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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~63

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「お気に入りませんか?」
 央明が訝しげに彼を見た。
「いえ、とても美味しいと思います」
 話が噛み合っていない。もっとも、いきなり話題を変えたのだから当然だろう。
 チュソンは真摯な視線を央明に据えた。
「お茶ではなく、私のことだよ」
 央明の瞳に濃い翳りがよぎった。何故かチュソンは苛立ちに近いものを感じた。
 声が多少荒立たしくなるのはいかんともしがたかった。
「祝言以来、私なりに努力してきたつもりだ。なのに、あなたの態度は少しも変わらない。最初に比べれば、少しは心を開いてくれたのかもしれない。でも、近づいたかと思えば、あなたはまた逃げる。どこまで追いかけても、けして私はあなたに追いつけない。私のどこが気に入らない? あなたが嫌だと思うところがあるなら、直すと約束するよ」
 央明はしばらく沈黙を守っていた。ややあってようよう発した声はかすかに震えていた。
「気に入らないなんて。そんなことはありません」
 チュソンは畳みかけた。
「ならば何故だ? どうして、そなたは私に手も握らせてくれない?」
 我ながら、何とも浅ましい迫り方だとの自覚はあった。でも、チュソンもそろそろ限界に近かった。妻が自分を避ける理由を知らずにいつまでも待たされるのは、男としても情けなく辛い。
 央明は言葉を探しあぐねているようで、顔を上げた拍子に、涙の粒が白い頬をころがり落ちた。
 また、彼女を追い詰めて泣かせてしまった。チュソンは苦い悔恨に囚われた。
 央明は唇を噛みしめているようだ。桜色に美しく塗られた唇に薄く血が滲んでいる。
「噛まないで」
 チュソンは央明の唇に滲んだ血をさっと指で拭い、その指を口で銜えた。咄嗟にやったことで、特に意識したわけではない。
 だが、我に返って赤面した。大勢の人の前で何という破廉恥なふるまいをしてしまったのか。
 眼前の央明は言葉を失っている。
 何人かの客が見ていたらしく、隣席に座った数人の若い娘たちが好奇心も露わに見つめていた。
 実のところ、その娘たちはチュソンと央明が小間物屋で遭遇した令嬢たちだったのだけれど、チュソンに気づくだけのゆとりはなかった。
 央明もまた他人の存在を気に掛ける余裕は失っていたようである。彼女は涙混じりの声で言った。
「だから、結婚前に言ったではありませんか。私を妻にしたら、後悔しますと。私はあの時、確かに申し上げたはずです」
 チュソンは振り絞るように言った。
「訳が判らない! あなたの言う通りだ。新居を見にいった日、あなたは確かに私にそう言った。でも、何故なんだ? あなたはどこから見ても健康そのものの女性だし、結婚を忌避するような原因はないでしょう」
 チュソンはふと声を落とした。
「私を嫌いでないとしたら、理由は何ですか? もしや、あなたは私というより、男という生き物そのものが嫌いなのですか」
 央明はうつむき、頑として顔を上げようとしない。
「私と共にいれば、あなたはこれからもっと多くの苦痛を味わうことになるでしょう。理由はお話しできませんが、そうなる前に離縁して下さい。これが今の私に示せる精一杯の誠意です」
 チュソンが唐突に立ち上がったので、ガタンと椅子音がやけに大きく響き渡った。
 今度は隣席だけでなく、二階にいた他の多くの客たちの視線がチュソンに集まった。
「何が誠意だ。そんなものは体の良い逃げ口上でしかない」
 彼が言うと、央明は彼を黒い瞳で見上げた。漆黒の夜空を宿した瞳は、哀しみに揺れていた。
 彼女を苦しめる自分も、自分の気持ちを理解しようとしない彼女も許せない。
 央明が消え入るような声で言った。
「私の方こそ、あなたにお訊きしたい。何故、私なんですか? 私のような半端者に執着されずとも、あなたほどの方ならば望んで奥方になりたがる娘は数多くいるでしょう」
 そのときのチュソンはあまりに激高していた。ゆえに央明が呟いた〝半端者〟という箇所に疑問を感じることはなかったのである。
 次の瞬間、チュソンは叫んだ。
「好きなんだ! 惚れていると何度言ったら、私の気持ちを判って貰えるんだ。あなた以外の女は要らない、欲しくない」
 ややあって、彼は死ぬほどの羞恥に悶える羽目になった。クスクスと隣席の令嬢たちは互いをつつき合って笑っている。
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