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闇に咲く花~王を愛した少年~㊻
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妻妾がなければ、子が生まれることもない。子がいなければ、領議政が要らぬ勘繰りをする必要もないだろうと、そこまで考えてのことだった。
しかし、それでもなお、領議政は完全なる安泰を望んだのだ。自分(光宗)が生きている限り、あの野心の塊のような男は夜も安心して眠れぬのだろう。自分もそろそろ老齢に達し、眼の黒い中に孫である世子の地位を盤石のものにしておきたいと考えたとしても、いささかの不思議もない。
いかにも、あの腹黒い狸の考えそうなことだ。
国王暗殺、その任務を帯びて送り込まれてきたのが張緑花であり、愚かで哀れな自分はまんまとその美しき罠にかかった。
多分、領議政は緑花の魅力で自分を骨抜きにし、意のままに操ろうと目論んだに相違ない。その上で、女の色香に眼が眩んだ国王を緑花に殺させる。
光宗は、しかしながら、領議政の仕掛けた美しい罠にはまった我が身をいささかも不幸だとは思わない。むしろ、緑花という少女に引き合わせてくれた領議政に感謝したいくらいだ。
が、何の罪もない一人のいたいけな少女を薄汚い野望に巻き込み、その人生を大きく狂わせた領議政は、逆に自分が殺してやりたいほど憎かった。
緑花は直前で、領議政を裏切ろうとしたのだろう。だが、できなかった。
緑花の人となりをよく知る彼は、それが当然のことに思えた。あの心優しい娘に幼い王子を殺せるはずがない。しかも、世子は緑花を実の姉のように慕っていたのだ。彼女もまた世子を弟のように可愛がっていて、二人の仲睦まじさは、大人げないと思いながらも光宗さえ妬けるほどだった。
このままでは、緑花の身に危険が及ぶかもしれない。
光宗は強い危機感を抱いた。
領議政は自分を裏切ろうとした者を見逃すほど、甘い男ではない。
光宗は、いまだ気絶したままの世子を抱き、急ぎ足で大殿に急いだ。
闇に散る花
深い夜のしじまに、甘やかな香りが漂う。
細い女人の爪先のような月が危ういほどの頼りなさで夜空を飾っている。
誠恵は広大な宮殿の庭園、その奥まった一角にいた。ここは〝北園〟と呼ばれ、巨大な池のある南園とは別の場所になる。
ここら一帯には緋薔薇が植えられていて、夜目にも鮮烈な色が際立っている。数千といわれる薔薇が一斉に咲き乱れると、濃厚な香りが立ちこめて何か匂いそのものに幻惑されてしまいそうでもあった。
月明かりに一面の薔薇が照らし出されている。改めて自分の両手をしげしげと眺め、誠恵はあまりの怖ろしさに叫び出しそうになった。
甘い匂いを撒き散らし咲き誇る薔薇は、禍々しいほど鮮やかな血の色。そして、今日、自分はまたしても、この手を血の色に染めようとした。最初は愛する男の、次は自分を一途に姉と慕う幼い王子の血でこの手を染めようとしたのだ。
だが、結局、誠恵にはできなかった。光宗の薬に毒を入れることもできなかったし、幼い世子を手にかけることもできなかった。
このままでは自分は〝任務〟を果たせず、自分と家族は孫尚善に殺される。
焦りだけは募っても、誠恵に光宗を殺せるはずなどないのだから、道は八方塞がりに相違なかった。
孫尚善は大きな誤算をしてしまった。それは、刺客として送り込んだ誠恵が殺すはずの男を愛してしまったことだ。よもや真は男である誠恵が同性の王を愛することなどないと思い込んでいたのか、それとも、役に立たなければ消せば良いだけの捨て駒として見なされていたのか―。
そのときだった。背後から忍びやかな脚音が聞こえ、誠恵は身構えた。
全身に緊張を漲らせて振り返ると、前方に立っているのは大殿内官、柳内官であった。
この男は油断できない。いつか薬房で王の煎薬に毒を潜ませようとしていた時、この男に見つかった。正確にいえば、現場を見られたわけではないが、結局、柳内官の阻止によって〝任務〟は阻止された。
光宗が無事であったことを思えば、柳内官には礼を言いたい。しかし、この男は当の光宗に誠恵が王の薬に毒を入れようとしたと報告した。国王に絶対的忠誠を誓う内官であれば当然のことではあるが、あの後、誠恵は光宗自身からその件について追及されたのだ。
幸いにも光宗は〝緑花〟に夢中で、柳内官の言葉よりは〝緑花〟の言葉を信じたようだが、あの件以来、柳内官が自分を見る眼が厳しくなり、隙あらば、その正体を暴こうとしていることは明らかだ。
しかし、それでもなお、領議政は完全なる安泰を望んだのだ。自分(光宗)が生きている限り、あの野心の塊のような男は夜も安心して眠れぬのだろう。自分もそろそろ老齢に達し、眼の黒い中に孫である世子の地位を盤石のものにしておきたいと考えたとしても、いささかの不思議もない。
いかにも、あの腹黒い狸の考えそうなことだ。
国王暗殺、その任務を帯びて送り込まれてきたのが張緑花であり、愚かで哀れな自分はまんまとその美しき罠にかかった。
多分、領議政は緑花の魅力で自分を骨抜きにし、意のままに操ろうと目論んだに相違ない。その上で、女の色香に眼が眩んだ国王を緑花に殺させる。
光宗は、しかしながら、領議政の仕掛けた美しい罠にはまった我が身をいささかも不幸だとは思わない。むしろ、緑花という少女に引き合わせてくれた領議政に感謝したいくらいだ。
が、何の罪もない一人のいたいけな少女を薄汚い野望に巻き込み、その人生を大きく狂わせた領議政は、逆に自分が殺してやりたいほど憎かった。
緑花は直前で、領議政を裏切ろうとしたのだろう。だが、できなかった。
緑花の人となりをよく知る彼は、それが当然のことに思えた。あの心優しい娘に幼い王子を殺せるはずがない。しかも、世子は緑花を実の姉のように慕っていたのだ。彼女もまた世子を弟のように可愛がっていて、二人の仲睦まじさは、大人げないと思いながらも光宗さえ妬けるほどだった。
このままでは、緑花の身に危険が及ぶかもしれない。
光宗は強い危機感を抱いた。
領議政は自分を裏切ろうとした者を見逃すほど、甘い男ではない。
光宗は、いまだ気絶したままの世子を抱き、急ぎ足で大殿に急いだ。
闇に散る花
深い夜のしじまに、甘やかな香りが漂う。
細い女人の爪先のような月が危ういほどの頼りなさで夜空を飾っている。
誠恵は広大な宮殿の庭園、その奥まった一角にいた。ここは〝北園〟と呼ばれ、巨大な池のある南園とは別の場所になる。
ここら一帯には緋薔薇が植えられていて、夜目にも鮮烈な色が際立っている。数千といわれる薔薇が一斉に咲き乱れると、濃厚な香りが立ちこめて何か匂いそのものに幻惑されてしまいそうでもあった。
月明かりに一面の薔薇が照らし出されている。改めて自分の両手をしげしげと眺め、誠恵はあまりの怖ろしさに叫び出しそうになった。
甘い匂いを撒き散らし咲き誇る薔薇は、禍々しいほど鮮やかな血の色。そして、今日、自分はまたしても、この手を血の色に染めようとした。最初は愛する男の、次は自分を一途に姉と慕う幼い王子の血でこの手を染めようとしたのだ。
だが、結局、誠恵にはできなかった。光宗の薬に毒を入れることもできなかったし、幼い世子を手にかけることもできなかった。
このままでは自分は〝任務〟を果たせず、自分と家族は孫尚善に殺される。
焦りだけは募っても、誠恵に光宗を殺せるはずなどないのだから、道は八方塞がりに相違なかった。
孫尚善は大きな誤算をしてしまった。それは、刺客として送り込んだ誠恵が殺すはずの男を愛してしまったことだ。よもや真は男である誠恵が同性の王を愛することなどないと思い込んでいたのか、それとも、役に立たなければ消せば良いだけの捨て駒として見なされていたのか―。
そのときだった。背後から忍びやかな脚音が聞こえ、誠恵は身構えた。
全身に緊張を漲らせて振り返ると、前方に立っているのは大殿内官、柳内官であった。
この男は油断できない。いつか薬房で王の煎薬に毒を潜ませようとしていた時、この男に見つかった。正確にいえば、現場を見られたわけではないが、結局、柳内官の阻止によって〝任務〟は阻止された。
光宗が無事であったことを思えば、柳内官には礼を言いたい。しかし、この男は当の光宗に誠恵が王の薬に毒を入れようとしたと報告した。国王に絶対的忠誠を誓う内官であれば当然のことではあるが、あの後、誠恵は光宗自身からその件について追及されたのだ。
幸いにも光宗は〝緑花〟に夢中で、柳内官の言葉よりは〝緑花〟の言葉を信じたようだが、あの件以来、柳内官が自分を見る眼が厳しくなり、隙あらば、その正体を暴こうとしていることは明らかだ。
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