上 下
21 / 66

闇に咲く花~王を愛した少年~㉑

しおりを挟む
 賢明には三人の息子と二人の娘がいる。長女は二十二歳で既に嫁いでいるが、次女は十七歳で、まだ決まった相手もいない。賢明がこの二番目の娘を光宗の中殿にと野心を燃やしていることは周知の事実だが、当の光宗自身がそれを頑なに拒み続けているのだった。
 その時、誠恵は十八歳の少女らしく、頬をうっすらと染めて、いかにも恥ずかしげにうつむいた。そんな彼女を王は〝可愛い奴だ〟と、愛しげに眺めていたものだった―。
 誠恵は改めて背後を振り返った。大丈夫、尚薬が戻ってくるまでには、まだ十分時間がある。湯気を上げる土瓶に近づいた途端、周囲の温度が一挙に下がったような気がした。
 緊張のあまり震える手で布を取り、懐に手を差し入れ、小さな紙包みを取り出す。
 包みを開こうとしても、指がもつれて上手く動かない。まるで、自分の意思に反するかのように手脚が言うことをきかない。
 それでも、震える手を持て余しながらも、包みを解き、中の粉薬を土瓶にさっと流し入れた。
 ホウと、思わず深い吐息を吐く。これは月華楼の女将から持たされた薬だった。いずれ、時が来れば、この粉薬を王の飲食物の中に混ぜるのだと言いつけられていた。
 小さな薬包の中身が何であるかを知らされてはいないが、毒であるのは明らかだ。王の召し上がる食事はすべて毒味が済んだ上で御前に運ばれる。常識で考えれば、王の口にするものに毒を混入させるのは不可能ではあるが、ひと口に毒薬と言っても、実に様々な種類があるのだ。
 いつか聞いた話だが、毒薬の中には、すぐに効果を発揮せず徐々に体内に入り込み身体を蝕んで、やがては死に至らしめるという巧妙、かつ怖ろしい薬まであるそうな。香月が自分に持たせた毒薬も大方はその類の薬で、毒味の段階で毒だと容易には知れないものではないか。誠恵はそう見当をつけていた。
 この煎薬を光宗はいつものように疑いもせず服用するに相違ない。今夜か、明日の朝か、いつになるのかは判らないけれど、この薬はほぼ間違いなく王の生命を奪う。
 愛する男を自分はこの手で殺すのだ。
 この手で―。
 誠恵は両手のひらを眼の前にかざした。一瞬、その白い手がどす黒い血にまみれているような錯覚にとらわれ。
 誠恵は小さな叫び声を上げた。
 瞼に、血を吐きながら倒れる光宗の姿がありありと浮かぶ。この手を濡らすのは、他ならぬ愛しい男の吐いた血だ。
 手が、戦慄いた。七月の暑い盛りに寒いはずもないのに、まるで瘧にかかったかのように両手がふるふると震える。
 その時。
「そなた、このような場所で何をしている?」
 誠恵はハッと我に返った。
「柳内(リユウネ)官(ガン)」
 誠恵は、できるだけ笑顔が不自然に見えないように細心の注意を払った。
 柳内官は、尚薬を務める内官と親しく、この薬房にも頻繁に出入りしている。
 しまったと、後悔しても今更、遅かった。尚薬や医女の出入り時間は頭に叩き込んでいたのに、この部外者である柳内官のことまでは考えていなかったのだ。
「張(チヤン)女官(ナイン)、そなたが今どき、ここに何の用がるのだ?」
 大抵の男は―それが男根を切り取った内官であるとしても―、誠恵の可憐な微笑みを眼にしただけで、警戒心を解き、その笑顔に魅了された。しかし、この柳内官だけは、その女としての魅力を武器にできない唯一の男であった。
 案の定、柳内官は誠恵の笑顔にいささかも動ずることなく、眉一つ動かさない。
「趙尚(チヨンサン)宮さま(グンマーマ)が朝からずっと頭痛がすると仰って、お薬を頂きにきたの」
 可愛らしい声で応えると、柳内官は眉をわずかに顰めた。
「だが、薬房に入って、勝手に薬を探して良いということにはならぬだろう。尚薬どのの許可を得た上でのことなのか?」
 誠恵は困ったような表情で周囲を一瞥した。部屋の隅の薬種棚にはありとあらゆる薬の入った壺が所狭しと置かれ、天井からは日干しにした薬草が隙間なくぶら下がっている。
「ごめんなさい。趙尚宮さまがあまりにお苦しみでいらしたので、そこまで気が回らなくて。今度からは気をつけるわ。とこで、柳内官、肝心の頭痛に効く薬を頂けないかしら」
 柳内官はまだ疑いの眼で見ながらも、棚から一つの壺を取り、幾らか薬を分けてくれた。
「ありがとう」
 誠恵は紙に包まれた薬を渡されると、逃げるように薬房を出た。
 どうも、あの若い内官は苦手だ。誠恵は帰る道々、柳内官の整った貌を思い出していた。内官といえば、男性機能を失ったということで、色白ののっぺりとした中性的な風貌を想像しがちだが、実際には、そうではない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

スノードロップに触れられない

ヘタノヨコヅキ@商業名:夢臣都芽照
BL
*表紙* 題字&イラスト:niia 様 ※ 表紙の持ち出しはご遠慮ください (拡大版は1ページ目に挿入させていただいております!) アルファだから評価され、アルファだから期待される世界。 先天性のアルファとして生まれた松葉瀬陸真(まつばせ りくま)は、根っからのアルファ嫌いだった。 そんな陸真の怒りを鎮めるのは、いつだって自分よりも可哀想な存在……オメガという人種だ。 しかし、その考えはある日突然……一変した。 『四月から入社しました、矢車菊臣(やぐるま きくおみ)です。一応……先に言っておきますけど、ボクはオメガ性でぇす。……あっ。だからって、襲ったりしないでくださいねぇ?』 自分よりも楽観的に生き、オメガであることをまるで長所のように語る後輩……菊臣との出会い。 『職場のセンパイとして、人生のセンパイとして。後輩オメガに、松葉瀬センパイが知ってる悪いこと……全部、教えてください』 挑発的に笑う菊臣との出会いが、陸真の人生を変えていく。 周りからの身勝手な評価にうんざりし、ひねくれてしまった青年アルファが、自分より弱い存在である筈の後輩オメガによって変わっていくお話です。 可哀想なのはオメガだけじゃないのかもしれない。そんな、他のオメガバース作品とは少し違うかもしれないお話です。 自分勝手で俺様なアルファ嫌いの先輩アルファ×飄々としているあざと可愛い毒舌後輩オメガ でございます!! ※ アダルト表現のあるページにはタイトルの後ろに * と表記しておりますので、読む時はお気を付けください!! ※ この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない

バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《 根暗の根本君 》である地味男である< 根本 源 >には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染< 空野 翔 >がいる。 ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない?? イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。

若頭と小鳥

真木
BL
極悪人といわれる若頭、けれど義弟にだけは優しい。小さくて弱い義弟を構いたくて仕方ない義兄と、自信がなくて病弱な義弟の甘々な日々。

Pop Step

慰弦
BL
「私のために争うのは止めて!」 と声高々に教室へと登場し、人見知りのシャイボーイ(自称)と自己紹介をかました、そんな転校生から始まるBL学園ヒューマンドラマ。 彼から動き出す数多の想い。 得るものと、失うものとは? 突然やってきた転校生。 恋人を亡くした生徒会長。 インテリ眼鏡君に片想い中の健康男児。 お花と妹大好き無自覚インテリ眼鏡君。 引っ掻き回し要因の俺様わがまま君。 学校に出没する謎に包まれた撫子の君。 子供達の守護神レンタルショップ店員さん。 イケメンハーフのカフェ店員さん。 様々な人々が絡み合い、暗い過去や性への葛藤、家族との確執や各々の想いは何処へと向かうのか? 静創学園に通う学生達とOBが織り成す青春成長ストーリー。 よろしければご一読下さい!

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...