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闇に咲く花~王を愛した少年~⑫
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躊躇いは禁物。私は必ずあの男を殺さねばならない。誠恵は自分に言い聞かせた。
次に王が孔賢明の屋敷を訪れたのは、その二日後であった。ちなみに左議政孔賢明は、光宗の実の伯父に当たる。亡くなった光宗の生母仁彰王后の実兄として、早くから朝廷でも幅をきかせてきた男である。今年、四十七になると聞いているが、なかなかどうして侮れぬ人物のようであった。
現在も光宗の外戚というよりは、忠実な臣下として若い王を支え、その片腕となって活躍していると聞く。
光宗が訪れた時、誠恵は丁度、刺繍をしているところであった。コホンと小さな咳払いが戸の向こうで聞こえ、誠恵は慌てて立ち上がる。ほどなく王が姿を現した。
頭を下げる彼女に、王は苦笑を浮かべて首を振った。
「そのように畏まらないでくれ。私は、貧乏貴族の三男で、たいした力も金もない甲斐性なしの男なんだ」
嘘ばっかりと、誠恵は思ったものの、むろん口には出さない。息をつくように嘘をつくのが得意というのなら、この男に対する認識は少し改める必要があるかもしれない。
流石は〝狐〟と噂される策謀家の左議政の血を分けた甥だけはある。
「何をしていたのだ?」
興味深げに問われ、誠恵は頬を少し染め、さも恥ずかしがっているようにふるまった。
「刺繍をしておりました」
「ホウ、私にも実際にしているところを見せてくれぬか」
言われたとおりに誠恵は手を動かす。器用に手を動かしている誠恵を見て、王は感嘆の声を上げた。
「実に不思議なものだ。針と糸だけで、そのような一枚の絵が出来上がるとは」
誠恵が刺しているのは、黄色い薔薇であった。大輪の薔薇の花が一つに、蕾が三つ、もうほぼ出来上がっている。純白の絹布の上にひらいた大輪の薔薇は艶やかに咲き誇り、その香りにいざなわれるように蝶が迷い込んできても不思議はない。それほどに花の美しさを見事に描写していた。
「お恥ずかしい限りでざいます」
頬を染める誠恵を、王は眩しげに見つめた。
「そういえば、まだ、そなたの名を訊いていなかった」
思い出したように訊ね、王が笑う。
「緑(ノク)花(ファ)にございます」
「緑―花」
王が呟く。何故か、王が自分の名前―あくまでも仮のものだが―を呼んだ時、誠恵は自分の心臓が跳ねるのを感じた。
「良い名前ではないか。緑花、緑の花か。楚々とした花のようなそなたには実にふさわしい名だ。緑花、見たところ、そなたは刺繍ができ、教養も兼ね備えた人のようだ。これだけの刺繍をするとなれば、いずれ名のある家門の令嬢だと察するが、現実として、そなたは町外れで行き倒れていた。あのときのなりは、到底、名家の娘とは思えない代物であったが、あれは、一体どういうことなのだろう?」
何故か煩くなる鼓動を抑えつつ、誠恵は息を小さく吸い込む。
さあ、これからが腕の見せどころだ。
誠恵は、いかにも辛そうな表情を作り、うつむいた。
「取るに足らぬ私の身の上話など、到底、お聞かせするようなものではございませぬ。明日の朝には、このお屋敷を出て参りますゆえ、どうか、何もこれ以上、お訊きならないで下さいませ」
と、王は慌てたように言った。
「私は何も、そなたに出てゆけと申したのではない。もし、名家の令嬢でありながら、屋敷を出ねばならぬような理由があるのであれば、何かそなたの力になってやれるのではないかと思うたまでのこと、話したくないのであれば、話さなくとも良い。伯父上には私の方からよく話しておくゆえ、好きなだけ、ここにいれば良いのだ」
誠恵は両手を組み、固く握り合わせると、眼に涙を浮かべた。
「旦那(ナーリ)さま、私は心苦しいのでございます。ただ居候になっているだけでは申し訳なくて、何かお手伝いさせて頂くことがあれば、させて頂きたいと左相(チヤサン)大(テー)監(ガン)にお願いしても、大切な客人ゆえと言われます。ゆえに、こうして、部屋で刺繍など致しておりました」
「それは、伯父上の仰せが当然だろう。私は、そなたを賓客としてもてなして欲しいと頼んだのだから」
誠恵は、うなだれる。
「拝見しましたところ、旦那さまは両班のご子息のようでいらっしゃいます。どうか、旦那さまのお力で私を女官として宮殿に上がれるように取りはからって頂けませぬか?」
次に王が孔賢明の屋敷を訪れたのは、その二日後であった。ちなみに左議政孔賢明は、光宗の実の伯父に当たる。亡くなった光宗の生母仁彰王后の実兄として、早くから朝廷でも幅をきかせてきた男である。今年、四十七になると聞いているが、なかなかどうして侮れぬ人物のようであった。
現在も光宗の外戚というよりは、忠実な臣下として若い王を支え、その片腕となって活躍していると聞く。
光宗が訪れた時、誠恵は丁度、刺繍をしているところであった。コホンと小さな咳払いが戸の向こうで聞こえ、誠恵は慌てて立ち上がる。ほどなく王が姿を現した。
頭を下げる彼女に、王は苦笑を浮かべて首を振った。
「そのように畏まらないでくれ。私は、貧乏貴族の三男で、たいした力も金もない甲斐性なしの男なんだ」
嘘ばっかりと、誠恵は思ったものの、むろん口には出さない。息をつくように嘘をつくのが得意というのなら、この男に対する認識は少し改める必要があるかもしれない。
流石は〝狐〟と噂される策謀家の左議政の血を分けた甥だけはある。
「何をしていたのだ?」
興味深げに問われ、誠恵は頬を少し染め、さも恥ずかしがっているようにふるまった。
「刺繍をしておりました」
「ホウ、私にも実際にしているところを見せてくれぬか」
言われたとおりに誠恵は手を動かす。器用に手を動かしている誠恵を見て、王は感嘆の声を上げた。
「実に不思議なものだ。針と糸だけで、そのような一枚の絵が出来上がるとは」
誠恵が刺しているのは、黄色い薔薇であった。大輪の薔薇の花が一つに、蕾が三つ、もうほぼ出来上がっている。純白の絹布の上にひらいた大輪の薔薇は艶やかに咲き誇り、その香りにいざなわれるように蝶が迷い込んできても不思議はない。それほどに花の美しさを見事に描写していた。
「お恥ずかしい限りでざいます」
頬を染める誠恵を、王は眩しげに見つめた。
「そういえば、まだ、そなたの名を訊いていなかった」
思い出したように訊ね、王が笑う。
「緑(ノク)花(ファ)にございます」
「緑―花」
王が呟く。何故か、王が自分の名前―あくまでも仮のものだが―を呼んだ時、誠恵は自分の心臓が跳ねるのを感じた。
「良い名前ではないか。緑花、緑の花か。楚々とした花のようなそなたには実にふさわしい名だ。緑花、見たところ、そなたは刺繍ができ、教養も兼ね備えた人のようだ。これだけの刺繍をするとなれば、いずれ名のある家門の令嬢だと察するが、現実として、そなたは町外れで行き倒れていた。あのときのなりは、到底、名家の娘とは思えない代物であったが、あれは、一体どういうことなのだろう?」
何故か煩くなる鼓動を抑えつつ、誠恵は息を小さく吸い込む。
さあ、これからが腕の見せどころだ。
誠恵は、いかにも辛そうな表情を作り、うつむいた。
「取るに足らぬ私の身の上話など、到底、お聞かせするようなものではございませぬ。明日の朝には、このお屋敷を出て参りますゆえ、どうか、何もこれ以上、お訊きならないで下さいませ」
と、王は慌てたように言った。
「私は何も、そなたに出てゆけと申したのではない。もし、名家の令嬢でありながら、屋敷を出ねばならぬような理由があるのであれば、何かそなたの力になってやれるのではないかと思うたまでのこと、話したくないのであれば、話さなくとも良い。伯父上には私の方からよく話しておくゆえ、好きなだけ、ここにいれば良いのだ」
誠恵は両手を組み、固く握り合わせると、眼に涙を浮かべた。
「旦那(ナーリ)さま、私は心苦しいのでございます。ただ居候になっているだけでは申し訳なくて、何かお手伝いさせて頂くことがあれば、させて頂きたいと左相(チヤサン)大(テー)監(ガン)にお願いしても、大切な客人ゆえと言われます。ゆえに、こうして、部屋で刺繍など致しておりました」
「それは、伯父上の仰せが当然だろう。私は、そなたを賓客としてもてなして欲しいと頼んだのだから」
誠恵は、うなだれる。
「拝見しましたところ、旦那さまは両班のご子息のようでいらっしゃいます。どうか、旦那さまのお力で私を女官として宮殿に上がれるように取りはからって頂けませぬか?」
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☆ついに若き国王が寵姫の正体を知る! 美しき女官は実は、領議政が国王暗殺のために後宮に送り込んだ刺客の少年であった。真実を知った光宗は、緑花が男と知りながら、敢えて寝所に呼ぶがー。残酷な運命に翻弄される二人。朝鮮王朝時代、激動の中で美しく開き、一瞬で散った儚い恋のゆくえはー。ご覧頂き、ありがとうございます。大体、週に一度くらいの更新です。よろしければ、ご覧戴けますと幸いです。
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