裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~

めぐみ

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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~58

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 またチュソン自身、惚れに惚れている央明を果たして諦められるのか、手放せるのか。
 まったく自信はないのだ。
 一体いつまで待てば良いのだろう。
 チュソンは暗い気持ちになりながら、自分の居室へ向かった。そろそろ女中が夕餉の膳を運んでくる刻限だが、食欲は一向に湧かなかった。
 どこからか風に乗って甘い花の香りが運ばれてくる。周囲を見回しても、邸内に妻の愛する白い花が見えるはずもなかった。
 
 その日、チュソンは央明を外に連れ出した。行く先は下町だ。央明が〝中道政要〟を隠れるようにして読んでいたのを発見してから、二日が過ぎていた。
 最初は誘っても、頑なに行かないと言うばかりだったが、今日ばかりはチュソンも後に引かなかった。大抵のことは妻の好きなようにさせているチュソンだ。
 チュソンも穏やかな見かけによらず、なかなか頑固な一面がある。央明はついに根負けしたのか
ー少しだけなら。
 と、チュソンと共に出掛けることを承知したのだ。
 二人にとって、下町は懐かしい場所に他ならなかった。十年前、互いに八歳で出逢い、チュソンは美しいだけでなく正義感と勇気を持った彼女に心奪われた。
 ひと度は諦めかけた初恋は意外な形で実り、二人は十年の刻を経て再び出逢いの場所に戻ってきた。
 今日も都の目抜き通りは、人で溢れ返っている。当代の国王は政治には関与せず、政治は議政府の官僚たちで行われていっている。
 とはいえ、押すな押すなの賑わいは、曲がりなりにも、王の治世が安定している証ともいえた。
 チュソンは先刻から妻の様子をそれとなく窺っていた。央明の麗しい面には何の表情も浮かんではいない。チュソンには央明が何を考えているのか、まったく判らなかった。
 やはり、この結婚は間違いだったのだろうか。弱気になりかける自分がいる。
 初恋が成就して舞い上がっているのは自分だけで、央明にとっては迷惑なのか。
 ここは自分たちの始まりともいえる場所だ。思い出深い場所に妻と二人で来て、チュソンは感慨に浸っているというのに、央明の方は少しも嬉しそうでも愉しげでもない。
 通りの周囲には様々な露店が建ち並び、露天商たちから威勢の良い声が飛び交っている。品物を売ろうとする店主、少しでも安く買おうと値切る客の声が入り乱れ、いささか騒々しいほどだ。
 人気のある店には客が蟻のように群がっている。央明はどの店にも興味を惹かれない様子で、ただ前方を真っすぐに見つめて歩いているだけだ。
 二人の間には、救いようのない雰囲気が漂っており、時間と共に重くなるばかりだ。
 チュソンは何とか央明の心をほぐそうと様々な会話を振ってみたけれど、央明はまったく話に乗ってこなかった。
 何がいけなかったのだろう。チュソンは道々、幾度も考えてみた。
 祝言の夜以来、妻との間は少しずつ縮まってきた。チュソンが央明の〝夢〟に理解を示したこと、二人の国の在り方に対する考えが同じだったこともある。
 だが、二日前のあの一件ーチュソンの不用意な発言で、折角近づきかけた彼女はまた手の届かない遠くに行ってしまった。
 もしや、彼女は男嫌いなのか? 
 稀に病的なほど潔癖な女性がいるとは話に聞く。そのような女人は男性に触れられるのはおろか、近づかれただけで鳥肌が立つという。見たところ、央明はそこまで徹底してはいないようだが、触れられるのは我慢ならないという可能性は十二分にある。
 だとしたら、もっと話はややこしくなる。チュソンは重い心を抱え、それでも表面は笑顔を作った。ここで自分まで大人げなく仏頂面になろうものなら、更に絶望的だ。
 折しも少し先には小間物屋が店を出していた。初老の店主の前の露台には、様々な品が所狭しと並んでいる。
 その上には眼にも彩なノリゲがつり下げられ、初夏の風に揺れていた。
 チュソンは央明を見た。
「あそこに寄ってみましょう」
 央明がかすかに頷いたので、彼は先に立って歩いた。チュソンたちが到着したのと入れ替わりに、数人の客が立ち去った。木綿のチマチョゴリを纏った中年の女房と年頃の娘は母娘のようだ。それから連れだった数人の令嬢は上物の華やかなチマチョゴリを着ており、どう見ても両班家の娘たちのようだった。
 娘たちはチュソンを見ると、頬を染めて何やらひそひそと囁き合っている。
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