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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~57

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 央明が愉しげに言った。
「夜、中殿さまは張り切って昼より濃い化粧をします。何故だか判りますか?」
 チュソンはポカンとした顔で首を振る。
「伯母上が? 皆目判らないな」
 央明がまた笑った。
「国王殿下が後宮に渡られるからですよ」
 チュソンは吹きだした。
「殿下の眼を愉しませようと、伯母上が張り切るのか!」
 央明も笑いながら言った。
「まあ、中殿さまに限ったことではありませんけどね。後宮の女君たちは皆、殿下が渡られる夜は張り切っていますよ」
 チュソンは笑いを堪えきれない。あの苛烈な性格の伯母が国王を迎えるために、一生懸命化粧に余念がないところを想像すると笑えてくる。想像し出すと、本当に笑いが止まらなくなった。
 チュソンが笑うので、つられたように央明も笑い出す。二人して、笑いがしばらく止まらなかった。
 央明は涙目になってもまだ笑っている。
「もし中殿さまがこの会話を聞いたら、水刺間(スラッカン)の肉切り包丁を持って私たちを成敗しにやってきそうですね」
 央明が真顔で言うものだから、チュソンはますます笑いが止まらなくなった。
「そいつは良い。伯母上が水刺間の肉切り包丁か!」
 ひとしきり笑い転げた後、チュソンが言った。
「いつかそなたも女君たちのように」
 央明が言いかけたチュソンを何事かと見つめている。
 チュソンがやわらかく笑った。
「いつか央明がそなたを訪ねてゆく私のために美しく紅を引いてくれる日を楽しみにしているよ」
 央明の顔色がスウと蒼褪めた。刹那、チュソンはまたしても自分がやらかしたことを知った。
「済まない。ふざけ過ぎたようだ」
 言い繕ってみたけれど、遅かった。央明は今までの愉しげな雰囲気はどこへやら、固い表情だ。もうチュソンが何を言おうとも、寄せ付けない頑なさが全身から立ち上っていた。
 央明が消え入るような声で呟いた。
「申し訳ありません。頭(つむり)が痛むので、今宵は食事をご一緒できそうにありません」
 体調を理由にされては、それ以上居座りもできなかった。
 チュソンは妻の部屋から退去せざるを得ない。立ち去り際、彼は妻に言った。
「夜はまだ冷える。夏風邪を引いたのかもしれないから、気をつけなさい」
 央明の返事を待たず、チュソンは室の扉を後ろ手で閉めた。
 ミリョンがいつしか戻ってきて、控えの間に端座している。チュソンを認めると、妻の忠実な側近は丁重に頭を下げた。
 控えの間を通り過ぎ、廊下に出た時、チュソンは後ろを振り返らずにはいられなかった。
 二人の距離は出逢いの頃に比べれば、ぐっと縮まった。だが、彼は妻との間が依然として薄い膜のようなものに隔てられていると漠然と感じていた。
 あるところまでは彼を近づけてくれるが、妻は今もなお一定の距離を置いている。そして、彼がその一線を越えた向こうへ踏み込もうとすれば、央明はたちまちにして彼女がきっちりと引いた線の向こうへと逃げ込んでしまう。
 近づいたかと思えば、彼女との距離はまた開いている。どれだけ努力しても、ある一点までしか近づけない。その残りの何歩かを彼はけして縮めることはできないのだ。
 彼の思い違いでなければ、その一線というのは、どうも央明とチュソンの拘わりー二人が名実共に夫婦となることに関係しているのではないか。チュソンに他意はなくとも、夫婦関係を結ぶことをほのめかしただけで、央明の態度は瞬時にして硬化する。最近、彼はそんな風に感じるようになった。
 もし彼の読みが正しければ、事態はかなり深刻といえる。単なる考え方や性格の違い、または相手の癖が気になるといった類いの問題ではないからだ。
 夫婦にとって、性の不一致は決定的な要因になる。いかに彼が寛容だとはいえ、子どもではあるまいに、毎夜、妻と手をつないで眠るだけで済ませるつもりはないのだ。
 仮にいつまで待っても妻が彼を受け入れない場合、どうするのか?
 彼女が望むように、すんなりと離縁というわけにもゆかない。国王が認めない限り、王女を賜った附馬は離婚は許されない。どころか、妻たる王女に先立たれたとしても、基本、附馬には再婚の自由はないのだ。
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