村外れであった。隣の家まで徒歩(かち)で四半刻はかかるほど、周囲に人家はない。都からの追っ手の眼を逃れたい二人にとっては好都合といえた。
 最初、賢はジュチの妹という触れ込みで暮らし始めた。しかし、村人の誰もがまるで似ていない二人を兄妹だと信じようとはせず、
―隠すことはないだろ。お前らがどこぞのお嬢さまと下男くらいなのは俺にも判るさ。都からこんな辺鄙な村まで流れ着いたからにゃア、どんな事情かは大方察しはつくさ。
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