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闇に咲く花~王を愛した少年~㊾

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 まだ若い男で、〝今度、甘いものでも食べに行かねえか?〟と品物を売っているのか、誠恵の気を引きたいのかよく判らない話しぶりに、誠恵は曖昧に笑って通り過ぎる。
 目抜き通りの終わった四ツ辻では、大道芸人の一座が通行人に芸を披露している真っ最中だ。かしましい太鼓やシンバルの音がそこら中に響き渡るなか、まだ幼い少年が宙に張った綱の上で器用に飛び跳ねている。
 恐らく誠恵よりは幼い―、十歳にもなってないのではないか。少女とも見紛うほどの可憐さは、一歩間違えば好色な男たちの食指をそそる相違ない。
 派手な色柄の上着とズボンを身につけ、まるで地面を走るように、危なげなく綱の上を軽やかな脚取りで渡ってゆく。綱の高さは低く見ても、普通の民家の屋根よりは高い。
 少年が綱の上で一回転すると、見物客の中からどよめきが上がる。もしや落ちるのではと顔を背ける女もいた。が、少年は瞬時にピタリと鮮やかに綱の上に着地を決める。
 割れんばかりの拍手が起こり、少年は綱の上で恭しく客に向かってお辞儀した。周囲をぐるりと輪になって囲んだ見物人たちから雨のように小銭が飛び、少年は更に深々と礼ををする。
 綱渡りが終わるのを待っていたかのように、また賑やかな音楽が騒々しく鳴り渡り、今度は女面と男面を被った大人二人が楽に合わせて滑稽な躍りを舞い始めた。
 しばらく見物人に混じっていた誠恵は、再び歩き出す。
 大通りを幾つか抜け、その四ツ辻を曲がれば、遊廓が建ち並ぶ一角―いわゆる花街に差しかかり、その一つが月華楼であった。
 ここで暮らしていた時分は懐かしいと思うほどの愛着を自分が抱いているとは考えもしなかったけれど、いざ半年近くも離れていると、まるで我が家に戻ったような安堵を憶える。やはり十三歳から十八歳まで、多感な思春期を暮らした場所なのだ。それは、女将の香月が遊廓の主人らしからぬ情に厚い人物で、誠恵を娘のように大切にしてくれたからでもあったろう。
 他の遊廓に売り飛ばされていれば、自分は今頃、とうに客を取らされ、夜毎、好色な男から男へと身体を弄ばれていたはずだ。それを思えば、十八の歳まで大切に育ててくれた香月には恩義を感じる。
 が、その傍ら、香月は異母兄である領議政から手駒として使えそうな少年を探せと命じられ、誠恵を指名した。いわば、領議政だけでなく、香月もまた誠恵の宿命を大きく変えた人物だともいえる。
 しかし、どういうわけか、五年間育ててくれた香月を恨む気持ちはあまりない。それはやはり、その間に香月が示してくれた情が本物であったからだろう。
 五ヵ月ぶりに逢う香月は少しも変わっていない。相変わらず美しく装い、崇拝者である男たちから贈られた高価な珊瑚の耳飾りや翡翠の腕輪を幾つもじゃらじゃらとつけている。
 こうして見ても、香月が男だとは誰も思いはしないだろう。凛として咲き誇る白百合のように気高い美貌である。
 もっとも、月華楼の妓生たちは皆、男には見えない、いずれもが咲き匂う花のような風情のたおや女ばかりだ。少年期を過ぎて、うっすらと髭の剃り跡の残る中途半端な陰間は化け損ねた狐のように滑稽だが、彼らとは比べものにならない。
「お姐さん、ただいま帰りました」
 両手を組んで目上の人に対する礼をするのに、香月はいつになく硬い表情だった。
「お帰り、待ってたよ」
 両班家の奥方―と言っても通りそうなほどの気品と美しさを誇りながら、香月はひどく言葉遣いが悪い。
 この綺麗な顔から、どうしてこんな汚い言葉がポンポン飛び出してくるのか判らない。初めて香月に逢った五年前、誠恵は子ども心にそう思ったものだった。
 通常、遊廓の妓生たちは女将を〝お義母(かあ)さん〟と呼ぶが、何故か香月は〝お義母さん〟と呼ばれるのを嫌い、〝お姐(ねえ)さん〟と呼ばせた。香月の歳を知る者は月華楼にはいない。
 二十代と言っても通りそうな若々しさではあるが、先輩の妓生からひそかに聞いた話によると、既に三十半ばを越えているそうだ。
「二階で旦那(オルシン)がお待ちだよ。翠玉、一体、あんた、何で、あんな軽はずみしたんだえ?」
 〝軽はずみ〟というのが、領議政の孫誠徳君に手をかけたことを指すのはすぐに判った。
 うつむく誠恵をやるせなさそうに見、香月は溜息を吐き出した。
「いつもあたしが言ってただろ、客に惚れさせても、遊女が客に惚れちまったらならないって、さ。翠玉、客が王さまであろうが、その日暮らしの職人であろうが、理屈は皆、同じなんだよ? 妓生が男に惚れちゃならない、ましてや、あたしらは本物の女じゃないってことを忘れちゃ駄目だ」
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