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秘花㉖
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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ガタゴトと規則正しく揺れる馬車の中で、賢は身体中に緊張を漲らせていた。このまま上手くゆけば、都の外に出ることができる。都に出るための最後の門をこれから通過すると思えば、我知らず身体が震えた。
端座した膝の上にきっちりと組んだ両手の平が戦慄く。ふいにその震える手を大きくて温かな手が包み込んだ。
「大丈夫。きっと上手く行きます。だから、そんな心配そうな顔をしないで」
ジュチの手に包み込まれていると、不思議と身体の震えはおさまった。二人は眼線を合わせ、頷き合った。
いよいよ門に差し掛かったらしい。俄に車外の喧噪がかしましくなった。門の前には自分たちだけではなく、通行許可を待つ者たちが並んで順番を待っている。役人のものらしい野太い声が声高に聞こえてくる。
「止まれ!」
隊列が止まった。緊張のあまり、また手が震え出す。賢の手を包み込むジュチの手にほんのかすかに力がこもった。
門を守る役人と隊商の者がやり取りしている様子が伝わってくる。
「フム、元に渡る隊商か。して、その荷は何だ?」
今度は誰何(すいか)の声がはっきりと聞き取れた。それに対し、副行首の声が聞こえる。
「元では珍しい高麗の香木、更には絹布、上質の紙などにございます」
「荷を検める」
声がして、また、しばらくやりとりが続く。役人が積み込んでいる荷を検分しているのであろうことは察しがついた。
「よし、荷物に異常はなし。通って良い」
役人の許可が出たところで、隊列が再び、ゆっくりと動き出す。が、すぐにまた声がかかった。
「待て、ところで、その馬車に乗っているのは?」
副行首が口ごもったところ、沈行首が引き取った。流石に動ずることなく、慇懃に言う。
「は、妻と娘にございますが」
「ウム、一応、中を検めさせてくれ。今は前王太子が王宮から脱走したとかで、都を出る者たちの検分も厳しくなっておるでな」
「承知致しました」
ここで検分を拒めば、訝しがられ更に厳しい詮議をされる危険がある。最早これまでと悟った行首は殊勝に頷き、脇に避けた。
三台の馬車の中、最初は本当に沈行首の夫人が乗っている。二番目にも一人娘が乗っていた。問題は三番目だった。
前の二台は無事に終わり、いよいよ三番目の馬車になった。役人が馬車の横についた引き戸を開けた。
「―うん?」
更に覗き込んだ役人は眼を疑った。妙齢の娘と若い男が抱き合って熱烈な口づけを交わしている真っ最中であったからだ。どう見ても、男の粗末ななりは下僕にしか見えず、対する若い女は身なりも良く、言葉どおり沈行首の娘の一人に違いない。
役人はわざとらしい咳払いをし、舌打ちをしてから引き戸をピシャリと閉めた。
「沈行首、どうやら、お宅の娘さんは随分と大胆なようですな」
その指摘に、沈行首がハッとした表情になった。
「また娘が男を引き込んでおりましたか!」
慌てて馬車に近づき、怒鳴り散らした。
「このふしだらな親不孝者の娘が! また人前で父親に恥をかかせおって」
このままでは気が済まぬから、二人ともに鞭で打ち据えてやると息巻く沈行首に、役人は渋面で告げた。
「お取り込み中、申し訳ないが、内輪もめなら都を出てから、やってくれ。儂らはまだ大勢の者たちを検分せねばならんでの」
沈行首は深々と頭を下げた。
「これは大変申し訳ない。ご迷惑をおかけしました。どうも普段から男好きの娘でして、親としても悩みの種で」
三十ほどの役人が沈行首に囁いた。
「そんなに男好きの娘御なら、元から帰国した暁には是非、一度逢うてみたいものだ」
「ハッ、その節はどうぞよしなに」
如才なく応え、沈行首が副行首に頷いて見せた。副行首が声を張り上げる。
「出立~」
隊列がゆっくりと動きだし、一行は今度こそ無事に都を出ることができたのである。
ジュチが言ったとおり、この門を通過さえすれば、既に都の外であった。沈行首一行とはここから少し先で別れた。
「良かったら、このまま元国までご一緒しませんか?」
沈行首の誘いをジュチはありがたく辞退した。計算高い生粋の商人の目論見は明らかだ。元国の皇帝が可愛がっている高麗の孫王子を無事に皇帝の許に送り届ければ、皇帝からどれだけの褒賞を貰えるか知れたものではない。
端座した膝の上にきっちりと組んだ両手の平が戦慄く。ふいにその震える手を大きくて温かな手が包み込んだ。
「大丈夫。きっと上手く行きます。だから、そんな心配そうな顔をしないで」
ジュチの手に包み込まれていると、不思議と身体の震えはおさまった。二人は眼線を合わせ、頷き合った。
いよいよ門に差し掛かったらしい。俄に車外の喧噪がかしましくなった。門の前には自分たちだけではなく、通行許可を待つ者たちが並んで順番を待っている。役人のものらしい野太い声が声高に聞こえてくる。
「止まれ!」
隊列が止まった。緊張のあまり、また手が震え出す。賢の手を包み込むジュチの手にほんのかすかに力がこもった。
門を守る役人と隊商の者がやり取りしている様子が伝わってくる。
「フム、元に渡る隊商か。して、その荷は何だ?」
今度は誰何(すいか)の声がはっきりと聞き取れた。それに対し、副行首の声が聞こえる。
「元では珍しい高麗の香木、更には絹布、上質の紙などにございます」
「荷を検める」
声がして、また、しばらくやりとりが続く。役人が積み込んでいる荷を検分しているのであろうことは察しがついた。
「よし、荷物に異常はなし。通って良い」
役人の許可が出たところで、隊列が再び、ゆっくりと動き出す。が、すぐにまた声がかかった。
「待て、ところで、その馬車に乗っているのは?」
副行首が口ごもったところ、沈行首が引き取った。流石に動ずることなく、慇懃に言う。
「は、妻と娘にございますが」
「ウム、一応、中を検めさせてくれ。今は前王太子が王宮から脱走したとかで、都を出る者たちの検分も厳しくなっておるでな」
「承知致しました」
ここで検分を拒めば、訝しがられ更に厳しい詮議をされる危険がある。最早これまでと悟った行首は殊勝に頷き、脇に避けた。
三台の馬車の中、最初は本当に沈行首の夫人が乗っている。二番目にも一人娘が乗っていた。問題は三番目だった。
前の二台は無事に終わり、いよいよ三番目の馬車になった。役人が馬車の横についた引き戸を開けた。
「―うん?」
更に覗き込んだ役人は眼を疑った。妙齢の娘と若い男が抱き合って熱烈な口づけを交わしている真っ最中であったからだ。どう見ても、男の粗末ななりは下僕にしか見えず、対する若い女は身なりも良く、言葉どおり沈行首の娘の一人に違いない。
役人はわざとらしい咳払いをし、舌打ちをしてから引き戸をピシャリと閉めた。
「沈行首、どうやら、お宅の娘さんは随分と大胆なようですな」
その指摘に、沈行首がハッとした表情になった。
「また娘が男を引き込んでおりましたか!」
慌てて馬車に近づき、怒鳴り散らした。
「このふしだらな親不孝者の娘が! また人前で父親に恥をかかせおって」
このままでは気が済まぬから、二人ともに鞭で打ち据えてやると息巻く沈行首に、役人は渋面で告げた。
「お取り込み中、申し訳ないが、内輪もめなら都を出てから、やってくれ。儂らはまだ大勢の者たちを検分せねばならんでの」
沈行首は深々と頭を下げた。
「これは大変申し訳ない。ご迷惑をおかけしました。どうも普段から男好きの娘でして、親としても悩みの種で」
三十ほどの役人が沈行首に囁いた。
「そんなに男好きの娘御なら、元から帰国した暁には是非、一度逢うてみたいものだ」
「ハッ、その節はどうぞよしなに」
如才なく応え、沈行首が副行首に頷いて見せた。副行首が声を張り上げる。
「出立~」
隊列がゆっくりと動きだし、一行は今度こそ無事に都を出ることができたのである。
ジュチが言ったとおり、この門を通過さえすれば、既に都の外であった。沈行首一行とはここから少し先で別れた。
「良かったら、このまま元国までご一緒しませんか?」
沈行首の誘いをジュチはありがたく辞退した。計算高い生粋の商人の目論見は明らかだ。元国の皇帝が可愛がっている高麗の孫王子を無事に皇帝の許に送り届ければ、皇帝からどれだけの褒賞を貰えるか知れたものではない。
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