闇に咲く花~王を愛した少年~

めぐみ

文字の大きさ
上 下
31 / 66

闇に咲く花~王を愛した少年~㉛

しおりを挟む
 愚かなことだ。一体、王を殺すつもりがあるのか、いや、殺せるのか。こんな不安定で宙ぶらりんな心のまま、〝任務〟が果たせるはずがない。万が一、任務に失敗すれば、自分の生命はないだろう。それは構いはしないが、月華楼の女将香月は孫尚善の言葉を改めてはっきりと伝えてきた。
―任務に失敗したときは、家族の生命は亡きものと思え。
 どこまで冷酷な男なのだろう。今や、誠恵の生命だけでなく、家族の生命まで、あの男の手のひらにある。任務を引き受けなくとも、家族を殺すと脅されたし、たとえ引き受けたとしても、失敗したら、殺すと言う。
 まるで他人の生命を虫けら同然にしか思ってはおらぬ最低の男だ。
 光宗を心から愛してはいるが、家族の安全を思えば、殺さないわけにはゆかない。誠恵にとっては、やはり最優先するべきなのは、家族なのだから―。
 そう割り切ろうとしても、光宗の優しい笑顔を思い出す度に、胸は切なく痛む。愛する男と家族への情の狭間で誠恵の心は大きく揺れていた。
 想いに耽っていた誠恵はハッと我に返った。前方で誠徳君が転んで、泣いている。
 自分の立場も顧みず、誠恵は駆け出した。
「世子(セイジヤ)邸(チヨ)下(ハ)」
 誠恵は誠徳君に駆け寄ると、しゃがみ込み、その顔を覗き込む。
「大事ございませぬか?」
 可哀想に、幼い王子は膝をすりむいたらしい。
「失礼致します。少しだけ、お怪我の具合を見させて下さいませね」
 優しく言い聞かせ、誠徳君のズボンを捲った誠恵は息を呑んだ。
「―!」
 怪我に愕いたのではない。左の膝小僧から薄く血が滲んでいたものの、怪我そのものはたいしたことはない。ひどく泣いているのは、幼い子どもにとっては、やはり衝撃を受けたからだろう。
 誠恵が驚愕したのは、誠徳君の脹ら脛に鞭で打たれた跡が惨たらしく紫色となって残っているからだった。
 世子である先王の第七王子を鞭で打てるのは一人しかいない。世子の生母、孫大妃だけだ。
 この傷痕は一度や二度ではなさそうだ。転んでできた擦り傷よりも、こちらの方がよほど重傷に見える。
「世子邸下、お歩きになれますか?」
 だが、一介の女官の身で、大妃の所業について触れることはできない。酷い傷痕には知らぬふりをするしかなかった。
 七歳の王子は、ただ泣きじゃくるばかりだ。
 誠恵は仕方なく、しゃがみ込んだまま背を向けた。
「さあ、お乗り下さいませ。私が世子邸下を大妃殿までお送り致します」
 と、王子がふっと泣き止んだ。
「そなたは見たところ、か弱い女人ではないか。男たる者、女に負ぶわれるわけにはゆかぬ」
 口だけは大人顔負けなのに、内心吹き出しそうになってしまい、慌てて笑いを堪えるのに苦労しなければならなかった。
「ご心配には及びませぬ、こう見えても、力はございますゆえ、世子邸下を大妃殿までお連れするなど造作もなきことにございます」
 その言葉で幼い王子は漸く納得したらしい。素直に誠恵に負われた。大妃殿に戻る道すがら、王子が問いかけてくる。
「そなたは、どの宮の女官なのだ?」
「私は趙尚宮さまにお仕えする女官の張緑花にございます。世子邸下は、お伴の女官も連れず、お一人でいらしたのですか?」
 大抵、国王にしろ世子にしろ、宮殿内を移動する際でも、大勢の伴が付き従う。内官、尚宮、女官と総勢十数人ほどで物々しい行列を作って移動するのである。
 それを考えれば、世子である王子がこのような場所に一人きりでいること自体がおかしい。
「お付きの尚宮や女官たちは皆、母上(オバママ)の言いなりだ。私がいちいち何をしたと言いつけては、母上を怒らせる。だから、わざと宮を抜け出してやるんだ」
 利かん気そうな物言いに、誠恵はクスリと笑った。
「それは大変ではございませんか。今頃、世子邸下がいらっしゃらないのに気付いた尚宮さまが大騒ぎなさっていることでしょう」
「―緑花、私は母上が嫌いではないが、好きでもない」
 七歳の童子が母親を好きではないというのも妙な話だ。もしや、王子の大妃への気持ちがあの惨たらしい傷痕と関係しているのではないかと思ったが、口に出せるはずもない。
しおりを挟む
☆ついに若き国王が寵姫の正体を知る! 美しき女官は実は、領議政が国王暗殺のために後宮に送り込んだ刺客の少年であった。真実を知った光宗は、緑花が男と知りながら、敢えて寝所に呼ぶがー。残酷な運命に翻弄される二人。朝鮮王朝時代、激動の中で美しく開き、一瞬で散った儚い恋のゆくえはー。ご覧頂き、ありがとうございます。大体、週に一度くらいの更新です。よろしければ、ご覧戴けますと幸いです。
感想 0

あなたにおすすめの小説

ハルとアキ

花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』 双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。 しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!? 「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。 だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。 〝俺〟を愛してーー どうか気づいて。お願い、気づかないで」 ---------------------------------------- 【目次】 ・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉 ・各キャラクターの今後について ・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉 ・リクエスト編 ・番外編 ・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉 ・番外編 ---------------------------------------- *表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) * ※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。 ※心理描写を大切に書いてます。 ※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

某国の皇子、冒険者となる

くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。 転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。 俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために…… 異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。 主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。 ※ BL要素は控えめです。 2020年1月30日(木)完結しました。

いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう
BL
 オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。  世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。  バランサー。  アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。  これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。  裏社会のトップにして最強のアルファ攻め  ×  最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け ※オメガバース特殊設定、追加性別有り .

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【本編完結】明日はあなたに訪れる

松浦そのぎ
BL
死してなお隣にいたい。ワンコ系×マイペース ※一応死ネタですが、最後まで二転三転するのでぜひ最後まで。 死を望む人達と生を望む人達、その両方のために 心臓さえも生きている人からの移植が認められた世界。 『俺』の提供者になってくれるというおにいさんは提供を決意したきっかけのお話をしてくれました。 それは、甘酸っぱくて幸せで、儚い、お話。 -------------------- 別サイトで完結済みのものを移動。 モデル×(別のモデルの)マネージャー 執着強めイケメン×担当モデルにぞっこん美人

早く惚れてよ、怖がりナツ

ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。 このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。 そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。 一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて… 那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。 ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩 《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

処理中です...