32 / 66
闇に咲く花~王を愛した少年~㉜
しおりを挟む
「私は母上が怖いのだ。ちょっとしたことですぐに〝世子らしくないふるまいだ〟とお怒りになられ、私を鞭打たれる」
「―」
誠恵は何も言うべき言葉を持たなかった。
考えた末、漸く口にできたのは、ありきたりな言葉でしかなかった。
「大妃さまも世子邸下の御事を誰よりおん大切に思し召しているからにございましょう。子を思う親は必要以上に厳しくなるものにございます」
それでも、幼い王子には慰めになったようで、背中越しに聞こえてくる声に幾分元気が戻ったようだ。
「そうであろうか、緑花。母上は真に私を可愛いと思し召しているのであろうか」
誠恵は胸が熱くなった。
「この世の中に我が子を可愛いと思わぬ親などおりませぬ。それは畏れながら王室の方々においても、私たち下々の民においても同じことかと存じます」
わずか七歳の子が母親をこれほどまでに恋しがっている。
誠恵は先刻、対面したばかりの孫大妃の容貌を思い出していた。
確かに美しい女人ではあった。だが、喩えるなら凍った三日月のような冷ややかな美貌は、いささかの温かみも人間らしさも感じさせない。女好きで知られた永宗がこれほどに美しい王妃を遠ざけ、側室たちの間を渡り歩いていたのも少しは理由が判ったような気がしたものだ。
この大妃といても、永宗は少しも寛げなかったろう。むしろ、冷ややかな視線に居たたまれず、逃げ出したくなったはずだ。
―ホウ、石榴か。見事なものだな。まるで一幅の絵のようだ。この出来であれば、嫁ぐ翁主も歓ばれるに違いない。
―石榴は縁起の良いものでございますゆえ、おめでたいご婚礼にはふさわしいと思いまして。
石榴は子孫繁栄の象徴である。誠恵の言葉に、大妃は幾度も満足げに頷いていた。
が、次の瞬間、誠恵はヒヤリと冷たいものが走るのを感じた。
―時にそなたは国王殿下のご寵愛を受けていると聞く。しかも、殿下おん自ら正式な側室とし位階も賜ると仰せがあると申すではないか。既に殿下の恩寵を賜り月日が経つにも拘わらず、何ゆえ、そのありがたきお言葉を無下に致すのだ?
誠恵は恐る恐る面を上げ、大妃を見た。
射貫くような双眸が真っすぐに自分を見ている。鋭い視線は、どんな小さな嘘でも見抜いてしまいそうで、誠恵は思わず眼を伏せ、うつむいていた。
―わ、私は身分も低く、賤しい身にございます。殿下のお側に上がるなど、滅相もないことにございます。
―ならば、何ゆえ、殿下のご寵愛をずっと頂いておる? ふさわしくないと自分で思うなら、宮殿を去るべきではないのか?
何も言えず、うつむいたままの誠恵に、大妃は幾分優しい声で続けた。
―何も私はそなたを責めておるわけではない。殿下は私の亡き良人の弟君であり、私にとっても義弟になられる。立場から申せば、大妃たる私は、殿下の母だ。なればこそ、殿下のおんゆく末が心配なのだ。目下のところ、殿下には中殿どころか、定まった後宮の一人すらおらぬ。このままでは御子のご生誕もないと朝廷でも先行きに不安を感じている。私は確かに世子の生母ではあるが、同時に殿下の母でもあるゆえ、殿下に一日も早く正室なり側室なりをお迎え頂いて、温かなご家庭を築いて頂きたい。そなたも殿下をお慕いしておるならば、疾く思し召しをありがたくお受けしなさい。
恐らく、大妃は悪い人ではないのだろう。むしろ、あまりにも厳格すぎて冷たい印象を与えることで損をしている。あの言葉からは、義弟への配慮が感じられたし、心からのものであることも判った。
厳格に対処するのは、息子に対しても同じらしい。そのために、幼い王子は母の愛情を信じられなくなっているのだろう。
大妃殿が見えてきた時、背中の王子が言った。
「緑花、また、逢ってくれるか? 今度は私と一緒に遊ぼう」
何とも無邪気な誘いであった。
一瞬、躊躇ったものの、結局は頷いた。
「畏まりました」
大妃殿に着くと、女官に王子を渡し、そのまま誠恵は元来た道を引き返した。
その後ろ姿を誠徳君は名残惜しそうに見送っていた―。
「―」
誠恵は何も言うべき言葉を持たなかった。
考えた末、漸く口にできたのは、ありきたりな言葉でしかなかった。
「大妃さまも世子邸下の御事を誰よりおん大切に思し召しているからにございましょう。子を思う親は必要以上に厳しくなるものにございます」
それでも、幼い王子には慰めになったようで、背中越しに聞こえてくる声に幾分元気が戻ったようだ。
「そうであろうか、緑花。母上は真に私を可愛いと思し召しているのであろうか」
誠恵は胸が熱くなった。
「この世の中に我が子を可愛いと思わぬ親などおりませぬ。それは畏れながら王室の方々においても、私たち下々の民においても同じことかと存じます」
わずか七歳の子が母親をこれほどまでに恋しがっている。
誠恵は先刻、対面したばかりの孫大妃の容貌を思い出していた。
確かに美しい女人ではあった。だが、喩えるなら凍った三日月のような冷ややかな美貌は、いささかの温かみも人間らしさも感じさせない。女好きで知られた永宗がこれほどに美しい王妃を遠ざけ、側室たちの間を渡り歩いていたのも少しは理由が判ったような気がしたものだ。
この大妃といても、永宗は少しも寛げなかったろう。むしろ、冷ややかな視線に居たたまれず、逃げ出したくなったはずだ。
―ホウ、石榴か。見事なものだな。まるで一幅の絵のようだ。この出来であれば、嫁ぐ翁主も歓ばれるに違いない。
―石榴は縁起の良いものでございますゆえ、おめでたいご婚礼にはふさわしいと思いまして。
石榴は子孫繁栄の象徴である。誠恵の言葉に、大妃は幾度も満足げに頷いていた。
が、次の瞬間、誠恵はヒヤリと冷たいものが走るのを感じた。
―時にそなたは国王殿下のご寵愛を受けていると聞く。しかも、殿下おん自ら正式な側室とし位階も賜ると仰せがあると申すではないか。既に殿下の恩寵を賜り月日が経つにも拘わらず、何ゆえ、そのありがたきお言葉を無下に致すのだ?
誠恵は恐る恐る面を上げ、大妃を見た。
射貫くような双眸が真っすぐに自分を見ている。鋭い視線は、どんな小さな嘘でも見抜いてしまいそうで、誠恵は思わず眼を伏せ、うつむいていた。
―わ、私は身分も低く、賤しい身にございます。殿下のお側に上がるなど、滅相もないことにございます。
―ならば、何ゆえ、殿下のご寵愛をずっと頂いておる? ふさわしくないと自分で思うなら、宮殿を去るべきではないのか?
何も言えず、うつむいたままの誠恵に、大妃は幾分優しい声で続けた。
―何も私はそなたを責めておるわけではない。殿下は私の亡き良人の弟君であり、私にとっても義弟になられる。立場から申せば、大妃たる私は、殿下の母だ。なればこそ、殿下のおんゆく末が心配なのだ。目下のところ、殿下には中殿どころか、定まった後宮の一人すらおらぬ。このままでは御子のご生誕もないと朝廷でも先行きに不安を感じている。私は確かに世子の生母ではあるが、同時に殿下の母でもあるゆえ、殿下に一日も早く正室なり側室なりをお迎え頂いて、温かなご家庭を築いて頂きたい。そなたも殿下をお慕いしておるならば、疾く思し召しをありがたくお受けしなさい。
恐らく、大妃は悪い人ではないのだろう。むしろ、あまりにも厳格すぎて冷たい印象を与えることで損をしている。あの言葉からは、義弟への配慮が感じられたし、心からのものであることも判った。
厳格に対処するのは、息子に対しても同じらしい。そのために、幼い王子は母の愛情を信じられなくなっているのだろう。
大妃殿が見えてきた時、背中の王子が言った。
「緑花、また、逢ってくれるか? 今度は私と一緒に遊ぼう」
何とも無邪気な誘いであった。
一瞬、躊躇ったものの、結局は頷いた。
「畏まりました」
大妃殿に着くと、女官に王子を渡し、そのまま誠恵は元来た道を引き返した。
その後ろ姿を誠徳君は名残惜しそうに見送っていた―。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
気の遣い方が斜め上
りこ
BL
俺には同棲している彼氏がいる。だけど、彼氏には俺以外に体の関係をもっている相手がいる。
あいつは優しいから俺に別れるとは言えない。……いや、優しさの使い方間違ってねえ?
気の遣い方が斜め上すぎんだよ!って思っている受けの話。
魂なんて要らない
かかし
BL
※皆様の地雷や不快感に対応しておりません
※少しでも不快に感じたらブラウザバックor戻るボタンで記憶ごと抹消しましょう
理解のゆっくりな平凡顔の子がお世話係で幼馴染の美形に恋をしながらも報われない不憫な話。
或いは、ブラコンの姉と拗らせまくった幼馴染からの好意に気付かずに、それでも一生懸命に生きようとする不憫な子の話。
着地点分からなくなったので一旦あげましたが、消して書き直すかもしれないし、続きを書くかもしれないし、そのまま放置するかもしれないし、そのまま消すかもしれない。
春を拒む【完結】
璃々丸
BL
日本有数の財閥三男でΩの北條院環(ほうじょういん たまき)の目の前には見るからに可憐で儚げなΩの女子大生、桜雛子(さくら ひなこ)が座っていた。
「ケイト君を解放してあげてください!」
大きなおめめをうるうるさせながらそう訴えかけてきた。
ケイト君────諏訪恵都(すわ けいと)は環の婚約者であるαだった。
環とはひとまわり歳の差がある。この女はそんな環の負い目を突いてきたつもりだろうが、『こちとらお前等より人生経験それなりに積んどんねん────!』
そう簡単に譲って堪るか、と大人げない反撃を開始するのであった。
オメガバな設定ですが設定は緩めで独自設定があります、ご注意。
不定期更新になります。
やり直せるなら、貴方達とは関わらない。
いろまにもめと
BL
俺はレオベルト・エンフィア。
エンフィア侯爵家の長男であり、前世持ちだ。
俺は幼馴染のアラン・メロヴィングに惚れ込み、恋人でもないのにアランは俺の嫁だと言ってまわるというはずかしい事をし、最終的にアランと恋に落ちた王太子によって、アランに付きまとっていた俺は処刑された。
処刑の直前、俺は前世を思い出した。日本という国の一般サラリーマンだった頃を。そして、ここは前世有名だったBLゲームの世界と一致する事を。
こんな時に思い出しても遅せぇわ!と思い、どうかもう一度やり直せたら、貴族なんだから可愛い嫁さんと裕福にのんびり暮らしたい…!
そう思った俺の願いは届いたのだ。
5歳の時の俺に戻ってきた…!
今度は絶対関わらない!
雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
平凡顔のΩですが、何かご用でしょうか。
無糸
BL
Ωなのに顔は平凡、しかも表情の変化が乏しい俺。
そんな俺に番などできるわけ無いとそうそう諦めていたのだが、なんと超絶美系でお優しい旦那様と結婚できる事になった。
でも愛しては貰えて無いようなので、俺はこの気持ちを心に閉じ込めて置こうと思います。
___________________
異世界オメガバース、受け視点では異世界感ほとんど出ません(多分)
わりかし感想お待ちしてます。誰が好きとか
現在体調不良により休止中 2021/9月20日
最新話更新 2022/12月27日
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる