裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~

めぐみ

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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~④

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 八百屋が鼻の穴を膨らませ、荒い息を吐きながら言った。
「何だ、お前は」
「あなたは、何故、その子を打つのですか?」
 少女は紅色の上衣に鮮やかな緑のチマを纏っていた。長い髪は後ろに編んで垂らし、やはり緑の髪飾り(テンギ)をつけている。
 八百屋が呆れたように、ハッと鼻を鳴らした。
「こいつは呆れたね。あんたは、この娘っ子が何をしでかしたのかも知らないで、俺を邪魔立てしたのかい?」
 少女は首を振った。
「いいえ、私はちゃんと見ていました。その子はあなたの売っている林檎を盗んだのでしょう」
 八百屋はますます呆れ顔だ。
「判っているなら、黙って引き下がって貰いましょうか、エ、お嬢さま(アツシー)。あんたのような両班には関係のねえことだ」
 確かに少女はどう見ても、良家の令嬢だ。それにしては、伴の者も見当たらないのがいささか気にはなるが。
 少女はまたわずかに前に進み出た。気圧されたように、八百屋がわずかに後ずさる。少女は図体で大男にはるかに及ばないけれど、迫力では負けていない。
 八百屋は依然として女の子の首根っこは押さえたままだ。
「その子のしたのは、確かに悪いことです。でも、貧しくて、その日に食べるものもなく仕方なくやったのではないでしょうか。空腹に堪りかねて盗みをした子どもをあなたは容赦なく殴るのですか?」
 八百屋の顔が赤黒く染まった。相当頭に来ているようだ。
「言っときますがねぇ、お嬢さん。俺だって生きてるんですぜ、それに家に帰りゃア、年取ったお袋、女房から五人のガキどもが待ってるんだよ。俺は家族を食わせてやらなきゃならねえ。いちいち綺麗事を言っていたら、俺の方がその娘っ子より先に家族と心中しなきゃならなくなるんだよ!」
 男が無造作に手を離したため、女の子は勢いよく地面に落下した。痛みのためか、衝撃のあまりか、女の子が声を上げて泣き出した。
「煩せェっ。泣きてえのは、こちらだよ。このお優しいお嬢さまは俺が理由(わけ)もなく子どもに当たり散らす極悪人のように言うが、お前にこう再々商売物を持ってかれちまっちゃア、俺の方が首をくくる羽目になっちまう」
 少女が袖から薄紅色のチュモニを取り出した。八百屋に向けて、そっと差し出す。
「これで私があの子が盗んだ林檎を買うということにはできませんか?」
 彼女は良いと思って言ったに相違ないが、その科白は八百屋の矜持をいたく傷つけたようだ。
 彼が声を震わせて怒鳴った。
「馬鹿にするない! 手前の娘よりまだ小さな子どもから施しを受けるほどまだ落ちぶれちゃいねえや」
 男が両脇に垂らしている拳を握りしめている。眼前の生意気な少女を殴りつけたい衝動と闘っているのは明らかだ。
「なあ、お嬢さん、あんたのように生まれたときから何もかもに恵まれている子には想像もつかねえようなことがこの世には溢れてるんだぜ。その日、食うものに困ったことはあるか? 働き通しに働いても、満足に飯も食えねえ人間がいるなんて考えたことがあるか? 俺が言いてえのは」
 そこで彼は歯を食いしばった。握りしめた拳の関節が白く浮き上がる。それほどに力を込めているのが知れた。
「俺が言いてえのは、食べる物もろくにない暮らしを知らねえお嬢さんに、俺ら庶民内のことをとやかく言われたくないってことさ」
 少女はしばらく黙り込んでいた。うつむいた視線は地面に向いている。
 八百屋が疲れ切った表情で言った。
「俺が今、あんたをどれだけ殴りつけてえか判るか? 情けねえ話だが、幼い女の子を殴る自分を嫌な野郎だと思う以上に、あんたの両親に俺ら一家がどのような目に遭わされるのか心配だから、俺はあんたを殴りつけられねえ。可愛いあんたに青アザができれば、あんたの両親は血相変えるだろう。俺のようなしがねえ露天商がここで商いをできなくするなんて、あんたの父親は朝飯前だろうからよ」
 少女かつと顔を上げた。子どもながらに凜とした、美しい表情だ。まだ十歳にも満たないでこの美しさであれば、成長した暁には男を惑わすほどの美貌になるだろう。
 木登りと虫集めにしか興味がないチュソンでさえ、少女の並外れた美しさには眼を奪われっ放しだ。
 彼女は静かな声音で問いかけた。
「確かに、あなたの言う通りですね。あなたはこの子が盗みをしたのは初めてではなく、何度目かだと言われました。恐らく、最初はあなたもこの子の事情を考えて、大目に見たのでしょう。でも、あなたが言うように、事情があるのはこの子だけではない。当然ながら、あなたにも事情があります。私は一方の目線でしか物事を見ていませんでした。ーとても難しい問題だと思います。この子の側に立てば、あなたは幼い子を無慈悲にぶつ悪人になるけれど、あなたの立場になれば、この子は見境なく他人のものを盗む罪人になる」
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