13 / 66
闇に咲く花~王を愛した少年~⑬
しおりを挟む
「何と、女官になると?」
王の整った面に軽い愕きがひろがる。
誠恵の眼に大粒の涙が溢れた。―むろん、嘘泣きである。
「私には最早、女官になるしか、生きる道はございませぬ」
王が息を呑む気配が伝わってきた。
「何ゆえ、そのように思いつめるのだ? 伯父上がここを出てゆけとでも申したのか?」
顔色を変えた王を、誠恵は哀しげな眼で見つめた。
「いいえ、左相大監は、そのようなことは少しも仰ってはおりませぬ。私の一存にございます」
「では、何故―」
王は勢い込んで言いかけ、自らを落ち着かせようとでもするかのように声を落とした。
「そなたは知らぬかもしれないが、女官の宿命(さだめ)というものは厳しい。生半な気持ちでは務まらぬぞ」
物問いたげな眼を向けると、王が小さな吐息をつく。
「後宮の女官を喩えた言葉に、このようなものがある。人知れず咲いて散る花、と」
「人知れず咲いて散る花」
誠恵が王の言葉をなぞると、王は吐息混じりに頷く。
「何故、女官がそのように喩えられるか、そなたには判るか?」
そっと首を振る。
「後宮に仕える女官はすべて、国王のものということになる。むろん、それはあくまでも建て前上で、現実には、すべての女官が国王の妃になるわけではない。しかし、ひとたび後宮に入って女官となれば、たとえ下っ端であろうとも王の女と見なされ、生涯、宮殿を出ることは許されず、婚姻も叶わなくなる」
「誰の眼にも触れることなく、ひっそりと咲き、手折られることもなく、散ってゆく。だから、人知れず咲いて散る花なのですね」
〝そうだ〟と、王はやるせなげに頷いた。
「そなたは幾つになる?」
問われ、誠恵は素直に応えた。
「十八になります」
「十八、か。その歳で人知れず咲いて散る花になる宿命を強いられるのは、あまりにも若すぎる。緑花、私は、そなたにそのような酷いさだめを荷したくはない」
王が心から誠恵のゆく末を案じているのだとは判る。
―この男は、優しい。
誠恵の心がしきりに疼く。この優しい男を自分は騙そうとするどころか、最後には生命さえ奪おうとしているのだ。
できることなら、現実から眼を背けたかった。
だが、誠恵と家族の生命は、あの卑劣な男―領議政に握られているのだ。今更、引き返せはできない。
誠恵は、いかにも哀しげな表情になる。
「旦那さま、お聞き下さいませ。私の実家は両班とはいえ、とても貧しく、父はしがない下級官吏にすぎませんでした。それでも、まだ父が生きていた頃は良かったのです。慎ましくしていれば、一家五人、何とか暮らしてゆくことはできました。でも、父が病で亡くなり、私たちは寄る辺を失い、その日食べる米にさえ事欠く有様となってしまいました。幼い弟や妹たちは腹が空いたと一日中泣きっ放しで、私は、そんな弟妹を見ていられず、母に自分から進んで妓生(キーセン)になると告げたのです」
腹を空かせた弟妹たちが泣いていた―というのは、満更、全くの嘘というわけではなかった。こんなときでさえ、あのときの妹や弟たちの泣き声を思い出しただけで、涙が溢れる。これは偽ではなく、まさしく本物だった。
「―」
王の端整な貌が強ばった。
「妓生に―、遊女になると、そなたは自分自身で母御に申したのか?」
このひと言で、王の心に大きく揺さぶりをかけることができた。手応えは十分ありそうだ。
誠恵はうなだれ、眼尻の涙をそっと拭う。
「はい、そうするしか他に私たち一家が生き延びるすべは最早ございませんでしたから。ですが、私の覚悟が足りなかったようにございます。私が身を売り、我が家に幾ばくかの金が渡り安堵したものの、いざ、客を取ることになると、怖じ気づいて逃げ出してきてしまったのです。妓楼を出てからというもの、追っ手に見つかって連れ戻されては一大事と、ずっと身を隠して逃げ回っておりました」
だから、女官になりたいのだと、誠恵は真摯な眼で訴えた。
「こうして旦那さまにお逢いできたのも、御仏のお導きにございましょう。同じ親孝行をするなら、妓生に身を堕として身売りするよりも、後宮の女官となって国王殿下のおんためにお仕えしとうございます」
王の整った面に軽い愕きがひろがる。
誠恵の眼に大粒の涙が溢れた。―むろん、嘘泣きである。
「私には最早、女官になるしか、生きる道はございませぬ」
王が息を呑む気配が伝わってきた。
「何ゆえ、そのように思いつめるのだ? 伯父上がここを出てゆけとでも申したのか?」
顔色を変えた王を、誠恵は哀しげな眼で見つめた。
「いいえ、左相大監は、そのようなことは少しも仰ってはおりませぬ。私の一存にございます」
「では、何故―」
王は勢い込んで言いかけ、自らを落ち着かせようとでもするかのように声を落とした。
「そなたは知らぬかもしれないが、女官の宿命(さだめ)というものは厳しい。生半な気持ちでは務まらぬぞ」
物問いたげな眼を向けると、王が小さな吐息をつく。
「後宮の女官を喩えた言葉に、このようなものがある。人知れず咲いて散る花、と」
「人知れず咲いて散る花」
誠恵が王の言葉をなぞると、王は吐息混じりに頷く。
「何故、女官がそのように喩えられるか、そなたには判るか?」
そっと首を振る。
「後宮に仕える女官はすべて、国王のものということになる。むろん、それはあくまでも建て前上で、現実には、すべての女官が国王の妃になるわけではない。しかし、ひとたび後宮に入って女官となれば、たとえ下っ端であろうとも王の女と見なされ、生涯、宮殿を出ることは許されず、婚姻も叶わなくなる」
「誰の眼にも触れることなく、ひっそりと咲き、手折られることもなく、散ってゆく。だから、人知れず咲いて散る花なのですね」
〝そうだ〟と、王はやるせなげに頷いた。
「そなたは幾つになる?」
問われ、誠恵は素直に応えた。
「十八になります」
「十八、か。その歳で人知れず咲いて散る花になる宿命を強いられるのは、あまりにも若すぎる。緑花、私は、そなたにそのような酷いさだめを荷したくはない」
王が心から誠恵のゆく末を案じているのだとは判る。
―この男は、優しい。
誠恵の心がしきりに疼く。この優しい男を自分は騙そうとするどころか、最後には生命さえ奪おうとしているのだ。
できることなら、現実から眼を背けたかった。
だが、誠恵と家族の生命は、あの卑劣な男―領議政に握られているのだ。今更、引き返せはできない。
誠恵は、いかにも哀しげな表情になる。
「旦那さま、お聞き下さいませ。私の実家は両班とはいえ、とても貧しく、父はしがない下級官吏にすぎませんでした。それでも、まだ父が生きていた頃は良かったのです。慎ましくしていれば、一家五人、何とか暮らしてゆくことはできました。でも、父が病で亡くなり、私たちは寄る辺を失い、その日食べる米にさえ事欠く有様となってしまいました。幼い弟や妹たちは腹が空いたと一日中泣きっ放しで、私は、そんな弟妹を見ていられず、母に自分から進んで妓生(キーセン)になると告げたのです」
腹を空かせた弟妹たちが泣いていた―というのは、満更、全くの嘘というわけではなかった。こんなときでさえ、あのときの妹や弟たちの泣き声を思い出しただけで、涙が溢れる。これは偽ではなく、まさしく本物だった。
「―」
王の端整な貌が強ばった。
「妓生に―、遊女になると、そなたは自分自身で母御に申したのか?」
このひと言で、王の心に大きく揺さぶりをかけることができた。手応えは十分ありそうだ。
誠恵はうなだれ、眼尻の涙をそっと拭う。
「はい、そうするしか他に私たち一家が生き延びるすべは最早ございませんでしたから。ですが、私の覚悟が足りなかったようにございます。私が身を売り、我が家に幾ばくかの金が渡り安堵したものの、いざ、客を取ることになると、怖じ気づいて逃げ出してきてしまったのです。妓楼を出てからというもの、追っ手に見つかって連れ戻されては一大事と、ずっと身を隠して逃げ回っておりました」
だから、女官になりたいのだと、誠恵は真摯な眼で訴えた。
「こうして旦那さまにお逢いできたのも、御仏のお導きにございましょう。同じ親孝行をするなら、妓生に身を堕として身売りするよりも、後宮の女官となって国王殿下のおんためにお仕えしとうございます」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
Pop Step ☆毎日投稿中☆
慰弦
BL
「私のために争うのは止めて!」
と声高々に教室へと登場し、人見知りのシャイボーイ(自称)と自己紹介をかました、そんな転校生から始まるBL学園ヒューマンドラマ。
彼から動き出す数多の想い。
得るものと、失うものとは?
突然やってきた転校生。
恋人を亡くした生徒会長。
インテリ眼鏡君に片想い中の健康男児。
お花と妹大好き無自覚インテリ眼鏡君。
引っ掻き回し要因の俺様わがまま君。
学校に出没する謎に包まれた撫子の君。
子供達の守護神レンタルショップ店員さん。
イケメンハーフのカフェ店員さん。
様々な人々が絡み合い、暗い過去や性への葛藤、家族との確執や各々の想いは何処へと向かうのか?
静創学園に通う学生達とOBが織り成す青春成長ストーリー。
よろしければご一読下さい!
早く惚れてよ、怖がりナツ
ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。
このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。
そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。
一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて…
那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。
ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩
《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。
かーにゅ
BL
「君は死にました」
「…はい?」
「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」
「…てんぷれ」
「てことで転生させます」
「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」
BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる