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秘花㉓
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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「大丈夫ですよ、尚宮さまもきっとお逃げになって、元国へと向かわれていることでしょう」
確かに、尚宮と最後に交わした話では、彼女自身がそう語っていた。
―元々、私は姫さまに従って慣れぬ異国に参った身。姫さまはとうに儚くなられ、その忘れ形見の世子さまも王宮から出てゆかれるとあれば、この身が高麗にとどまっている理由はございませぬ。
だから、王太子をひそかに逃がした後は懐かしい祖国元に帰るつもりだと話していた。都内に頼れる遠縁があるため、その豪商が近く元に出す商船に便乗して帰国すると―。
「うん、そうだね」
賢は無理に自分に納得させ、頷いた。
よもや、その頃、既に祖母とも慕う尚宮がこの世の人ではないと知る由もなかった。
最後に抱擁を交わした老いた尚宮は、涙ながらに賢を見送ってくれた。あの泣き顔を思い出していると、ジュチがまた心配そうに言った。
「先ほどから何も召し上がっていませんが、お腹は空きませんか?」
今のジュチと賢は傍から見れば、豪商か貴族の令嬢とその下僕といったところだろう。
「僕はあまり欲しくないんだ。色々と考えると、やっぱりね。ジュチはお腹が空いただろうし、遠慮無く食べて」
「駄目ですよ。腹が減っては戦ができぬというでしょう」
ジュチは少し怖い顔で、賢の手前の雑炊を引き寄せた。木匙でひと口掬い、賢の前に匙を差し出す。
「さあ、食べて下さい。ひと口でも良いですから」
「ジュチ、もう小さな子どもじゃないんだし、恥ずかしいから良いよ」
真っ赤になって手を振る賢に、ジュチはなかなか引き下がらない。
「いけません、食べるまで、この匙は引っこめませんからね」
「うー。ジュチの意地悪」
涙眼で口を開くと、ジュチが素早く木匙を押し込んでくる。卵のふんわりとした香りと味が口一杯にひろがった。
「―美味しい」
ジュチが我が意を得たりとばかりに頷いた。
「でしょう? では、残りは自分で食べて下さい」
器を寄越され、賢は笑って頷いた。
と、陽気な声が飛んできた。
「まあ、若い人たちは良いねぇ。あんたら、見たところ、お嬢さま(アガツシ)と下男だろ? あたしから見たら、お似合いだけど、お嬢さまの親御さんは、そうすんなりと認めちゃくれないだろうね。それで、駆け落ちでもするつもりなのかえ?」
見世の女将が立っていた。注文した青菜のおひたしを運んできたらしい。
「女将、失礼なことを言わないでくれ」
ジュチがやや気色ばんで言うのに、四十ほどの太り肉(じし)の女将は朗らかな笑い声を上げた。
「眼は口ほどに物を言うってね。あんたのお嬢さんを見つめる熱っぽい眼はどう見たって惚れた女を見る男のものさ。それに、お嬢さんの方もあんたのこと、満更じゃないみたいだし」
「もう良いから、あっちへ行ってくれ」
ジュチが柄にもなく紅くなりながら言い、女将は笑った。
「はいはい、邪魔者は言われなくても退散しますよ」
「やれやれ、冷や汗が流れますよ」
ジュチは肩を竦め、袖から手巾を取り出し、本当に汗を拭いている。
一方、賢は考えていた。
女将の指摘したように、自分たちは本当に人の眼には想い合っている恋人同士のように映るのだろうか?
「賢華さま?」
黙り込んでしまった賢をジュチが不安そうに見つめている。
「申し訳ありません。不愉快な想いをされたでしょう」
「いや、大丈夫。僕なら平気だから」
賢は我に返り、微笑んだ。
「それに僕はジュチとなら、そんな風に見られても厭だとは思わないよ」
「賢華さま」
ジュチの顔が引きつっている。賢は刹那、自分がとんでもない発言をしてしまったことに気付き、出した言葉を取り戻したくなった。でも、そんなことはできはしない。
「ごめん、ジュチの方こそ、厭だよね」
「いえ、そんなことはありません。むしろ、歓迎するというか嬉しいくらいで」
二人ともに頬を染めて弁解し合う姿こそが、仲睦まじい恋人同士にしか見えないことに、肝心の当人たちがまるで気付いていない。
確かに、尚宮と最後に交わした話では、彼女自身がそう語っていた。
―元々、私は姫さまに従って慣れぬ異国に参った身。姫さまはとうに儚くなられ、その忘れ形見の世子さまも王宮から出てゆかれるとあれば、この身が高麗にとどまっている理由はございませぬ。
だから、王太子をひそかに逃がした後は懐かしい祖国元に帰るつもりだと話していた。都内に頼れる遠縁があるため、その豪商が近く元に出す商船に便乗して帰国すると―。
「うん、そうだね」
賢は無理に自分に納得させ、頷いた。
よもや、その頃、既に祖母とも慕う尚宮がこの世の人ではないと知る由もなかった。
最後に抱擁を交わした老いた尚宮は、涙ながらに賢を見送ってくれた。あの泣き顔を思い出していると、ジュチがまた心配そうに言った。
「先ほどから何も召し上がっていませんが、お腹は空きませんか?」
今のジュチと賢は傍から見れば、豪商か貴族の令嬢とその下僕といったところだろう。
「僕はあまり欲しくないんだ。色々と考えると、やっぱりね。ジュチはお腹が空いただろうし、遠慮無く食べて」
「駄目ですよ。腹が減っては戦ができぬというでしょう」
ジュチは少し怖い顔で、賢の手前の雑炊を引き寄せた。木匙でひと口掬い、賢の前に匙を差し出す。
「さあ、食べて下さい。ひと口でも良いですから」
「ジュチ、もう小さな子どもじゃないんだし、恥ずかしいから良いよ」
真っ赤になって手を振る賢に、ジュチはなかなか引き下がらない。
「いけません、食べるまで、この匙は引っこめませんからね」
「うー。ジュチの意地悪」
涙眼で口を開くと、ジュチが素早く木匙を押し込んでくる。卵のふんわりとした香りと味が口一杯にひろがった。
「―美味しい」
ジュチが我が意を得たりとばかりに頷いた。
「でしょう? では、残りは自分で食べて下さい」
器を寄越され、賢は笑って頷いた。
と、陽気な声が飛んできた。
「まあ、若い人たちは良いねぇ。あんたら、見たところ、お嬢さま(アガツシ)と下男だろ? あたしから見たら、お似合いだけど、お嬢さまの親御さんは、そうすんなりと認めちゃくれないだろうね。それで、駆け落ちでもするつもりなのかえ?」
見世の女将が立っていた。注文した青菜のおひたしを運んできたらしい。
「女将、失礼なことを言わないでくれ」
ジュチがやや気色ばんで言うのに、四十ほどの太り肉(じし)の女将は朗らかな笑い声を上げた。
「眼は口ほどに物を言うってね。あんたのお嬢さんを見つめる熱っぽい眼はどう見たって惚れた女を見る男のものさ。それに、お嬢さんの方もあんたのこと、満更じゃないみたいだし」
「もう良いから、あっちへ行ってくれ」
ジュチが柄にもなく紅くなりながら言い、女将は笑った。
「はいはい、邪魔者は言われなくても退散しますよ」
「やれやれ、冷や汗が流れますよ」
ジュチは肩を竦め、袖から手巾を取り出し、本当に汗を拭いている。
一方、賢は考えていた。
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「申し訳ありません。不愉快な想いをされたでしょう」
「いや、大丈夫。僕なら平気だから」
賢は我に返り、微笑んだ。
「それに僕はジュチとなら、そんな風に見られても厭だとは思わないよ」
「賢華さま」
ジュチの顔が引きつっている。賢は刹那、自分がとんでもない発言をしてしまったことに気付き、出した言葉を取り戻したくなった。でも、そんなことはできはしない。
「ごめん、ジュチの方こそ、厭だよね」
「いえ、そんなことはありません。むしろ、歓迎するというか嬉しいくらいで」
二人ともに頬を染めて弁解し合う姿こそが、仲睦まじい恋人同士にしか見えないことに、肝心の当人たちがまるで気付いていない。
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