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闇に咲く花~王を愛した少年~55

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―私は殿下を心よりお慕いしております。
 光宗の腕に抱かれ、眼を潤ませて言った言葉の数々はすべて嘘だらけ、あの女にとっては、すべてが茶番で、光宗だけが躍らされていたということだ。
 全く、涙も出ない悲惨な結末ではないか。
「殿下、緑花は、いえ、それも偽名にございますが―」
 ここで柳内官はわずかに言い淀み、光宗の顔色を窺った。
「何だ、嘘八百でまんまと予を欺いたしたたかな女だ。名前が偽名であるくらいは当然であろう」
 事もなげに言ってやると、柳内官は頷いた。
「まあ、真の名などどうでもよろしうございますが、張緑花というのは正確に申しますと、領議政の女ではございません」
 そのひと言に、光宗はかすかな期待を寄せる。
「では、緑花は領議政の情人ではないと?」
 が、柳内官が言いにくそうに続けた。
「いえ、そうではありません。彼が領議政の情人であることは間違いない事実にございますが、彼は領議政の女ではなく、男なのです」
「―!!」
 一瞬、あまりの衝撃に息が止まるかと思った。
「月華楼という廓は普通の遊廓ではなく、男娼ばかりを抱えた妓楼だとか。恐らくは緑花も眉目良きところを見込まれて、買われたのでしょう。何せ、あれほどの美貌にございます。これには私も流石に仰天致しました。まんまと最後まで緑花が女だと騙されるところにございました」
 滔々と述べ立てる柳内官に向かい、光宗は低い声で呟いた。
「もう良い」
「殿下?」
「もう良いと言ったのだ。それだけ調べ上げれば十分であろう」
「では、緑花の処分をどう致しますか? 畏れながら世子邸下を殺めようとしたのも、恐らくは緑花の仕業と思えます。世子邸下を狙ったというだけで死に値する大罪にございますが、殿下のお薬に毒を仕込んだ罪も加えて、ついでに裏で緑花を操っていた領議政も片付けてはいかがにございましょう。証拠は十分ございますゆえ、いかの古狸でも罪は逃れようはございません」
 光宗の漆黒の瞳に怒りの焔が燃え上がった。
「緑花の処分は追って決める。領議政についても同様だ。世子の外祖父でもあり大妃の父でもある男をそう易々と罪には問えん」
 執務机では、龍を浮き彫りにした蝋燭が燃えている。その焔に照らされた光宗の横顔は石の像と化したかのようだ。
「殿下―」
「もう良いと幾ら言ったら、判るのだ? 今は何も考えたくない、いや、考えられぬ。頼むから、一人にしてくれ」
 王のあまりに烈しい怒りと絶望に直面し、柳内官はかすかな戸惑いと大きな衝撃を受けた。
 彼は自分が喋り過ぎたと思うより、王の緑花に対する想いの深さを知り、愕然とした。

 柳内官の下がった後、光宗は奈落の底にいた。
 これで、すべては辻褄が合った。
 緑花が何故、自分を拒み続けてきたか、その理由が知れた。柳内官の報告を途中までしか聞いていなかった時点では、緑花が領議政の女だから、拒んでいたのだと勘違いしたが―。
 よもや、あの可憐な少女が少年であったとは、こうなれば、もう安っぽい芝居よりも更に始末が悪いではないか!
 あの娘、もとい、男が光宗に抱かれようとしなかったのは、褥を共にすれば、秘密を暴露してしまうからだ。それを自分は緑花の少女らしい恥じらいと受け止め、真剣に悩み、自分のどこがいけないのかと顧みた。
 全く、笑える。笑いすぎて、頭がおかしくなりそうだ。
 朝鮮王朝史上、最大の暗君・暴君と呼ばれている燕山君ですら、これほどの喜劇は演じたりしなかったことだろう。なのに、自分で言うのも何だが、〝聖君〟と民から呼ばれるこの身がたった一人の少年に心奪われ、良いように躍らされていたとは。
 自分にとっては初めての恋だった。後宮には幾千もの女官がいるが、心動かされ、本気で愛したのは張緑花ただ一人だったのだ。だが、そんな女は、どこにもいなかった。光宗は幻の女に恋をし、ありもしない夢を見ていたにすぎなかった。
 光宗は低い声で笑った。
 おかしすぎて、涙が出る。くっくっと低い声で笑いながら、十九歳の若き国王は頬を涙で濡らしていた。
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