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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~⑦

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「僕の場合も、もしセナが良かったらだけど」
 彼は息を吸い、続けた。
「良かったら、うちで働けば良いよ」
 セナの瞳が見る間に潤んだ。
「若さま、お嬢さま、ありがとうございます」
 美少女が微笑んで言った。
「殴られたところは大丈夫? 痕は残らないと思うけれど、帰ったらすぐに冷やすと良いわ」
 セナは涙ながらに頷き、大切そうに巾着を袖に入れた。セナは何度も振り返り、やがて通りを行き交う雑踏に紛れた。
「必ず、うちを訪ねてこいよ」
 チュソンは別れ際、セナに羅家の屋敷のある場所も詳しく教えてやったのだ。
 と、眼の前の少女の身体がふいに揺らいだ。
「あっ」
 間抜けにも、ここでも自分は彼女に手を差し伸べることもできなかった。ふらついた彼女は小さな石ころに足を取られ、その場に転んだ。緑のチマが大きくはためき、可憐な花が散るような風情だ。
「大丈夫かい?」
 彼は狼狽え、その場に膝を突いた。彼女は、自分の倍はありそうな大男に敢然と向かっていったのだ。向こう意気が強そうに見えても、内心は恐怖心を感じていたとしても不思議ではない。どうやら、緊張が緩んで、気が抜けてしまったようだ。
「大丈夫です、ご心配をおかけしました」
 彼女は頷き、今度こそチュソンが出した手を取って立ち上がる。
「でも、怪我をしてるんじゃ」
 チュソンの視線に、彼女も自分の足下を見やる。綺麗な花びらのようなチマが土に汚れ、わずかに破れている。彼女がチマを心もち捲った。下に履いた長穿袴(ズボン)も躊躇うことなく持ち上げる。
 途端に現れた白い脹ら脛が眼に眩しい。なぜだかチュソンは見てはいけないものを見たような気がした。それでも、彼女の白い脚から眼が離せない。
 やはり、脹ら脛の下方に擦り傷ができ、薄く血が滲んでいる。
「随分と派手な転び方をしたのね、私」
 言葉遣いが先刻より、親しげなものになっている。チュソンは、たったそれだけで彼女が自分に心を開いてくれたような気がして、嬉しくてならない。
「セナどころではないね。君も早く帰って手当てして貰った方が良い」
「たいしたことないよ、こんなのは舐めときゃ治る」
 美少女らしからぬお転婆な物言いに、チュソンは眼を見開いた。
「それにしても、君は勇敢だね」
 愕きも冷めやらぬ中、チュソンは自然に言っていた。
「私がー勇敢?」
 チュソンは彼女の眼を見つめながら、深く頷いた。この娘(こ)のまなざしは何て澄んでいるだろう。幾つものぬばたまの夜を集めたような双眸はどこまでも深く、見つめていれば魂ごと吸い込まれ、絡め取られそうだ。
 いや、チュソンはもうこの時点で、この美しい娘の妖しいまでの美しさに魅せられてしまったのかもしれない。
 彼女は思いもかけないことを言われたような顔で言った。
「勇敢なはずがない」
 どこか投げやりな言い方は、優しい彼女には似つかわしくない。チュソンは呆気に取られ、彼女を見つめた。
 視線を感じたのか、彼女が小さく肩をすくめた。その仕草も良家の令嬢にはいささか不似合いな仕草である。見かけはどこまでも深窓の令嬢らしいのに、中身はまるで、やんちゃな男の子みたいだ。見た目と違い過ぎる。
 チュソンはどこかムキになったように言った。
「勇敢だと言うのは、良い意味で言ったんだ。恥ずかしいけれど、僕はセナを助けにいかなきゃと思うだけで、少しも動けなかった。八百屋の親父さんに逆に殴られることを想像しただけで、身体がすくんでしまって身動きもできなかったんだよ」
 少女がポツリと言った。
「判るよ。あのおじさん、体格良いものね」
 そこで初めて二人は顔を見合わせて笑った。ふと彼女の美しい面が翳った。まるで輝く満月が心ない月に隠れてしまったかのようで、チュソンまで切なくなる。
 その瞬間、彼の奥底から迸るような想いが溢れた。
ー彼女の笑顔を守りたい。
 大人たちが聞けば、まだ十にもならない子どもがませたことを言うと一笑に付されるか呆れられるのは判っていた。
 でも、チュソンはその時、真剣そのものだった。
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