45 / 66
闇に咲く花~王を愛した少年~㊺
しおりを挟む
だが、どうも様子が妙だ。緑花がいつになく思いつめたような眼で世子を見つめている。利発とはいえ、幼い世子は緑花の異常さには気付いていないようだ。
声をかけるのもはばかられる緊迫した雰囲気と危うさが二人を取り巻いていた。光宗は物陰から、しばらく二人を見守っていた。
と、突如として、緑花が世子の首に手をかけたのである。
咄嗟に二人の前に駆けてゆこうとした光宗は、思いどおりに動こうとせぬ身体が歯がゆかった。一度は世子から手を放した緑花だったが、ややあって、再び世子に近づいたのを見たときは、これはもう駄目だと思った。
漸く、このまま見ていてはやはり危険すぎると一歩踏み出しかけたまさにその時、緑花が突如として世子から離れた。
緑花は逃げるように、気絶した世子一人を残して走り去った。
光宗は慌てて倒れた世子に駆け寄り、脈や息遣いを確かめ、世子が無事であることを確認した。
ぐったりとした世子を抱きかかえながら、彼は漸く柳内官の進言が嘘ではなかったのだと思い知らされた。
張緑花は、ただの女官ではない。それは今日の彼女を見て、ひとめで知れた。恐らくは刺客だろう。それにしても、彼女の標的は誰なのか。世子を手にかけようとしたからには、世子を邪魔者だと思う一味の仕業だろうが、そんな輩は一人―考えたくもないが、左議政孔賢明くらいしか思い浮かばない。
しかし、伯父は一見狡猾そうで何でもやりそうに見えるが、なかなか小心で、危ない橋を渡ることはまずない。成功すれば良いが、失敗すれば己れの首を絞めることになる世子暗殺などを簡単に企んだりはしない。つまりは、それほどの度胸もないが、そこまで無謀な賭けに出る愚か者でもないということだ。
だとすれば、一体、誰が幼い世子を亡き者にしようとするだろうか?
光宗は思い当たる人物を一人一人数え上げてみたが、いずれも腹黒いが保身を最優先させる大臣たちばかりで、ここまで思い切ったことをやりそうな者はいない。
と、彼の中で閃くものがあった。
一人の男の貌が暗闇の中にぽっかりと浮かぶ。上辺だけは穏やかで柔和な好々爺といった風を装っているけれど、その下にどれだけ怖ろしい素顔を隠し持っているかを光宗は知っている。不敵な笑みを浮かべ、こちらを見下したような視線を寄越す―、それが領議政孫尚善の正体だ。
派閥を抜きにして考えれば、己れの身を危うくする危険を冒してまでも大それた謀を巡らせそうなのは孫尚善しかいない。
緑花が何者かの命を受けて王宮に忍び込んだ刺客であるのは確実だが、仮に領(ヨン)相大(サンテー)監(ガン)の意を受けたとすれば、何故、領議政の孫である世子を緑花が狙うのかが判らなくなる。
唐突にある考えに行きついて、光宗は思わず息を呑む。
もし、緑花が領議政を裏切ったのだとしたら?
それは怖ろしい予感を伴って、光宗の心を稲妻のように駆け抜けた。
もし、緑花が領議政を裏切って世子を殺そうとしたのだとしたら?
緑花は間違いなく消されるだろう。
彼女が何故、そのような無謀ともいえる行動に出たその理由は概ね察しがついた。
他ならぬ自分のせいだ。
領議政が恐らく、国王光宗を暗殺せよと命じたのは間違いない。世子の外祖父であり、先王の中殿、今は大妃となっている孫氏の父領議政にとって、最も目障りなのが国王だからだ。
仮に永宗が若くして崩御しなければ、何の問題もなかった。永宗の後はその嫡流の王子誠徳君が継ぐはずだった。しかし、永宗の崩御によって、領議政の深遠な野望は阻まれたかに見えた。永宗の崩御時、誠徳君はまだ二歳にすぎず、朝廷の大臣の大半は永宗の同母弟慎徳君に次期王位継承を願った。時に十四歳の慎徳君がその声に推されて即位、光宗となった。
光宗―彼自身は考えても望んでもいなかったことだった。光宗の即位後二年を経て大王大妃の垂簾の政が終わり、漸く親政が始まった。自ら政務を執るようになった直後、光宗は亡き兄の忘れ形見であり、先王の遺児誠徳君を自ら世子に冊封した。先王の遺児を世子に立てたことで、領議政初め朝廷に
―朕(わたし)には我が血を分けた子に次の王位を譲るつもりはない。
と、宣言し、意思表示を明確にしたつもりだった。
が、猜疑心の強い領議政がそれだけで納得するとは思えず、周囲の勧めも無視し、中殿はおろか側室さえ迎えずに通してきたのだ。
声をかけるのもはばかられる緊迫した雰囲気と危うさが二人を取り巻いていた。光宗は物陰から、しばらく二人を見守っていた。
と、突如として、緑花が世子の首に手をかけたのである。
咄嗟に二人の前に駆けてゆこうとした光宗は、思いどおりに動こうとせぬ身体が歯がゆかった。一度は世子から手を放した緑花だったが、ややあって、再び世子に近づいたのを見たときは、これはもう駄目だと思った。
漸く、このまま見ていてはやはり危険すぎると一歩踏み出しかけたまさにその時、緑花が突如として世子から離れた。
緑花は逃げるように、気絶した世子一人を残して走り去った。
光宗は慌てて倒れた世子に駆け寄り、脈や息遣いを確かめ、世子が無事であることを確認した。
ぐったりとした世子を抱きかかえながら、彼は漸く柳内官の進言が嘘ではなかったのだと思い知らされた。
張緑花は、ただの女官ではない。それは今日の彼女を見て、ひとめで知れた。恐らくは刺客だろう。それにしても、彼女の標的は誰なのか。世子を手にかけようとしたからには、世子を邪魔者だと思う一味の仕業だろうが、そんな輩は一人―考えたくもないが、左議政孔賢明くらいしか思い浮かばない。
しかし、伯父は一見狡猾そうで何でもやりそうに見えるが、なかなか小心で、危ない橋を渡ることはまずない。成功すれば良いが、失敗すれば己れの首を絞めることになる世子暗殺などを簡単に企んだりはしない。つまりは、それほどの度胸もないが、そこまで無謀な賭けに出る愚か者でもないということだ。
だとすれば、一体、誰が幼い世子を亡き者にしようとするだろうか?
光宗は思い当たる人物を一人一人数え上げてみたが、いずれも腹黒いが保身を最優先させる大臣たちばかりで、ここまで思い切ったことをやりそうな者はいない。
と、彼の中で閃くものがあった。
一人の男の貌が暗闇の中にぽっかりと浮かぶ。上辺だけは穏やかで柔和な好々爺といった風を装っているけれど、その下にどれだけ怖ろしい素顔を隠し持っているかを光宗は知っている。不敵な笑みを浮かべ、こちらを見下したような視線を寄越す―、それが領議政孫尚善の正体だ。
派閥を抜きにして考えれば、己れの身を危うくする危険を冒してまでも大それた謀を巡らせそうなのは孫尚善しかいない。
緑花が何者かの命を受けて王宮に忍び込んだ刺客であるのは確実だが、仮に領(ヨン)相大(サンテー)監(ガン)の意を受けたとすれば、何故、領議政の孫である世子を緑花が狙うのかが判らなくなる。
唐突にある考えに行きついて、光宗は思わず息を呑む。
もし、緑花が領議政を裏切ったのだとしたら?
それは怖ろしい予感を伴って、光宗の心を稲妻のように駆け抜けた。
もし、緑花が領議政を裏切って世子を殺そうとしたのだとしたら?
緑花は間違いなく消されるだろう。
彼女が何故、そのような無謀ともいえる行動に出たその理由は概ね察しがついた。
他ならぬ自分のせいだ。
領議政が恐らく、国王光宗を暗殺せよと命じたのは間違いない。世子の外祖父であり、先王の中殿、今は大妃となっている孫氏の父領議政にとって、最も目障りなのが国王だからだ。
仮に永宗が若くして崩御しなければ、何の問題もなかった。永宗の後はその嫡流の王子誠徳君が継ぐはずだった。しかし、永宗の崩御によって、領議政の深遠な野望は阻まれたかに見えた。永宗の崩御時、誠徳君はまだ二歳にすぎず、朝廷の大臣の大半は永宗の同母弟慎徳君に次期王位継承を願った。時に十四歳の慎徳君がその声に推されて即位、光宗となった。
光宗―彼自身は考えても望んでもいなかったことだった。光宗の即位後二年を経て大王大妃の垂簾の政が終わり、漸く親政が始まった。自ら政務を執るようになった直後、光宗は亡き兄の忘れ形見であり、先王の遺児誠徳君を自ら世子に冊封した。先王の遺児を世子に立てたことで、領議政初め朝廷に
―朕(わたし)には我が血を分けた子に次の王位を譲るつもりはない。
と、宣言し、意思表示を明確にしたつもりだった。
が、猜疑心の強い領議政がそれだけで納得するとは思えず、周囲の勧めも無視し、中殿はおろか側室さえ迎えずに通してきたのだ。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
早く惚れてよ、怖がりナツ
ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。
このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。
そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。
一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて…
那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。
ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩
《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
Please,Call My Name
叶けい
BL
アイドルグループ『star.b』最年長メンバーの桐谷大知はある日、同じグループのメンバーである櫻井悠貴の幼なじみの青年・雪村眞白と知り合う。眞白には難聴のハンディがあった。
何度も会ううちに、眞白に惹かれていく大知。
しかし、かつてアイドルに憧れた過去を持つ眞白の胸中は複雑だった。
大知の優しさに触れるうち、傷ついて頑なになっていた眞白の気持ちも少しずつ解けていく。
眞白もまた大知への想いを募らせるようになるが、素直に気持ちを伝えられない。
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
愛され末っ子
西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。
リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。
(お知らせは本編で行います。)
********
上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます!
上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、
上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。
上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的
上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン
上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。
てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。
(特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。
琉架の従者
遼(はる)琉架の10歳上
理斗の従者
蘭(らん)理斗の10歳上
その他の従者は後々出します。
虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。
前半、BL要素少なめです。
この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。
できないな、と悟ったらこの文は消します。
※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。
皆様にとって最高の作品になりますように。
※作者の近況状況欄は要チェックです!
西条ネア
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる