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秘花⑪
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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「そなたが月ならば、乾は太陽だ。高麗にとっては太陽と月、どちらもが必要なものであろう。どちらかが欠けても、国は成り立たぬ。重臣どもは互いの私利私欲で王太子か乾、どちらか付くかであい争うておるようだが、どうか二人とも互いに相争うことなく、末永く手を取り合って高麗のために尽くしてくれ」
「父上、先ほど乾とは、そのことをお話しになられたのですか?」
廊下で乾と遭遇したことを思い出し、賢は訊ねてみた。王はゆっくりと頷いた。
「乾にも同じことを申し聞かせておいた。そなたが即位した暁には、きっと力になってくれるはずだ」
「ですが、父上。父上はいまだご乾在なのですから、それはまだ先のことにございましょう。どうか不吉なことを仰せにならず、早く良くなって下さいませ」
王が嗄れた声で笑った。
「賢よ、私はもう長くはない。自分のことは自分でいちばんよく判るものだ。だからこそ、乾とそなたに私のいちばん伝えたいことを今日、話し聞かせた。後々まで、この遺言を忘れることなきように」
「遺言などと、不吉なことを仰せられますな」
不覚にも語尾が震えてしまった。
「世子、もっと近くに来なさい」
差し招かれ、賢は寝台の際まで寄り、跪いた。痩せた手が再び伸ばされ、賢の頭を撫でた。
「不憫な子だ。そなたが女になるのであれば、私は王子として育てるのではなかった。たとえ元との結びつきを失ったとしても、王女として育てるのであった。成長してゆくそなたを見ながら、男になって欲しいと祈るように気持ちで見守っていたのに、天は無情なことをなさったものよ」
賢の眼からとうとう涙が溢れた。
「父上、私は今も変わらず高麗の王子です。たとえ誰が何と言おうとも、父上のたった一人の息子なのです」
「さりながら、その道は険しく辛いものになる」
王の眼からもひと筋の涙が流れ落ち、頬をつたった。
「どうかもう私のことでお心を悩ませられますな。私はいつでも父上の息子として、この高麗のためにこの身を捧げる覚悟はできておりますゆえ」
賢は父王の細い手を握りしめ、励ますように力強く言った。
が、父からのいらえはなかった。長い話で疲れ果てたのか、王は精根尽き果てたかのように眼を閉じて眠りに落ちていた。
賢は父の手をそっと上掛けの下にしまうと、立ち上がった。なおも父の寝顔を見つめていたが、やがて踵を返して王の寝所を出た。
賢の運命が大きく変わったのは、その夜半だった。
深夜とて、既に深い眠りの底にいた賢はジュチのただならぬ声で覚醒した。
「邸下、世子邸下」
賢は長い睫を震わせ、ゆっくりと眼を開けた。淡い闇の中に佇むジュチを認め、賢は一挙に意識が冴えた。
「父上に何かあったのか?」
ジュチの顔は悲愴な色に濃く染まっていた。それだけではや、王の身に変事があったことは容易に知れた。
「国王殿下がお亡くなりになったとのことにございます」
「何と」
賢は叫ぶように言った。
「昼間はまだお元気であられたのに、急にご容態が変わられたとでも?」
「そのようにございます」
「卒中の発作を起こされたのか?」
矢継ぎ早の問いに、ジュチはゆるりと首を振った。
「いえ、心ノ臓の発作だとのことにて」
「心臓発作だというのか! だが、僕は父上が心ノ臓が弱っていたという話は聞いたことはない」
「私も侍医から聞いて、愕いています」
「とにかく、父上の許に行く」
急ぎ支度し、王の居室がある大殿(テージヨン)に向かった。だが、寝所を出たところで、大勢の兵たちに取り囲まれた。
「そなたら、ここをどこだと心得る!」
ジュチが賢を守るように、その前に立ちはだかる。が、賢はジュチを制し、自ら兵たちの前に立った。お揃いの鎧甲に身を固めた兵は間違いなく近衛軍だ。近衛軍は王を守る国王直属の軍隊である。
その近衛兵が次期王位継承者である王太子を取り囲むとはただ事ではない。
「一体、どういうつもりで私を拘束しようとするのだ?」
その静かな問いかけに、見憶えのある三十代後半ほどの男が進み出た。近衛軍を統括する近衛隊長である。
「父上、先ほど乾とは、そのことをお話しになられたのですか?」
廊下で乾と遭遇したことを思い出し、賢は訊ねてみた。王はゆっくりと頷いた。
「乾にも同じことを申し聞かせておいた。そなたが即位した暁には、きっと力になってくれるはずだ」
「ですが、父上。父上はいまだご乾在なのですから、それはまだ先のことにございましょう。どうか不吉なことを仰せにならず、早く良くなって下さいませ」
王が嗄れた声で笑った。
「賢よ、私はもう長くはない。自分のことは自分でいちばんよく判るものだ。だからこそ、乾とそなたに私のいちばん伝えたいことを今日、話し聞かせた。後々まで、この遺言を忘れることなきように」
「遺言などと、不吉なことを仰せられますな」
不覚にも語尾が震えてしまった。
「世子、もっと近くに来なさい」
差し招かれ、賢は寝台の際まで寄り、跪いた。痩せた手が再び伸ばされ、賢の頭を撫でた。
「不憫な子だ。そなたが女になるのであれば、私は王子として育てるのではなかった。たとえ元との結びつきを失ったとしても、王女として育てるのであった。成長してゆくそなたを見ながら、男になって欲しいと祈るように気持ちで見守っていたのに、天は無情なことをなさったものよ」
賢の眼からとうとう涙が溢れた。
「父上、私は今も変わらず高麗の王子です。たとえ誰が何と言おうとも、父上のたった一人の息子なのです」
「さりながら、その道は険しく辛いものになる」
王の眼からもひと筋の涙が流れ落ち、頬をつたった。
「どうかもう私のことでお心を悩ませられますな。私はいつでも父上の息子として、この高麗のためにこの身を捧げる覚悟はできておりますゆえ」
賢は父王の細い手を握りしめ、励ますように力強く言った。
が、父からのいらえはなかった。長い話で疲れ果てたのか、王は精根尽き果てたかのように眼を閉じて眠りに落ちていた。
賢は父の手をそっと上掛けの下にしまうと、立ち上がった。なおも父の寝顔を見つめていたが、やがて踵を返して王の寝所を出た。
賢の運命が大きく変わったのは、その夜半だった。
深夜とて、既に深い眠りの底にいた賢はジュチのただならぬ声で覚醒した。
「邸下、世子邸下」
賢は長い睫を震わせ、ゆっくりと眼を開けた。淡い闇の中に佇むジュチを認め、賢は一挙に意識が冴えた。
「父上に何かあったのか?」
ジュチの顔は悲愴な色に濃く染まっていた。それだけではや、王の身に変事があったことは容易に知れた。
「国王殿下がお亡くなりになったとのことにございます」
「何と」
賢は叫ぶように言った。
「昼間はまだお元気であられたのに、急にご容態が変わられたとでも?」
「そのようにございます」
「卒中の発作を起こされたのか?」
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「いえ、心ノ臓の発作だとのことにて」
「心臓発作だというのか! だが、僕は父上が心ノ臓が弱っていたという話は聞いたことはない」
「私も侍医から聞いて、愕いています」
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その近衛兵が次期王位継承者である王太子を取り囲むとはただ事ではない。
「一体、どういうつもりで私を拘束しようとするのだ?」
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