裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~

めぐみ

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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~⑬

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 そこで、はたと思い出す。
ーまずい、父上から仕事帰りには必ず伯母上を訪ねるように言われていたっけ。
 チュソンは回れ右して、中宮殿に向かった。王妃の棲まいは交泰殿(キョテジョン)と呼ばれる。俗にいう中宮殿である。
 中宮殿はむろん、後宮内にある。後宮は国王以外の男子は禁制であるが、身内の男は例外となる。
 後宮内に一歩入ると、官吏たちと遭遇することはない代わりに、女官や内官たちの集団とすれ違うことが多くなった。若い女官数人が通り過ぎる度、熱い視線がチュソンに注がれる。
 若いながら官服を颯爽と着こなしたチュソンは、なかなかの美男であった。羅氏の一族は皆、細面で整った容姿の者が多い。チュソンの母は羅氏の出身ではないけれど、若い頃は求婚者が引きも切らなかったほどの美貌だ。チュソンは両親のどちらにも似ていたから、男前であるのは疑いようもなかった。
 女官は原則、一生奉公だ。王の女とされる女官はすべて国王の所有物であり、他の男と愛を語ってはならないとされている。
 とはいえ、現実に国王に見初められる幸運な女官はほんの数人、他の大半は龍顔を見る機会さえなく空しく散ってゆくのだ。恋愛は禁忌とされているからこそ、彼女たちは余計に恋に憧れる。
 そんな彼女たちにとっては、チュソンのように見栄え良い若者は格好の標的になる。女官に恋愛は御法度といえども、例外はままあるものだ。上手くやりさえすれば、未来の高官となり得る青年官僚の夫人に収まる道もないわけではない。
 彼女たちは一様にチュソンを窺い見ては、ひそひそと何やら囁いている。ところが、当のチュソンは何一つ気づかず、真正面だけを見て歩いており、彼女たちには眼もくれなかった。
 もちろん、王妃の棲まいを訪ねるのは初めてである。中宮殿の場所は父から予め聞いていたが、それにしても後宮の何と広いことか。
 後宮に美姫千人とは古代中国の表現ではあるものの、一人の男に千人の女とは、チュソンからは考えられない話だ。
 当代国王はチュソンの義理の伯父に当たる。国王はなかなかの女好きだというのはよく聞く話であり、正室の伯母の他にも十人を越える側室がいるという。では王が女色にばかり溺れる暗愚な君主なのかといえばそうではない。歴代の王は大半は十指に余る側室を抱えているのが通例だ。
 医療技術が未発達であった当時、子どもが生まれても成人まで育つ確率は低かった。国王は血筋を残すのも責務の一つだ。子孫繁栄のため、せっせと子作りに励む場所が後宮なのだとチュソンは理解している。
 だが、チュソンは眼の前に黄金を山積みにされてもご免蒙りたい。彼自身の望みは、ただ一人の女と愛を誓い合い、その女だけを見つめて暮らす生涯だ。
 そんな時、チュソンの脳裡に浮かぶのは、決まって一人の少女だった。パク・ジアンと名乗った美しい少女。初夏に咲く花のように清楚可憐ながら強い輝きを放つ魅惑的な娘だ。
 一体、あの少女は今、どこでどうしているのだろうか。都に戻ってきて一ヶ月、チュソンはずっとジアンについての情報収集を行っていた。だが、あの美しい娘を探す手がかりそのものさえもが依然として見つからない。
 実のところ、チュソンは科挙受験のために祖父の屋敷に滞在中も暇なときは都を歩き回り、ジアンを探していた。祖父はそんな孫を見て、
ー試験が間近だというのに、何を考えておるのか知らんが、豪気なことだな。
 と、半ば面白がり半ば呆れていた。
 科挙を控えた受験生というのは大抵、自室で書物にかじりつくのが相場だからだ。
 チュソンは祖父には恬淡と返した。
ーお祖父(じい)さま、お言葉ですが、背後まで水が迫ってきた状況で逃げても意味のないことです。それまでに、防水対策をしておかねば。
 祖父の眼が輝いた。
ーなるほど、お前はもう容易万端ということだな?
 チュソンは笑った。
ー驕り高ぶるつもりはありませんが、試験準備について、できるだけのことはやりました。今更あがいても仕方ないと考えています。
ー流石に神童と謳われるだけはある。我が孫は頼もしい限りだ。それにしても、惜しまれる。跡取りに決めた次男の息子たちには、ろくな者がおらん。若い女の尻を追いかけ回すことしか頭にない連中ばかりだ。次男の息子どもにそなたの才覚の十分の一でもあればのう。
 祖父は本気で残念そうに言った。
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