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闇に咲く花~王を愛した少年~⑮

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 光宗自身は、自分はあくまでも兄が亡くなったため、幼い甥が王位を継げる年令に達するまでの中継ぎにすぎないと考えているのだ。
 しかし、朝廷の大臣たちの意見は違った。光宗の王としての優れた資質は誰もが認めるところであった。あまりにも不敬ゆえ、誰もあからさまに口にはしないが、兄の永宗よりも弟の光宗の方がよほど王の器としてはふさわしいのは明らかである。
 彼等にしてみれば、海のものとも山のものとも知れぬ幼い世子よりも、既に〝この世に比類なき聖君〟と謳われる光宗に王妃を迎え、そのなした王子に王統を継承していって欲しいと願うのは当然だろう。
 皮肉なことに、光宗の王位への執着のなさが余計に〝このお方こそ、王としてふさわしい〟と周囲に思わせるのだ。歴代の王の中には〝聖君〟と呼ばれた賢君も少なくはないが、そんな優れた王であっても、やはり人の子、親であり、一度王位につけば、我が子を次の玉座に据えたいと願った。
 そのために、王位を巡っての血なまぐさい骨肉の争いが起きたのだ。しかし、光宗にはおよそ、そういった王位への執着がなかった。
 彼が考えるのは、明けても暮れても、民のことばかりだったのだ。光宗が敢えて王妃を迎えようとしないのは、無用な権力闘争を避けるためともいわれていた。
 誠恵の眼に、月を見上げる王の姿が映った。
 四阿に佇み、王は眺めるともなしに夜空を仰いでいる。王衣を纏った彼を見るのは、これが初めてであった。赤い龍袍は、金糸で天翔る龍を大胆に縫い取った王だけに許される正装だ。
 こんな時刻なのに、寛いだ衣服に着替えるわけでもなく、王は龍袍に身を包んでいる。
 王と間近に接するにつけ、誠恵は光宗という若き国王の人となりをより知ることができた。光宗は巷の噂以上の人物だ。
 穏やかな物腰と落ち着いた挙措は、何より、彼の人柄を表していた。時折、瞳に瞬く鋭い光は、彼がけして大人しいだけの男ではないことを物語っている。しかし、その眼光の鋭さが対する者に威圧感や恐怖感を与えないのは、相手を包み込むような大きさ、温かさが光宗の全身から滲み出ているからだ。
 到底十九歳とは思えぬ存在感は、既に彼が偉大な国王であることを示している。
 優れているのは何も内面だけではなく、容貌もまた〝緋牡丹のごとし〟とその美しさを謳われた母后仁彰王后ゆずりだった。愕くほどの長身で、武芸の鍛錬も欠かさぬ体軀は逞しく、気品と優美さだけでなく、精悍さも併せ持っている。整った容貌に王としての優れた資質、更には国王という地位―、これだけのものに恵まれている男は、どこを探してもいないだろう。
 そのため、朝廷の臣下たちは皆、己が娘を若い王の妻―つまり中殿にしたがった。いや、正室でなくとも、側室でも良いからとこいねがう者も跡を絶たなかったのである。それでも、王は、けして妻を持とうとはしなかった。
 光宗を知れば知るほど、誠恵の中に迷いが生じる。果たして、この輝ける太陽のような聖君を弑し奉ることがこの(朝)国(鮮)にどれほどの影響を与えるのか。そう考えただけで、あまりの怖ろしさに身が震えそうになるのだった。
 誠恵はわざと地面に落ちた枯れ枝を踏んだ。パキリと乾いた音が小さく夜陰に響き、光宗がハッとしたように振り返る。
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)」
 誠恵は、さも愕いた風を装い、その場で深々と頭を垂れた。
「このような場所にいらっしゃるとは存じませず、大変なご無礼を致しました。どうぞお許し下さいませ」
 顔を上げようともせず震えていると、ほどなく間近で王の声が聞こえた。
「緑花」
 誠恵は弾かれたように面を上げた。
 互いの呼吸さえ聞こえるほど近くに、王がひっそりと立っている。あまりの畏れ多さに、誠恵は更に動転して顔を伏せる。
「久しぶりであったな。宮殿の暮らしに少しは慣れたか?」
 誠恵は唇をわななかせ、震える声で言った。あの日、町で出逢った青年が国王であったと、今初めて知ったのだと相手に思わせるために、大袈裟に愕いて見せる。
「あまりに畏れ多いことにございます。よもや、私をお助け下さったお方が国王殿下でいらっしゃるとは、考えてみたこともございませんでした。知らぬこととは申せ、ご無礼の数々をどうか平にご容赦下さいませ」
「何を申すのだ。私が勝手に名乗らなかっただけのことだ。そなたが悪いのではない」
 光宗は優しい笑みを浮かべると、誠恵の手を取る。
 刹那、触れられた箇所に雷(いかづち)が走ったような気がして、誠恵は慌てて手を引っ込めた。
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