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闇に咲く花~王を愛した少年~㉖
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だが、いずれ、あの女狐の尻尾を掴んでみせる。このお方は朝鮮にとって得難い、大切なお方だ。このお方が玉座にある限り、この国は国王の聖恩が光となり、遍く照らされ、栄えるだろう。
あのような妖婦のために、この方を死なせてはならない。
それにしても、一体、何が目的で宮殿に紛れ込み、王に近づいたのだろうか。国王暗殺は、あのような小娘一人で考えつく謀(はかりごと)ではない。恐らく、背後に大物が黒幕として控え、あの娘を操っているはずだ。
まずは、張緑花という娘の正体を暴く必要がある。あの娘が何者かが判れば、糸を辿ってゆけば、いずれ繋がっている先にも辿り着くはず。応えは自ずと知れる。
とりあえず、あの小娘の身許を念入りに調べるのだ。
柳内官は内子(ネジヤ)院(イン)という内侍の養成所で内官となるべく様々な訓練を受け、試験に合格した。内子院時代の同級生は全員試験に合格し、今は内侍府のそれぞれの部署に配属され、国王殿下のために忠勤を励んでいる。男根を切った内官というのは、血の繋がりを自ら絶ったがゆえに、内子院の友を生涯の友とし血の繋がった肉親以上に重んじる。柳内官にもそういった友が何人かいて、その中でもとりわけ親しくしている内官が監察(カムチヤル)部長を務めていた。
監察部は、内密に探り出すことにかけてはプロ級のプロともいえる。彼に頼めば、張緑花の正体も直に知れるというものだ。
―国王殿下は、私がこの生命に代えてもお守りする。
柳内官は敗北の惨めさに打ちひしがれながらも、強い決意を秘め、御前を退出した。
その夜、光宗は伽耶琴(カヤグム)の嫋嫋とした音色に耳を傾けていた。想い人の白いほっそりとした指先がつまびく度、琴は得も言われぬ音色を奏で、その音は彼がこの美しい女に心奪われているのと同じほどに心をかき乱し、恍惚とさせる。
「緑花」
ふいに名を呼ばれ、たおやかな手がふっと止まった。この天上の楽の音(ね)にも勝るとも劣らぬ音色を中断させた―そのような話をせねばならぬ原因を作った男―柳内官が恨めしい。
「はい、何でございましょう」
ここは、いつもの場所。先代の妃の一人が住まっていたという殿舎の一つである。
蝶を象った燭台の蝋燭は既に残り半分ほどになっている。淡い光に照らし出された緑花の顔が幾分蒼褪めているように見えるのは、気のせいだろうか。
最愛の女を疑う心は微塵もなかったが、光宗はそれでも注意深く緑花の顔を見ながら話を切り出した。
「今日の昼過ぎに、そなたはどこで何をしておった?」
緑花の可愛らしい面に怪訝な表情が浮かび上がる。小首を傾げ、無心な黒い瞳を光宗に向けた。
「それは、どういう意味にございましょうか?」
「別に深い意味はない、ただ、言葉どおりに受け取れば良い」
そう言ってやると、緑花は淀みなく応えた。
「今日の昼過ぎなら、私は薬房にいたと存じます、殿下」
その顔には僅かの躊躇いも気後れもなかった。やはり、柳内官の進言は偽りだったのだ―と、光宗は内心、頷く。
「そなた、そこで柳内官と顔を合わせたのではないか?」
今度も緑花からは、すぐに反応があった。
「はい。確かに一瞬でしたが、お逢いしました。それが何か?」
王は緑花の眼を真正面から見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「その時、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと、にございますか?」
緑花は眼をまたたかせ、しばし考え込んだ。
「特にございませんでしたけど」
そう応えてから、〝あっ〟と小さな声を上げた。
「そういえば、柳内官はとても怖いお顔をしておいででした。私が薬房にいるので、何をしているのだとお訊ねになったと思います」
「それで、そなたは何を致していたのだ?」
―何故、そのようなことをお訊ねになるのですか?
緑花の黒い瞳がそう言っているような気がして、光宗は慌てて眼を背けた。
緑花は何かを思い出すような眼で、少しずつ言葉を吟味するように応える。
この場の雰囲気から、迂闊なことは口にできないと判断したのだろう。天真爛漫ではあるが、そういった場の空気を読むだけの聡さはある少女だ。
あのような妖婦のために、この方を死なせてはならない。
それにしても、一体、何が目的で宮殿に紛れ込み、王に近づいたのだろうか。国王暗殺は、あのような小娘一人で考えつく謀(はかりごと)ではない。恐らく、背後に大物が黒幕として控え、あの娘を操っているはずだ。
まずは、張緑花という娘の正体を暴く必要がある。あの娘が何者かが判れば、糸を辿ってゆけば、いずれ繋がっている先にも辿り着くはず。応えは自ずと知れる。
とりあえず、あの小娘の身許を念入りに調べるのだ。
柳内官は内子(ネジヤ)院(イン)という内侍の養成所で内官となるべく様々な訓練を受け、試験に合格した。内子院時代の同級生は全員試験に合格し、今は内侍府のそれぞれの部署に配属され、国王殿下のために忠勤を励んでいる。男根を切った内官というのは、血の繋がりを自ら絶ったがゆえに、内子院の友を生涯の友とし血の繋がった肉親以上に重んじる。柳内官にもそういった友が何人かいて、その中でもとりわけ親しくしている内官が監察(カムチヤル)部長を務めていた。
監察部は、内密に探り出すことにかけてはプロ級のプロともいえる。彼に頼めば、張緑花の正体も直に知れるというものだ。
―国王殿下は、私がこの生命に代えてもお守りする。
柳内官は敗北の惨めさに打ちひしがれながらも、強い決意を秘め、御前を退出した。
その夜、光宗は伽耶琴(カヤグム)の嫋嫋とした音色に耳を傾けていた。想い人の白いほっそりとした指先がつまびく度、琴は得も言われぬ音色を奏で、その音は彼がこの美しい女に心奪われているのと同じほどに心をかき乱し、恍惚とさせる。
「緑花」
ふいに名を呼ばれ、たおやかな手がふっと止まった。この天上の楽の音(ね)にも勝るとも劣らぬ音色を中断させた―そのような話をせねばならぬ原因を作った男―柳内官が恨めしい。
「はい、何でございましょう」
ここは、いつもの場所。先代の妃の一人が住まっていたという殿舎の一つである。
蝶を象った燭台の蝋燭は既に残り半分ほどになっている。淡い光に照らし出された緑花の顔が幾分蒼褪めているように見えるのは、気のせいだろうか。
最愛の女を疑う心は微塵もなかったが、光宗はそれでも注意深く緑花の顔を見ながら話を切り出した。
「今日の昼過ぎに、そなたはどこで何をしておった?」
緑花の可愛らしい面に怪訝な表情が浮かび上がる。小首を傾げ、無心な黒い瞳を光宗に向けた。
「それは、どういう意味にございましょうか?」
「別に深い意味はない、ただ、言葉どおりに受け取れば良い」
そう言ってやると、緑花は淀みなく応えた。
「今日の昼過ぎなら、私は薬房にいたと存じます、殿下」
その顔には僅かの躊躇いも気後れもなかった。やはり、柳内官の進言は偽りだったのだ―と、光宗は内心、頷く。
「そなた、そこで柳内官と顔を合わせたのではないか?」
今度も緑花からは、すぐに反応があった。
「はい。確かに一瞬でしたが、お逢いしました。それが何か?」
王は緑花の眼を真正面から見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「その時、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと、にございますか?」
緑花は眼をまたたかせ、しばし考え込んだ。
「特にございませんでしたけど」
そう応えてから、〝あっ〟と小さな声を上げた。
「そういえば、柳内官はとても怖いお顔をしておいででした。私が薬房にいるので、何をしているのだとお訊ねになったと思います」
「それで、そなたは何を致していたのだ?」
―何故、そのようなことをお訊ねになるのですか?
緑花の黒い瞳がそう言っているような気がして、光宗は慌てて眼を背けた。
緑花は何かを思い出すような眼で、少しずつ言葉を吟味するように応える。
この場の雰囲気から、迂闊なことは口にできないと判断したのだろう。天真爛漫ではあるが、そういった場の空気を読むだけの聡さはある少女だ。
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