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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~㊺

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 チュソンは事後、央明に向かって言った。
ー君は勇敢だね。
ー勇敢なんかじゃないよ。
 素っ気なく言ったのは、直截に褒められたのが恥ずかしかったからだけではない。央明自身が本当にそう思っていたからだ。
ー嘘つきだから。
 こうも言ったけれど、それも本当のことだろう。
ー幾ら善人ぶってみても、私は世の中の人すべてを騙して生きているんだもの。その罪は一生続くんだよ。
 あのときの想いは、今も変わらない。央明の根っこにはいつもその想いが溶けない氷のように膜を張っている。
 それはどこに逃げても、絶対に逃れられない重たい秘密だ。
 央明は物心ついたときから、ずっと不満だった。王族、両班、庶民、奴婢という身分制度。更には王族や両班の特権階級の中ですら、男と女ではその立場も生き方も固定される。
 男はこうでなければならない、女はあれをしてはいけない。
 生まれた環境、性差だけで人は一生を決められ、どんなにあがいても所詮はその枠から出られない。
 何故、世の中はこうなんだろう。誰でも身分や性差に関係なく、好きなように生き、やりたいことをやれるはずなのに。どうして、朝鮮では人は身分という枠に閉じ込められ、そこから逃れられないんだろう。
 ずっと疑問に思ってきた。
 果たして、チュソンといえども、央明のこの考えを理解してくれるかどうかは判らない。幼い頃の彼を見れば、正義感が強く、拓けた考えの持ち主であろうことは疑いようもないが、所詮、彼もこの国の男であり、名門両班家で生まれ育った御曹司だ。
 特権階級に生まれたがゆえの恩恵を有り余るほど受けてきたはずで、そんな彼が今の身分制度や社会に疑問を持つ方がおかしい。
 なのに、自分の考えや疑問をチュソンに話して彼の意見を問うてみたいだなんて、我ながら、どうかしている。
 王女であるばかりに、化粧師になれないなんて、おかしい。今も化粧はミリョンに任せず、すべて自分一人で行っている。時にはミリョンにせがまれて、彼女の化粧をしてあげるくらいだ。よくミリョンを鏡の前に座らせて嬉々として化粧を施している央明を見て、乳母は笑っていた。
ーこれでは、どちらが王女さまが判ったものではありませんね。
 乳母とミリョンと、ずっと一緒にこのまま愉しい日々が続くことを願っていた。もちろん、そんなはずがないことは判っていたけれど。
 でも、よもや、こんな我が身に嫁入り話が降って湧くとは想像だにしなかったというのが正直なところだ。
 王妃は、あの秘密を知っている。秘密を知る王妃がよもや央明を嫁がせる気になるはずもないと高をくくっていた。
 いや、多分、あの腹黒い女は秘密を知るからこそ、チュソンの願いを聞き入れたに相違ない。他人には言えぬ秘密を持つ央明を降嫁させて、央明が恥をかくところを想像しては笑っていることだろう。
 そうはゆくものか。この秘密は絶対に守り通さねばならない。この秘密を守ることに疲れ果て、みすみす生命を縮めたに等しい乳母のためにも、央明は絶対に秘密を知られてはならないのだ。
 秘密が露見するそのときは、央明自身の生命も尽きるだろう。だからこそ、秘密は死守しなければならない。
 まったく、この自分が嫁入りするとは、茶番でしかない。チュソンには気の毒だが、厳粛に行われた嘉礼そのものが央明にとっては、まさに茶番にしか思えなかった。
 父は央明の秘密を知らない。父がこの結婚を不憫な娘を救うための唯一の策だと思って進めたのも理解はしているつもりだ。
 父は央明を王室という鳥籠から解き放つことで、王妃からの虐めや監視から自由にさせてやろうと思っていたはずだ。父の眼に映る央明は、あくまでも〝義母にいびられる可哀想な娘〟であったのだから。
 当の王妃は父さえ知らぬ央明の秘密を知っている。父は何も知らずに、ただ娘の幸せを願っただけ。
 控えの間の扉の向こうから、ミリョンの声が聞こえた。
「翁主さま、ご寝所で旦那さまがお待ちだそうです。あまりにお待たせしたので、あちらの侍女がこちらに催促に来ましたよ」
ーとうとう来たか。できれば、避けたかったが。
 央明は長い吐息を腹底から吐き出し、立ち上がった。
 何が起ころうと、この秘密だけは守り通さなければならない。央明は今一度、自分に言い聞かせる。袖にはひと振りの短刀を忍ばせている。
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